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「意味」よりも「直感」で生きる

ヘラルボニー副代表の松田文登(双子の兄)です。(左)
代表の松田崇弥(双子の弟)とともに、福祉領域の拡張を目指したベンチャー企業を経営しています。

さて、こちらの写真。
推定、4〜5歳の双子です。問題です、僕はどちらでしょうか???

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答えは僕も分からないので・・・母に聞いておきます。
実はですね、「Numero TOKYO」に掲載していただきました。

ナチュラルに僕と奥さんが「Numero」に登場していることに驚きを隠せません…。
いつもの「HERALBONY」のようにあまりにも素敵なモデルさんだと、

「私には着用するのが難しいかも・・・」

と思われてしまうので、大変恐縮ながら私たちが夫婦でモデルをしております。あくまで日常に馴染ますというのがコンセプトですので、ご容赦ください。

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ここからが本題です。

僕はコロナ拡大にともなう「外出自粛」が長期化するにつれ、
情報過多で精神的に疲れを感じています。

情報が溢れすぎる世の中は新たな発見も多いが自分の主張や感情というものを「消す」または「鈍らせる」危険があると感じています。インターネットを調べれば有識者の言わば「正解」が掲載されています。そんな世の中に、圧倒的な疲れを覚えて仕舞うのも事実。

そこから生まれるのは「言葉の無力化」なのではないでしょうか?

どんなに一生懸命に力説したところで、有識者の考えには敵わないという空気がこの社会には蔓延しているんじゃなかろうか。その空気の強さの前に誰かの主張は空虚化されてしまう。

人間は自然と自分の感じている感情や思考ではなく、ネットから拾ってきた考え方に変わっていく。それをあたかも自分の考えになったかのように話す。

ネットに依存することは無意識のうちに考えることをやめてしまっていることなのかもしれない。調べて正解を出し続けることで発想力というのはあがらない。

考える前に調べることを優先する時代において、
直感力というのは天から与えてもらった産物だと思っています。

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こんな未熟な僕でも会社を経営しながら、ほとんど全てのことを最終的には意思決定してきました。

自分なりに悩みや葛藤がありながらも毎日を「何のためにこれをやるのか?」を問い続ける毎日。そこで出た「答え」「意味」「意図」これでどう変わるのかをステークホルダーの皆様に説明します。

それにより、大きな変化が起きました。

全ての行為に意味を問い続けて考えるほど、僕は全てを生活する上で意味を感じて生きたくなったのです。勿論、気持ちは前向きです。今まで使っていた時間に理由や意味を付け加え、次第にそれが習慣化してくるのです。

そんな日々を続けていたら、こんなことまで考えるようになりました。

この飲み会の時間には意味があるのか?
友人と遊ぶ時間には意味があるのか?
趣味に使う時間に意味があるのか?

最悪なのは「これは仕事に繋がるのか?」で全ての物事を考えて捉えるようになりました。それ以外の時間に次第に意味を感じなくなったのです。

友人と遊んでいるときは仕事のことが頭から離れず、ここに時間を使っていることに焦りや危機まで覚えるように。自然と好きな釣りや温泉、音楽、友達との時間を削りはじめました。僕という人間が最強につまらなくなる瞬間です。

僕はなんでもかんでも「仕事」に繋げて考える自分という人間の器の小ささに嫌悪感を抱きはじめました。

毎日、毎月、毎年、過ぎれば過ぎるほど、会社は変化しておもしろくなりますが、僕という人間は、徐々に空っぽになっていく感覚。これは人生に「遊び」という余白を入れ込まなかったことが心の挙動となって現れたのだと思います。

自分の時間や生活を捨てて「意味」を追求することは人間を空虚化させる。
自分の喜びや幸せに忠実に生きていく結果に「意味」が存在するのかもしれない。

やはり「好きなこと」は人生において残さなければなりません。
その日常の日々の「余白」が自分という人間を形成するのだと思うから。

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本質を求めれば求めるほど、意味を追求することの無意味さを感じる。
ただ好きなことに直感に従って進めば良いではないか。
「意味」っていうのはあとから付け加えれば良い。

直感に従って、自分が美しいと思う狭間に「意味」が存在する生き方をしていく。

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