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「”普通“じゃない」生き方をしたい

皆様はじめまして。11月9日にヘラルボニーのアカウント部門に入社した嵯峨山 恵美(さがやま えみ)と申します。ヘラルボニーファンの1人である私がヘラルボニーの社員になり、エントリーnoteを書く側になった話を共有します。

はじめての転職活動

新卒で入社してから丸6年、7年目に突入して4ヶ月。ようやく転職を決意した。尊敬している南場智子さんの「不格好経営」の著書にある「熱病」におかされているように、ずっとスタートアップに挑戦したかった。新しい市場、価値を作っていくことにずっとひかれていた。以前ビジネスカンファレンスに参加したときに、とあるスタートアップの経営者の方に言われた。「もう自分自身でわかってるんでしょ?」何年前だろう。あの言葉が忘れられなかった。

飛び込むのに何を躊躇ったのだろう。スキルをつけたかったのか、前の会社でやりきってからがよかったのか、あれから何年も経ってしまった。

でも転職をする、を1つの軸にはしたくなかった。逃げているような気がして、自分の目的をはっきりさせてから転職をしたかった。ただ前職時代にずっと感じていたもやもや感。もうそろそろじゃない?と自分の心に言われている気がした。じゃあ何がしたい?と聞いても返事は返ってこなかった。

ヘラルボニーとの出会い

ずっともやもやしたまま、目的はどうやってみつけるのかを考えていた。
自分の好きなことから見つけられるのかな?アート、登山、デザイン、海外、旅行…と妄想している時にTwitterでクラウドファンディングの記事をみかけた。大好きな池田エライザさん!!!…よりも着ている黒い丸の服が気になった。(ごめんなさい、ライブに行くほど大好きです)

え、かっこいい。ただの丸なのに丸じゃない。
他のお皿もクッションの柄も、個性的で色味も斬新で力強さを感じた。

これが私のへラルボニーとの最初の出会い。
記事を読み、初めて知的障害のある方が描いた作品をグッズにしていることを知った。しかも当時京橋でギャラリーが開いていることを知り、これは行くしかない!!と思い、居ても立ってもいられず、京橋のギャラリーの扉を叩いた。

ここから私の次の物語が始まっていると知ったのは少し経ってから…

中へ入ると衣笠泰介さんの作品が右側の壁に、左側にはボトルや名刺入れ等のグッズが置かれていた。作品にぐっと引き込まれた。自由でのびのびとしていて何よりも楽しそうだった。まるで現代のルノワールみたいだなと思った。とても色彩豊かで、こんなに明るくて元気のもらえる作品は見たことがなかった。もっとヘラルボニーを知りたい!と思うようになった。

2022年2月1日~3月27日に開催した展覧会「ヘラルボニー/異彩のみらい」

ヘラルボニーに入社したいと思ったきっかけ

こうして、ヘラルボニーのファンになった私が入社したいと思ったきっかけはヘラルボニーのファンの皆様はよくご存知のあの言葉。

異彩を、放て。
知的障害。その、ひとくくりの言葉の中にも、無数の個性がある。


この一文を読んだときにすとんと腑に落ちた。だから惹かれたのかもしれない。障害に限らず日本人や女性など人種や性別によって偏見が生まれることを思った。なぜ人は人をカテゴライズし、ひとくくりにしたがるのだろう。誰かが作った”普通”によって傷つく人がいることを知っているのだろうか。私がなぜ、こんなにも腑に落ちたのかというと、過去の経験があったからだ。

私は学生時代に半年ほど留学をし、Temple Universityの日本校を卒業した。アメリカという広い世界に勝手な希望をもっていた。でも実際は全然違った。留学した先ではアジア人、日本人、女性であることで簡単にいうとなめられていた。すれ違いざまに人種差別的な発言も耳にしたのは1度や2度ではない。さらに大学では、LGBTQの友人や黒人の差別の話を聞き、自分が知らない世界を教えてもらった。日本やアメリカだけでなく、アジア、ヨーロッパなど世界中から集まったクラスは、まるで小さな世界のようだった。こうして私の周りには様々ないわゆるマイノリティと呼ばれる人たちがいた。

そんな環境にいたからか、あらゆる「“普通”じゃない」と言われるマイノリティが生きづらさを感じる制度や社会の仕組みに違和感があった。私があった「“普通”じゃない」人たちはとても素敵で魅力的な人なのになぜ”普通”と誰が作ったかもわからない物差しで傷つけるのだろう。なぜ、ひとりひとり同じ人なんていないのに、「“普通”じゃない」と決めつけて生き方を否定してしまうんだろう。

私は誰かの「“普通”じゃない」を肯定したい
そして私は「”普通”じゃない」生き方をしたい。


あ、見つけたかも。私の目的。

ちょっぴり”普通”じゃない私のこと

幼少期の私と弟。2人ともピースができていない笑

昔から私は自分の好き、やりたいことに忠実に生きてきた。

  • 指が太くなるからダメと先生に言われるも、幼少期から習っていたピアノを急に辞め、ミニバスケットを始める

  • 転校した中学校が前の学校よりも部活に熱心ではなかったので、部活には所属せずダンススクールへ通い出す

  • 留学中にどうしてもホームステイを経験したくて1人でGreyhound(夜行バス)に乗ってカナダへ飛び出す

  • もっと勉強したくて前の大学を辞めてTemple Universityにいくからと突然家族に伝え、オープンキャンパスへ連れて行く

  • 留学先の友達の具合が良くないため、1人で知らない人達とセドナに行く

  • フェルメールに会いたくて、オランダに1人で行き、感動して泣く

  • モネの美術館とお墓にいき、また感動して泣く

  • 友達の友達と仲良くなり、1人でタイの結婚式に参加する

  • ヘラルボニーの入社が決まる前に前職を辞めると上司に伝える、このとき受けているのはもちろんヘラルボニーのみ

挙げたらキリがない。思い立ったが吉日と動き出してしまうのだ。こんなにも好きなことを思いきりできるのは間違いなく両親のおかげだ。昔はまったく気づかなかったが私がなにかやりたい、始めたいと言ったときに1度も両親からだめだと言われたことはない。前職を辞める話をしたとき、まだ次が決まっていないことを伝えても全く動揺せず、むしろおめでとうと言われた。もう私の行動で驚くことはきっとないんだろう。

昨年、京都に旅行した際の家族写真

ちなみに前職はSalesforceで営業をしていた。外資系企業でCRM(顧客管理のシステム)といえばの企業で、とてもいい会社だった。今でもMarc Benioff氏を経営者として尊敬している。ただ熱病におかされ挑戦したい気持ちが湧き上がり、見つけてしまった私の目的を達成できるのはSalesforceではないと気づいてしまった瞬間から、辞める以外の選択肢は私にはなかった。

もう1つ大きな理由がある。就職活動をする少し前、友人が亡くなった。とても優しくて、素敵な人だった。彼がいなくなったときに、人は突然いなくなってしまうこと、たとえどんなにいい人だろうと関係ないのだと身に染みた。おじいちゃん、おばあちゃんになるまで生きれるかなんて誰にもわからないのだ。伝えたいことがあったのに、もう本人には言えなくなってしまった。少し前にも素敵な経営者が突然いなくなってしまった。直接の関係はほぼなくイベントに登壇してもらったことがある、それだけなのだが悲しくてその日は何もしたくないほどだった。いつか一緒に仕事がしてみたかった。

人はいつか死ぬ。だからこそ、いつかではなく今この瞬間
やりたいことに大事な時間を使うべきなのだ。

そんな思いが強いため、他の人からすると少々”普通”じゃないことや何かに挑戦することは怖くない。それよりもやらなかった後悔の方がいつまでも心残りになることを痛いほど知っている。そんな私にとって「”普通”じゃない」「変わっているね」は褒め言葉である。

私の思う、キャリア

まずは私のように異彩との出会いから、誰かの心を動かしたい。知的障害を知るきっかけとなり、知らないから怖かったもの、かわいそう、なんて決めつけたりせずに、知的障害の先にいる1人1人に目を向けてほしい。私がヘラルボニーに出会って、作家さんに会って、知的障害のイメージが変わったようにそれがきっと優しい世界につながると思う。そんな世界を作ることに私のちっぽけな力と貴重な時間を使い挑戦してみたい。だから私はヘラルボニーの仲間になった。

今後どうしたいのか、キャリアプランについて聞かれることが増えた。
しかし残念ながらプランはない。今までの話で感じていただいた通り、勢いとノリで生きてきたのでプランを立てて生きていくのは苦手だ。
ただぼんやりと考えていた、自分の好きなことを仕事にしたい。目的を達成できることに挑戦したい。そして今までのスキルを活かしながら成長し続けたい。

自分の持っているもの、知っていること、なんて本当にちっぽけなものだ。現状維持は衰退だとよく言うけれど、本当にその通りだと思っている。現状維持をせずに、今まで支えてくれた周りの人たちに、そしてこれから会う人たちに、何より自分のために会社とともに成長し続けていきたい。
そんなノープランな私は、キャリア形成について「VSOP」を意識している。新卒時代のメンターに教えてもらったことである。

20代は「Vitality」でがむしゃらに働き多様な世界や人を知って経験を広げる、30代は「Speciality」20代で触れた様々な経験の中から、自分を最も活かせる分野を絞り、その分野で専門性を高める、40代は「Originality」専門性だけじゃなく自分らしさを追求し、50代で「Personality」あの人と働きたいと思ってもらえるような人間力で勝負する。

まさに人間力がある人になりたい。20代は所属した会社は1つだが業務も顧客も色んな仕事をさせてもらった。だから30代になり、自分を最も活かせる分野を絞りたい。

入社後の叱咤激励

このnoteは、実はほぼ入社前に書いたものだ。ヘラルボニーに入ったらと勝手に妄想して書いた。妄想で終わらず無事に入社した1日目、素敵な仲間に迎え入れてもらい、楽しかったなとふわふわした気持ちで帰っていた。

その時、前職時代から付き合いのある社長に、転職報告の連絡をしたら近くにいたので飲みに行くことになった。

営業するぞ!くらいに内心息巻いて会社の説明をしていたら、「私が主語になっていない」と指摘された。要は松田兄弟の創業時の話や今まで見聞きしたことを話していたのだ。実際にまだ作家さんにも、福祉施設にも訪問したことがなく、私の周りには知的障害のある方がいない。だからまだ知らないと遠慮していたのだ。「私がもし経営者だとしたらどうする?それを想像できてないとだめだ。」と言われた。ぐさっと刺さった。ふわふわしている場合ではない。

私のスイッチが入った。遠慮なんて必要ない。知らないことは教えてもらおう。知らないからこそ、見える目線があるはずだ。今から知ればいい。想像すればいい。きちんとヘラルボニーの社員の1人として伝えられるように、いつでも経営者だったらどうするかという気持ちを忘れずに、常に邁進していこう。

こんな指摘をしてくれる心強い方がそばにいるのは素直に嬉しい。そしていつも私を支えてくれている周りの人、先輩や転職しても応援してくれるお客様に出会えて本当に幸せだ。そんな人たちに相変わらず私は私らしく働ける場所を見つけたことをこの場で伝えたいと思う。改めて今までありがとうございます。そしてこれからも宜しくお願いいたします。

最後にメインの画像と合わせて先日登山時にあまりにも雪に映える工藤みどりさんの「(無題)(青)」をみて、撮ってもらった写真です。
こんな素敵な異彩を皆様に届ける使命を全うするぞ。

谷川岳で、あまりにも雪に映えすぎて可愛くて、撮って!!とお願いしました

突然ですが、あなたの”異彩”は何ですか?


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