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人と接する上で大切にしていること

わたし今、絶賛一人暮らしを始めるための準備中でして。
物件を探すために不動産の方とやり取りをしているんですけど、そこでモヤっとしたことを吐き出すような感じで、記録として残そうと思います。

最初のきっかけと思い出したきっかけ

大学に入る直前に両親が離婚してから、各手続きの度に言われる「ご両親の了承が…」みたいな言葉には引っかかるようになりました。それ以来、塾でのアルバイトの際は「おうちの人」という言葉を生徒には使い、その他にもどこかで誰かのフィルターに引っかかりそうな言葉を使わないようにしてきました。

そして、初めに書いたように、お店の方とやり取りしている途中でふと、わたしのフィルターに引っかかって、そこから店員さんに対する信頼度が少しずつ落ちていきました。わたしが話していないのも悪いのか? ひたすら「ご両親が…」と連呼する店員さんに対し、もう何も話したくないとさえ感じてしまいました。

引っ越し費用を親に頼れない、とは店員さんに言いました。収入がわたしより低い母には、1㎜たりとも頼れません。そのために、大学生の頃からコツコツお金を貯めてきました。そして念願の引っ越し。性格の合わない家族からやっと離れることができる。そんな時に。

カウンターで話すときも、メールでも、しきりに「ご両親が…」を使う店員さんに、心の中では「もういいです。」と扉を閉じてしまいました。

マイルール

会社の研修を受ける前から、気を付けていることがありました。それは「お客様の話した言葉を使って話す」ということ。それ以上に推測を重ねて話を膨らませようとしない。それだけ。お客様がAと話したことによってA‘までは話してもいいとは思うんですけど、aに変換はしてはいけないなぁと。

例えば今回の場合、わたしから発信した言葉は「親」のみ。「母親」でも「父親」でもない「親」。この場合、A‘になるのは「おうちの方」、aは「母親」「父親」「ご両親」だと私は考えます。あくまで私の意見ですが。「おうちの方」にすることによって、おばあちゃんおじいちゃんでも包含されるから応用が利いている。難しいのが、施設で育った方たち。わたしが今回店員さんだったら、金銭面での補助が無いとわかった時点で触れないという選択を取っていたと思います。

違う場面での、心が温まる言葉

カフェで大学時代の先輩と過ごす時間を楽しんでいたとき。わたしはフルーツサンドとアイスティーを味わっていたんですけど、そのフルーツサンドを食べ終えて余韻に浸っていたら、店員さんから「テーブル広くしておきますね」というお声掛けと併せて、フルーツサンドのお皿を下げてもらえました。普通だったら「お済のお皿、お下げしますね」となると思うんですけど、2人で向き合うしかないスペースの席でのこのお声掛けは、なんと素敵なんだ!と心がホカホカしてしまい、今書いています。こういった場面に合わせてちょっとひねった違和感の無い言葉を言えるような人間になりたいです。全ての人に対して。

一応接客する部門の採用をいただいて日々過ごしているのですが、コロナの影響でなかなか接客する機会が遠のいておりまして…
接客に対する欲より、職場環境をもっともっと良くしたい、働く仲間がもっとワクワクするような会社にしたい、そんな欲が沸々としてます。だからこそ、関わる人にあったかい、ユーモアのある言葉をかけれるような、そんな人間になりたい。というかなる。

というわけで、最後はわたし個人の宣言で終わってしまったのですが…
ここまで読んでくださった方は、今から素敵な言葉探ししてみてください!

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