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誰よりも早くサラダを取り分けよう。存在する理由は与えられるものではなく、自らの手で掴むもの。

ヘラルボニー代表の松田崇弥(双子・弟)です。
※一卵性の双子で会社を経営しています

先日、障害福祉・児童福祉分野に特化した就職・転職求人サイトLITALICOキャリアに寄稿させていただく、ありがたい機会をいただきました。

「いま何よんでる?」をテーマに、日頃の考えを順番に綴るリレーコラムなのですが、自分が代表を務める株式会社ヘラルボニーの福祉論ついては語らず、自らの仕事に対するスタンスって、どのように形成されてきたのだろうなあと体験談を綴ってみました。

まさに新卒で入社した人、これから起業を志す人にまで届くと嬉しいなあ。折角なので、「note」でも読んでいただけたらなあと。

卓球とヒップホップに捧げた青春時代

僕の青春といえば、インターハイを目指すために朝から晩まで励んだ卓球に、外界の情報が遮断されていたからこそ徹底的にディグった、ヒップホップカルチャーくらいだ。

そこは岩手県の最北端にある、市でもなく、町でもなく、「村」だった。

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中国人コーチが村の職員として赴任している、卓球以外することがない不思議な場所。最寄りのコンビニまで車で20分。当然車なんてなく、実質寮の中に隔離されていた自分にとっては、煌びやかな東京はとにかく眩しかった。

夜中になるとヘルメットにライトを装着し、スプレーセットを片手に山の中へ繰り出した。

誰に怒られることもないが、誰に作品を見られることもない……山は夢中になれるアトリエだった。村には絵の描き方を教えてくれる師匠も誰もいないから、スプレーでグラフティ作品を描く度に「mixi」の掲示板に投下した。

「うまくなりましたね」「どこの壁ですか?」「Dope Cool!」村にはアドバイザーもいないが、インターネットには無数のアドバイザーがいた。坊主頭の卓球小僧には、インターネットの世界は刺激的だった。

「クリエイティブ業界に入りたいなあ。」

漠然とした夢ができた僕は、北日本唯一の芸大であり、国内で唯一企画力を専門に学べる東北芸術工科大学の「企画構想学科」の門を叩いた。

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社会人像を裏切る小山薫堂さんとの出逢い

「デザイナー、イラストレーター、イベンター、カメラマン。企画ができるとたくさんの人が集まってきます」

入学すると、物腰柔らかく楽しげに話す男性がいた。

企画構想学科の学科長、そして、のちにゼミの先生となり、自分が新卒でお世話になる企画会社の社長である小山薫堂さんだ。(※くまもんの生みの親であり、映画・おくりびとでは日本アカデミー賞脚本賞を受賞した放送作家でもある。)

雷が落ちた気分だった。

こんなにおもしろいオトナっているんだ……企画を立案できる人はリーダーになれるのか……心が高揚したことを昨日のことのように思い出す。

定められた労働時間、社会の歯車、仕事終わりに飲むビール、高校時代までの18年間で凝り固められた社会人像を裏切るオトナとの初めての出逢いだった。

大学時代から社会人にかけての9年間もの間、小山薫堂さんのもとで時間を過ごすことができたのだから、僕はとても幸運だと思う。その9年間、そして出逢いから10年目の今でも、何度も自分のことをリセットさせてくれる1冊がある。

明日を変える近道 1分間リセット術 小山 薫堂 (著)

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自分らしい仕事をする近道、運がよくなる近道、人とつながる近道、未来が待ち遠しくなる近道……何気ない普段の日常の中に幸せを見つける小山薫堂流の発想術の原点が記された本であり、僕にとっては仕事に対する姿勢や、日常をおもしろがるスタンスを支えてくれる聖書に近い。

中でも特に、自分が社会と交わる上での心構えを示してくれる一節がある。

スピードはメッセージ
誰かにメールを送ってその返事がすぐにきたりすると、びっくりすると同時にちょっと嬉しくなる。
こういうとき、メールって内容よりもスピードが大事なんだなあって思います。
「ありがとう」のひと言でいいからすぐに返事をする。
引っ張れば引っ張るほどハードルが高くなっていく。
きちんと書かなくちゃ、というプレッシャーで、ますます書きづらくなるわけです。
朝いちばんで来たメールには、「おっ、早起きですね」と返すだけでも、なにか同じ時間を生きているような、「つながっている」感じがしませんか。
スピードもひとつの重要なメッセージなんですね。
(明日を変える近道 1分間リセット術 小山 薫堂 )
引用:www.amazon.co.jp/dp/4569705901

企画構想学科で過ごした4年間は天国だった。

なぜならば、高校時代までに必要とされる記憶力が採点化されるテストは評価対象にならず、自発性や発想力、企画書の精度が評価の対象となるからだ。

これは僕にとって革命だった。
突然、加速度的に学ぶことが楽しくなった。

CMの絵コンテを書いた、広告のコピーを見様見真似で書いた、代理店の企画書を模倣した、自分の学科で学べることは熱心に勉強し、卒業制作では大学内で賞を受賞することもできた。

尊敬している社長のもとで働けることも決まった。正直、素敵なレールに乗れたと思っていたし、そのころの自分は、割と天狗だったように思う。

意気揚々と社会人になった。

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「誰よりも早く反応すること」自分に課したルール

しかし、企画のプロとして挑む実戦の場は、学生時代に培った自分の浅はかな知識で挑むには余りにも過酷だった。

失敗ばかり繰り返していた新卒時代。作成する資料はほとんど全てやり直し、毎日のようにロジックが意味不明だと怒られ、提出する企画書は真っ赤になって戻ってきた。イジられて笑われている瞬間だけが僕が会社の中で存在している実感を得る時間だったように思う。

これではいけない、完全に自信を喪失しているとき、「スピードはメッセージ」というあの言葉を思い出した。

翌日から、「誰よりも早く反応すること」を自分のルールと課すことにした。

メールの返信はもちろん、会食中のアルコールの減り具合、サラダのとりわけスピード、二次会の予約を済ませておくこと、重い荷物を持ちたいと意思を伝えること……

とても泥臭い話だが、誰よりも早く反応して、会社内で存在意義を示してやる、本気でそう考えていた。

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いくつもの感情に揺られながら私たちは生きている。
人の心を動かすものはいったい何なのだろう。

この人の心を動かしたい、その手段の一つひとつが「飲み会のサラダのとりわけスピード」でも良いと僕は本気で思っている。

仕事って意外と、やり方を知っているか、知らないか、だったりする。メールの書き方だって、印刷物の入稿方法だって、代理店のルールだって、最初は誰も分からない。

でも、刻一刻と変化する時代の中だからこそ、今必要とされるスキルは、10年後には全く使えないかもしれない。追いきれないほどにめまぐるしいスキルを習得していくこと以上に、自分の仕事に対する心構え・スタンスを決めることが重要だと僕は考えている。


「Hello! My name is Takaya Matsuda. I am a founder of HERALBONY.」

僕は全く英語が話せない。

だけど毎週木曜日、流暢な英語が飛び交う日本財団の会議室で、用意してきた英語のメモ用紙を盗み見しながらしどろもどろにプレゼンテーションをしている。

イスラエル人が主催するアジアを舞台にした若手起業家のアクセラレーションプログラムに毎週参加しているのだ。

「Hello!」あなたのことを見ている、あなたのことを知りたい、そんなスタンスを示す。

だから、今日も僕は、誰よりも最初に挨拶をすることを心がける。


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LITALICOキャリアの「いま何よんでる?」をテーマに、日頃の考えを順番に綴るリレーコラム。 他の掲載記事も最高です、ぜひご一読ください。

第1回 「のっぴきならなさ」を忘れそうなときに/鈴木悠平

第2回 世界を変えさせないでおくれよ - 僕たちは誰のために働くのか - /東藤泰宏

第3回 承認欲求に心枯らして、向き合い方がみえてきた/秋本可愛

第4回  「支援の仕事、向いてないかもなぁ」の問いからたどり着いた自分らしさ / 松浦秀俊

第6回 問いは職業人としての動力源 / 横山北斗

第7回 考え抜いた時間が、自らの土台となる。事業家としての自分を作った2冊 / 安田祐輔

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