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理不尽な社会、私の闘い方

ヘラルボニーに入社しました、菊永ふみです。
一般社団法人異言語Lab.代表理事で、「異言語脱出ゲーム」という手話×謎解きゲームを創るコンテンツクリエイターです。5月にヘラルボニーに入社し、ウェルフェア部門で企業向けの研修コンテンツ作り、障害者雇用に関する新規事業立ち上げを担当しています。そして生まれつきのろう者です。

「異言語Lab.」は、20代-30代のろう者・難聴者が主体の団体で、手話を第一言語にしたチームです。「異言語脱出ゲーム」は異なる言語を持つ者同士が向き合い、ミッションをクリアしながら謎をといていくゲームです。

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なぜヘラルボニーに?!ヘラルボニーとの出会い。

異言語Lab.の活動を知っている方からすると、なぜ代表の菊永が、ヘラルボニーに!!と驚くかもしれません。
私自身も半年前はヘラルボニーに入社するとは思っていませんでした。そんな訳で異言語Lab.はやめるの?と、心配の声も実際にいただきました。

入社エントリーを書くにあたり、自分の気持ちを率直に丁寧に綴ります。

私は大学時代は社会文化学を学び、卒業後は特別支援教育専攻科を修了、聴覚障害児の入所施設で児童指導員を10年ほどやっていました。
3歳ー18歳の、ろう・難聴の子どもたちと寝食を共にしました。

新人の頃は様々なことに対して、「できるようにならなければならない」という考えが強く、子どもたちと衝突することが多かったです。
自分の当たり前は誰かにとっての当たり前ではないとわかるようになるまで、随分と時間がかかりました。
みんながみんな異なる、それでいいという意味が今ならよくわかります。

2015年頃、ひょんなことからろう・難聴の子供と聴者が交流する謎解きゲームを企画しました。それが思いのほか評判が良く、たくさんの方々の後押しを受け、「異言語脱出ゲーム」が生まれました。
指導員をしながら依頼を頂いた時には、勤務後や休みの日を使って謎解きコンテンツを作り、イベントを実施していました。

次第にスタッフも増え、社外からも依頼を受けるようになったことを機に、2018年3月、異言語脱出ゲームを広く社会に発信し、「異」を楽しむ世界を創りたいという思いで100BANCHに申し込み、採択されました。

奇遇なことに同時期にヘラルボニーの前身である、MUKUも採択されていたのです。

知的障害のある作家が描くアート作品をハイクオリティな商品に落とし込み、異彩を世の中に知らしめること。

手話や筆談、身振りの視覚言語を掛け合わせた謎解きゲーム(異言語脱出ゲーム)を通して、視覚言語の魅力と異なることの豊かさを体感していただくこと。

障害の領域は異なるけれど、ヘラルボニー代表の崇弥さんが話していた「“普通”じゃない、ということ。それは同時に、可能性だと思う。」という言葉は私たちの活動に通ずるものがありました。
100BANCHという聴者が多数の世界に飛び込んだ、異言語な私たちの存在を全力で肯定してくれる、強烈なメッセージだったのです。

崇弥さんたちが夜に集まって打ち合わせしたり、明け方まで大田さんがひとり作家さんの作品の施工をしていたのを、間近で見ていました。

なによりも彼らの雰囲気は穏やかであり、作家さんとご家族、施設の方々を大切に尊重され、しなやかに、社会を変えるという強い意志をひしひしと感じていました。
試行錯誤を重ねていたMUKUは、ヘラルボニーに社名を変え、コロナ禍もオンライン美術館を開催したりと、活動を地道に続け、国内で有数のスタートアップ企業に進化していきました。


100BANCHで出会った未来言語チームと新宿での食事後のワンシーン。
居酒屋でのじゃんけん大会で私がまぐれで優勝し、その景品にもらった闘魂の赤いタオル。
闘魂タオルはインドに行く大田さんに託しました…

ヘラルボニーの快進撃を、私は尊敬し、同時に負けていられないと心で闘志を燃やしていました。

岩手県盛岡市でのトークショーの帰り、新幹線内で崇弥さんと。
MUKU時代のTシャツ。たまたま崇弥さんとペアルックで笑える。

異言語Lab.の世界は、ろう者難聴者の私たちにしか創れない。

私の置かれた環境というと、言語の違いからすぐ隣の人と簡単なやりとりしかできません。
手話通訳を介さないと深いところまで繋がれず、通訳がついたとしても聴者多数の議論についていくだけで精一杯です。

だからこそ、私は異言語Lab.で良質なコンテンツを創り、手話を知らない方々に体感していただき、異なる人と向き合う面白さを、私たちにしかない強みを、視覚言語の魅力を証明するしかありませんでした。

異言語脱出ゲームの面白いところは、謎解きゲームを媒体に、異なる者と向き合い、コミュニケーションを取り合わないとミッションをクリアできない仕組みになっているところです。ミッションをクリアしたいという思いが、手話が分からなくてもじっと見つめ、分かろうとする気持ちが生まれます。そして相手の言いたいことを掴むことができた瞬間、自分の伝えたいことが相手に伝わった瞬間に、一つの謎が解け、どんどん前に進むことができます。

異言語脱出ゲームのワンシーン。参加者が手話で話しかけてろう者のキャストが手話で答えたのを理解しないと謎が解けません。まさに「あなたに伝えたい、あなたのことを分かりたい」の本質が詰まったコンテンツ。

このように物語と謎を掛け合わせて、ろう者・難聴者とコミュニケーションしながら没入する体験は、異言語Lab.にしかできないことです。

気がつけば5年間で17作品のコンテンツを制作し、通常の謎解きゲームも含めると、延べ1万5000人の方に体験していただくまで大きくなりました。
2年間ほどコロナ禍で身動きができなかった時期もありましたが、北海道、高知、千葉、埼玉、静岡、京都、大阪、三重、沖縄‥と様々なところで開催する機会をいただきました。またNHKで異言語脱出ゲームの放映もありました。

それらのコンテンツができるまで、企画、脚本、問題制作、デザイン、映像、手話表現、パフォーマンスなど、多くのろう者・難聴者の若者たちと創り上げていきました。
これらの作品は日常的に手話を言語とし、視覚で世界を捉える私たちにしか創れないものだと感じています。
ろう者・難聴者が同じ言語を持つ仲間と議論し、自らアイデアを出し合い創りあげ、手話通訳や筆談やチャットを通して聴者のクライアントと向き合います。
それはできるとかできないとか、早いとか遅いとかではありません。シンプルに言語が異なり、やり方が異なるだけです。自分たちのやり方で一つ一つを丁寧に積み重ねていくだけです。
その結果として、異言語Lab.が、コンテンツそのものが、私たちろう者・難聴者の文化そのものが、社会に評価されることを肌で感じることが重要なのです。それは私たちのエンパワーメントに繋がっていきます。
このように当事者自身が心理的安全性が保障された環境の中で主体的に耕すことで自己変容につながり、社会が変わるという確信があります。

すなわち、異言語Lab.での活動は、ろう者・難聴者である私たち自身を肯定的に受け止め、自らの力で立ち上がる過程そのものなのです。それはどんな境遇にある方も同じことが言えるのではないでしょうか。

異言語Lab.のとある公演前の様子。ろう者がリーダーとなり、主体的に運営しています。
みんなで輪になって、お互いの顔が見える場所で手話で話し合います。

異言語Lab.の実績を認めていただいたからか、異言語Lab.は5周年を迎える際に、MISIAさんや田中将大選手など錚々たる方々が受賞した、若者力大賞を受賞。またアメリカのSXSWEDUで異言語脱出ゲームを発表する機会をいただきました。これは異言語Lab.の可能性を信じて支援してくださった方々、そして一緒に切磋琢磨しながら創り上げてきた沢山のスタッフの力が大きいです。そして私の「あなたに伝えたい・あなたのことを分かりたい」という純粋な思いが原動力になり、異言語脱出ゲームを通して、こうありたい未来を表現し続けていられたのだと思います。

若者力大賞を受賞した時。
出逢った当時は小学生、中学生のやんちゃな子たちも大人になり、スタッフとして立派に大活躍。
立ち上げ当時から共にいてくれた仲間も。
本当にありがたいことです。

第14回若者力大賞 受賞者のご紹介 - 日本ユースリーダー協会 (youthleader.or.jp)


SXSWEDU2023。アメリカをはじめ、世界中の聴者が異言語脱出ゲームに挑戦。
日本にいるろう者とオンラインでつなぎ、視覚言語でやり取りしながら謎を解く。

SXSWEDU2023登壇のお知らせ2023/3/02 | 異言語ラボ|異言語Lab. (igengo.com)

ヘラルボニーと交わる時。

ここまで読むと、異言語Lab.は順風満帆だと思われるかもしれません。
でも恥ずかしながら私は会社勤めの経験がないことを言い訳に、経営や組織運営、営業などに関しては知らないことも多く、メンバーから教えてもらいながら、ギリギリやっている状況でした。

そんな時に松田さんのTwitterで、日本のディズニーとコラボをしたいと語ったツイートを拝見しました。

松田さんのTwitterのツイート。
キャラクターだけではなく、人がいてこそ、本当の多様性が実現できるはず。
障害福祉を変えるにはそこまでやらないといけないし、ヘラルボニーはそこまで突き進む力があると感じました。

ツイートには『「世界の多様性をより正確に表現するため」として、米カリフォルニア州のディズニーランドでは車椅子に乗っている子どものキャラクターの追加を決めた』とあり、その記事を読んで私は、「本当の多様性を実現するにはやっぱり人なんだと思う。遊園地や飲食店でろう者、知的障害のある方、車椅子の方がおもてなしをする。そんな景色を見れたら最高ですね!!」と、崇弥さんにメッセージを衝動的に送っていました。

連絡後はすぐに崇弥さんから反応があり、崇弥さん・経営戦略室のシニアマネージャーを務める橋本さんとお食事に行くことになりました。

異言語Lab.の現状など近況を話ていたところ、崇弥さんから、例えば、例えばの話の話なんだけど・・・と前置きがあった上で「ヘラルボニーに来ないか」と。

まさかのお誘いに、目が点になりました。

でも崇弥さんのお話を聞いていると、ヘラルボニーが今後進めようとしていることは、私が成し遂げたいことと同じだったのです。

障害のある方の本質的な活躍の場を創ることを通して、80億人の異彩を創る、それがヘラルボニーの次なる道でした。

異言語Lab.の思いと通ずる部分があり、私の気持ちはヘラルボニーに突き動かされました。
それからヘラルボニーに入社するまでの間、異言語Lab.のメンバーと何度も議論を重ねました。
ヘラルボニーなら施設職員や異言語Lab.での経験とそこで得た確信を、ひとつの仮説として捉え、新しい事業を進めることができます。同時に私の苦手な経営戦略や組織運営などをすぐ近くで学べる環境だと感じました。

それは同時に、異言語Lab.の代表として、コンテンツクリエイターとして、唯一無二のコンテンツを創ることで世界中に視覚言語の魅力を知らしめる、という新たな決意になりました。
何度も話に付き合ってくれ、叱咤激励してくれた異言語Lab.のメンバーには感謝しかありません。

私の人生を変えた、大切な日。
お二人と簡単な手話、音声認識アプリ等を活用しながらコミュニケーション。

こうして、今年5月にヘラルボニーに入社しました。週3日はヘラルボニー、残りの時間は異言語Lab.に当てています。

現在ヘラルボニーではウェルフェア部門という新設された部門で、障害のある方の活躍の場を創ることをメインとした事業と新たなコンテンツ制作を担当しています。可能性を掘り起こし、どんどん耕していく仕事だと認識しています。
そしてヘラルボニーで得た学びを、異言語Lab.に還元していきます。相変わらずコンテンツ作りをしていますが、経営なども今までわかっていなかったことがほんの少しだけわかってきています。
現在、異言語Lab.では国際に向けたコンテンツの制作をしています。韓国で大盛況に終わり、次はオランダやフランスなどでも開催を目論んでいます。目まぐるしく、ハードだけど、精神はおかげで充実しています。

韓国の世界ろう者会議で世界中のろう者が異言語脱出ゲームを体験。
国籍も異なる中で熱狂している姿は鳥肌ものでした…!

入社してから、たくさん溢れた悔しさ。

今の状況を包み隠さずに伝えるなら、ヘラルボニーにいる時は、異言語Lab.以上に、マジョリティの無意識の特権を感じることがあります。大学を卒業してから手話を使うのが当たり前の世界にいた私にとって、久しぶりのマイノリティの世界です。

聴者は当たり前のように、情報や機会を得られてキャリアを積み重ね、当たり前のように試行錯誤しながら大きな事業を推進して、当たり前のように様々な人たちと繋がり、作り上げられていきます。
その分、私にとっては当たり前ではなかったこと、様々な機会を損失していたことを改めて強く感じています。

スタートラインに立つだけでたくさんのハードルがあります。

手話通訳をつけるために毎回、交渉から始めなければなりません。お金も絡んできます。通訳を打診するときには、資料を事前に送る作業があります。

ちょっとした雑談も仕事の話も何を言ってるか分からず、知りたいけど知れないもどかしさがよくあります。ちょっとしたやり取りが抜け落ちて、積もり積もっていきます。

エンタメでも観たい映画やドラマに字幕がつかないと分かった時は悲しみしかありません。
過去には大好きなイマーシブシアターを見るために、手話通訳の謝金と交通費を自費で出して参加したこともあります。

私から会うたびに、何度もこうして欲しいとお願いしなければならず、正直、疲れます。

ろう者難聴者を取り巻く課題は、医療や教育、就労、言語獲得、エンタメ、あらゆるところに網羅し、キャリアや生きがいに直結する大きな社会問題となっています。

なんて不公平で、残酷な世界なのだろうと思います。
マジョリティによるマイノリティへの圧力は無意識であることがほとんどです。
そんな現実を直視するたびに、ヘラルボニーにいると余計にギュッと胸が締め付けられます。それは障害福祉の概念を変えることをミッションにする企業だからこそ、障害のある自分が置かれている環境と状況を、誤魔化すことなく、正直に向き合うようにしています。日常での様々な差別や偏見、理不尽さに向き合い、闘うためのエネルギーは、私の精神を消耗させます。その自分の気持ちを紛らわせるために、これまでは自分の心の蓋をしていたのが、ヘラルボニーではこらえ切れずに悔しさが溢れていくような感覚です。

やっぱり、ヘラルボニーは温かい。それと私の野望。

でも、ヘラルボニーの仲間は私のそんな思いにすぐ気づき、ことあるたびに受け止めてくれています。そしてどうしたらいいかを一緒に考え、意識的に行動してくれています。
ひとりひとりの異彩を大事に尊重してくれる仲間たちです。それも驚くくらい、全肯定の塊です。

クライアントさんとの会議が始まる前に、「会議のルールです。字幕と手話通訳をつけています。ゆっくり話す、発言するときは手をあげてください。」と説明すること。

手話を覚えるにはこの画像がおすすめだよ、とか、今日、お客様の〇〇さんと手話で話せて嬉しかったー!と手話に関する情報がSlackにあがり、それに反応するスタンプが盛り上がること。

仕事中、雑談、飲み会でいろんな話をしながら手話を新幹線並みのスピードで習得し、手話も混ざり合う景色が次第に見られていること。

ウェルフェア部門の一員として、コンテンツクリエイターとして私の考えを聞いて、信じて、仕事を全面的に任せてもらえていること。

期末のお疲れ様会では、手話も混ざり合う景色が見られてとても楽しかった…!
ちなみに、私はMUKU時代の、もうひとつのレアなTシャツを着ていたのでした…!

始まったばかりで今後、どうなるかわからないけれど、ヘラルボニーの組織から一人ひとりが異彩を放たないことには障害福祉は結局、変わりません。
ヘラルボニーは障害福祉の概念を変えるため進化していますが、結局は健常者中心の文脈であらゆる事業が進められています。

家族や身近な人に障害のある方がいるものの、異彩作家さんに依存はしているものの、障害のある方と日常的に、直接的に、対等に働く、共にする機会は少ないように思います。
これがヘラルボニーの弱点であり、同時に可能性だと思います。そのステージを、ヘラルボニーは今、ウェルフェア部門の立ち上げで進もうとしています。

その可能性を耕すことは、障害のある方がごく当たり前に生きる権利の獲得と進化に確実に繋がっていきます。長年、障害福祉に関わるたくさんの人が闘い、向き合い、勝ち取ってきた、生きるための様々な権利です。今もなお、権利の獲得のために、闘い続けています。
仕事を進める上で、私が気づいた違和感、感じた悔しさは自分の心でしっかりキャッチするよう心がけています。
ヘラルボニーが流行り廃りではなく、本質的に障害福祉を突き詰め、100年後も残り続ける価値として存在できるように、自分の中にある小さな声をあげ続け、手を動かしていきます。

私なりの理不尽な社会への怒りを原動力に変えて、
ヘラルボニーの仲間と様々な障害のある方と一緒に主体的で本質的で面白い仕事や場を創造する。

障害のある方が企画段階から、自分のやり方、自分のペースで試行錯誤しながら事業やプロジェクトを推進する。

街の至る所で、たとえば飲食店、遊園地、ショップ、エンターテイメントの場で、障害のある方がおもてなしをする。

障害のある方が、心からワクワクする、夢中になれる、本質的な展覧会やフェスティバル、ライブが開催する。

多くの異彩が放たれる社会の実現を目指し、私はこれからも進んでいきます。  

思えば、2018年の夏、100BANCHのナナナナ祭で私は、すべての人がコミュニケーション可能な言語を作ることをテーマに、未来言語チームでワークショップとトークショーを行いました。
当時、「ろう者でよかった、知的障害でよかった、視覚障害でよかったと思える未来にしたい。」と手話で語りました。その隣には崇弥さんがいて、大きく頷いてくれていたのを覚えています。思いはあの頃から変わっておらず、むしろ強くなりつつあります。

2018年7月100BANCHのナナナナ祭での未来言語チーム。
未来言語で共にする機会がなければ、一緒に働くこともなかっただろうと思います。

異言語Lab.でがむしゃらに突き進んだ今、ヘラルボニーと交わり、私のこうありたい未来にほんの一歩、近づきました。

私は、異言語Lab.とヘラルボニーの両輪で、「異」を楽しむ世界と80億人の異彩を創ります。

これが私の、理不尽な社会に向けた、新たな闘い方です。

先生たちから日本語を教わり、ろう者の仲間から日本手話を学んだからこそ今の私があります。
何よりも音声と手話の両方の世界に私を導いてくれ、厳しくも温かく育ててくれた母は偉大。
写真には写っていないけど、父と兄、パートナーにも感謝を込めて。
異言語Lab.のみんな、めちゃくちゃ頼りにしています。
異言語Lab.とヘラルボニー、どちらも無限の可能性があり、わくわくする未来を共に歩んでいけること、とても幸せです。一緒に世界を変えていきましょう!


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