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「ら」と「れ」のIN&OUT

誤用の定番「ら抜き」言葉

たとえばテレビなどでタレントさんが
「このプリン、うますぎて永遠に食べれますね!」
とコメントした場合、テロップでは
「~永遠に食べられますね!」
と訂正されています。こういったパターンは他でもよく見かけます。

×食べれる
○食べられる

「ら抜き」言葉は誤用表現ではあるがよく使われる表現として、文化庁の「国語に関する世論調査」でも定期的に取り上げられています。

上記のようにテレビは勿論、新聞や雑誌でも極力使われない表現とされています。

そして、言葉の誤用としては大定番すぎて、かえって言葉の誤用例としては別のものを用意するほどです。

そんな「ら抜き」言葉ですが、ただ誤用の身に甘んじているままではなく、捲土重来、じっと復活の機をうかがっていました。

A.先生が食べられるものはどれですか
B.先生が食べれるものはどれですか

普通に考えたらBは「ら抜き」言葉で誤用でハイ、終わりとなるのですが、ここに「ら抜き」言葉のねらい目があります。

Aの場合

・先生はどれを召し上がりますか 
(先生への尊敬表現)
・先生はどれを食べることができますか 
(先生が食べられるかどうか、という可能表現)

のどちらの意味かはっきししないのに対し、Bは

・先生はどれを食べることができますか 
(先生が食べられるかどうか、という可能表現)

の意味一択に絞ることができる、という正しい用法による同音異義の問題を解消する表現ではないか、という説も出始めたのです。

一理なくもないロジックのようにも見えますが、これで「ら抜き」が誤用からランクアップするわけではありません。
せいぜいそういう言い方もあるかもね、といった「日本語の揺れ」に収まる程度です。

新たなる刺客「れ足す言葉」

なんとか誤用の域から脱しよう、あわよくば新しい日本語になろう、という動きが見られる(≠見れる)「ら抜き」言葉を横目に、世に出回っている誤用表現があります。

それが「れ足す言葉」です。

・今日、部活に行けれる?
・もうこれ以上は出せれません。

主に「行ける」「読める」「出せる」などの可能動詞に「れ」を加えるという、「ら抜き」とは逆の発想の言葉です。

ただ、発想は逆でも所属は同じ「誤用」です。

これは個人的感覚ですが、「ら抜き」ほどメジャーでもないため、まだ「耳で聞くにはギリギリOK」の域でもなさそうです。

言葉は世につれ世は言葉につれ

言葉は時代の変遷にあわせ、その姿を変えていくとも言います。

古文では「朝」を意味した「明日」が、今では「翌日」という意味になっているように、長い時間をかけて意味が変わってきた言葉がこれまでもありますし、今まさに変わろうとしているものないとは言い切れません。

誤用は100年後200年後でも変わらず誤用のままかと言われれば、それは断言できれない問題なのではないでしょうか。

そんなことよりも ―もう一つの本題―

と、実はまだ触れ切れていない問題があります。

「ら抜き」言葉
「れ足す」言葉

何か気づきませんか?

そう、「ら」が「抜き」であれば「れ」でも同じく動詞の名詞化で「足し」とすべきではないでしょうか。

おそらく最初は「れ足し」言葉だったのかもしれません。

しかし、気づいてしまったのではないでしょうか。ひらめいてしまったのではないでしょうか。

「これは『れ足し言…』もとい『れ足す言葉』なり!」

それは、最もやさしい時間だったのかもしれません。

しかし、そのやさしさが、後に

・後から行かさせていただきます
・これは私に手伝わさせてください

といった「さ」を余計に入れる言葉を「さ付き言葉」と称する未来を招いてしまうのでした。
バカ! もう知らない!
ということですね。


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