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モーツァルト『もう飛ぶまいぞこの蝶々』の歌詞新訳の試み


モーツァルトの『フィガロの結婚』の中のフィガロのアリア Non più andraiには、伊庭孝(1887–1937)による有名な翻訳があるが、それにはいくつかの大きな問題がある。

もう飛ぶまいぞこの蝶々 (伊庭孝訳)
もう飛ぶまいぞこの蝶々 夜も昼も休まず 
花のこころ騒がす 罪作りな蝶々 
花のこころ騒がす 罪作りな蝶々 

羽も取り上げられた 伊達な帽子もないぞ 
髪も長く為まいぞ 紅もさすことならぬ 
紅もさすことならぬ 
羽根はならぬぞよ 帽子も 粋な身なりはならぬ 

もう飛ぶまいぞこの蝶々 夜も昼も休まず 
花のこころ騒がす 罪作りな蝶々 
花のこころ騒がす 罪作りな蝶々 

もう軍人だぞ 口髭生やして 鉄砲かついで 
サーベル片手に姿勢を正しく すこし大人ぶって 
大人ぶって 大人ぶって 

踊りのかわりに 泥の中を進軍 

野山を踏み分け 雪の日も 雨の日も 
ラッパや 大砲の音が 耳をばつんざく 
いくさに出るからは 羽根はならぬぞよ 
帽子もならぬぞ 髪も短く 粋な身なりはならぬ 

もう飛ぶまいぞこの蝶々 夜も昼も休まず 
花のこころ騒がす 罪作りな蝶々 
花のこころ騒がす 罪作りな蝶々 

ケルビーノさらばよ 勇ましく行け 
ケルビーノさらばよ 勇ましく行け 
勇ましく行け 勇ましく行け 

伊庭孝の日本語訳詞における2つの問題点

1つ目の問題 意味内容の違い

まず1つ目の問題は、歌詞の内容が原曲と結構違うので、オペラの中の曲として使いにくいことである。

オペラのアリアは、もちろん単にキャラクターの心情を1人で歌って完結するものもあるが、しばしば歌いながらストーリーが進行したり、他の演者との絡みが発生したりすることがある。そのため、翻訳によって歌詞の内容が変わってしまうと、オペラの中で歌えなくなってしまうことがあるのだ。

『もう飛ぶまいぞこの蝶々』というアリアは、色々な女性にちょっかいを出す恋しやすい美少年ケルビーノが、ついに伯爵の逆鱗に触れて軍隊に送られることになった際に、フィガロが「ざまーみろ」という感じでケルビーノに意地悪をするシーンで歌われる曲であり、これが第1幕の最後の曲となる。

つまりフィガロは、この曲を歌いながらケルビーノに色々な意地悪をしなくてはならないのだが、伊庭の訳ではそういうアクションをするタイミングが原曲よりも大幅に少なくなってしまう。

なぜ歌詞の内容が原曲と違ってしまうかと言えば、音楽の1音符に対して日本語の1音節を対応させるためである。それだと圧倒的に音符数が足りず、原文の意味を削らざるを得なくなるのだ。

そのため、日本語の歌詞は一般的に、内容を大幅に省略したり、抽象的な表現を用いることによって対処してきた。

だがそのために、伊庭の訳詞はあまりにも抽象的過ぎて、歌詞を読んだだけでは舞台で何が起こっているのか分からないものとなった。

また、イタリア語のfarfallaは蝶と蛾の区別がない。つまり、夜に飛び回るfarfallaというのは蛾のことである。そして原文のfarfalloneというのは「浮気男、移り気な男」のことを意味している。しかし伊庭の訳は、あまりにも蝶々のイメージに囚われすぎているように思う。『フィガロの結婚』におけるケルビーノは女性陣からは蝶のように愛されているが、男性陣からは蛾のように毛嫌いされている存在である。


2つ目の問題 フレージングの誤り

2つ目の問題は、旋律のフレーズ構造と歌詞の切れ目が合っていないことである。

伊庭の訳は以下の箇所で明確にフレージングの誤りを犯している。

野山を踏み分け 雪の日も 雨の日も 
ラッパや 大砲の音が 耳をばつんざく 
いくさに出るからは 

最初の「野山を踏み分け」は正しい。これは前後が休符なので間違えようがない。

しかしこの「野山を踏み分け」によって分かることは、この箇所が小節の2拍目から始まって、次の小節の1拍目で終わるフレーズの繰り返しによってできている、ということである。それはイタリア語の歌詞の句読点の位置を見れば分かる。

次の譜例では、赤い線で原曲のフレージングのパターンを示している。日本語歌詞の途中に、原曲の区切りを示す線「|」と「’」を挿入して対応を示したのでどのくらい違っているのかが分かるだろう。イタリア語の歌詞にも、このパターンから若干はみ出した部分はあるが、訳詞のずれ方はその比ではない。

フレージングが一致しないと、そもそも日本語の歌詞の区切りの把握も困難になり、まったく良いことはない。


日本語新訳の試み

方針としてはまず、原曲の意味をできるだけ込める、ということを重視した。そのために音節数は伊庭訳の1.5倍ほどとなっている。よって日本語の音節に、主要な音節と副次的な音節の区別をしながら歌う必要が生じる。これについては後で検討する。

さらに、日本語の文法的な区切れがメロディーの区切れとできるだけ一致するように心がけた。


新訳

恋の蝶よ これからは もうできないぞ 
夜も昼も 辺りを うろついて 
美女たちの憩いを乱そう だなんてな 愛のナルシスよ 
美女たちの憩いを乱そう だなんてな 愛のナルシスよ 

お別れだなその立派な羽飾りとも 
その不真面目でキザな帽子とも 
長い髪とも 気取った態度とも 
薄紅色の綺麗な顔とも 薄紅色の綺麗な顔とも 
お別れだな その羽飾りとも その帽子とも 
長い髪とも 気取った態度とも 

恋の蝶よ これからは もうできないぞ 
夜も昼も 辺りを うろついて 
美女たちの憩いを乱そう だなんてな 愛のナルシスよ 
美女たちの憩いを乱そう だなんてな 愛のナルシスよ 

荒くれたちと達者にやれよ 口髭ぼうぼう重たいリュック 
銃は肩に 剣は腰に 首はまっすぐに 鼻は堂々と 
でっかい兜 いやでっかいターバンか 
大した名誉 僅かな給与 僅かな給与 僅かな給与 

ファンタンゴを踊る代わりに 泥んこの道を行進だ 

山を越えろ谷を渡れ 雪の中でも真夏でも 
トランペットに合わせて 爆弾と大砲の 
大合奏がお前の 耳のそばで鳴り響く

お別れだな その羽飾りとも 
お別れだな その帽子とも 
お別れだな 長い髪とも 
お別れだな 気取った態度とも 

恋の蝶よ これからは もうできないぞ 
夜も昼も 辺りを うろついて 
美女たちの憩いを乱そう だなんてな 愛のナルシスよ 
美女たちの憩いを乱そう だなんてな 愛のナルシスよ 

ケルビーノ目指せ勝利を 軍隊の栄光となれ 
ケルビーノ目指せ勝利を 軍隊の栄光となれ 
軍隊の栄光となれ 軍隊の栄光となれ 


歌い方について

音節数だけを考えると、原曲とまったく一致しないことは明らかである。だから、日本語の音節をグループ化して歌う必要がある。弱い音符を挿入すると考えてもいい。

できるだけ原曲のリズムを守りたいので、なるべく原曲の音符には主要な音節を当てはめ、加えた音符は弱い音節とする。

しかし日本語においてどれを主要な音節とするかは難しい問題である。しかし、歌いやすさを重視すべきであることは間違いない。

残念ながら、一般的なルールを確立することはできていない。あるいはルールで処理するのは無理かもしれない。

とりあえず以下のような表記法を考えた。下線と太字で目立たせた音節が、楽譜の音符と一致する音節である。「|」は小節線を意味する。音節は小さなグループに分かれている。この例だと「い」「ちょうよ」「こ」「は」「もう」「ーい」がグループをなしており、外国語の1音節のようにみなされる。

「こ」と「もう」は音程が上がるグループであるが、表記法は未定である。弱い音節は直前の音程で歌い始める、と一般的に言えるかもしれない。

イタリア語と異なり、日本語では単語の先頭付近を明確に表現しないと意味が取りにくい。だから、あまり小節の1拍目を強く演奏しようとしなくてもいい。それよりもフレーズの先頭をはっきりさせることが重要である。

仙台オペラの鈴木氏には様々なアドバイスをいただいた。この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。

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