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【コラム】飴色の玉ねぎを炒めるのが好きなら億万長者になれる

僕はよく玉ねぎのスープを作る。とても簡単なスープだ。

薄切りにした玉ねぎを、少し多めのバターでじっくりと炒める。飴色になるまで。
玉ねぎが飴色になり香ばしい香りがしてきたら、水とコンソメを入れて煮立たせ、塩と胡椒で味を調えれば出来上がりだ。簡単。
好みに応じて、ベーコンも炒めて具材としてみたり、パンを浸してチーズを載せてオーブンにインしてオニオングラタンスープにしてもいい。
でも僕はたいてい玉ねぎだけのスープを作る。何というか、とても気楽な感じで作れるのがよいのだ。

玉ねぎのスープを作る、調理工程の全てが好きだ。
玉ねぎの皮を剥くという行為は、一つ一つの玉ねぎと真摯に向き合っている気分にさせられる。どこまで皮を剥くのが適切か、一つ一つの玉ねぎの個性に沿いながら境界線を見極める必要がある。
それに比べると、玉ねぎを切る行為にはいささか暴力的な快楽が潜んでいる。包丁の刃が瑞々しい玉ねぎの繊維を断つ感触は、とても心地がよい。多少形が揃わなかろうが、炒めてしまえば関係ない。一定のリズムで、しゃくしゃくと切っていく。
そして僕は玉ねぎを炒める。
バターをナイフで切り取り鍋に入れる。バターが溶けて香ばしい香りがする中に、切った玉ねぎを放り込む。玉ねぎの水分が飛ぶ音がする。
あとは炒めて水とコンソメを入れればできあがりなのだが、ここが重要だ。
焦がさないようじっくりと、じっくりと、20分は炒めたい。
飴色になるまで。

そうしてできあがるスープは、簡単な素材で簡単な調理工程を踏んだだけなのにとても美味しい。妻もいつも美味しいと喜んでくれる。不思議なものだ。
僕はいつも玉ねぎを炒めながら思う。
時間をかけることが価値を生み出す
玉ねぎを美味しくしているのは、僕の調理技術でも素材のうまさでもなく、玉ねぎをじっくりと炒めた時間なのだ。

「タイム・イズ・マネー」とはよく言ったものだ。こんなことを働き方改革全盛の世の中で言ったらアホかと言われるかもしれないが、僕は労働の本質はある行為に自分の時間を割くことだと思う。
時間をかけることが価値を生み出す
じっくりと、丁寧に、一つの行為に向き合う時間が、誰かのための価値を生む。

だから、玉ねぎを炒めるのが好きで、じっくりと飴色の玉ねぎを作れる人は億万長者になれると思う。
美味しいと喜んでくれる誰かのために時間をかけられる人間だ。
ついでに言えば、悪いやつもいないだろう。

なお、僕が億万長者になる気配はない。どちらかといえば悪いやつではないと思うけど。

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