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愛から始まる地方創生

私は日本が大好きです。

治安も良く、島国独特の文化、四季折々の趣ある景観など。
多くの「日本らしさ」を母国の人間として、ネイティブとして享受できる幸せを感じております。

暗い話題があちらこちらから聞こえ、未来を悲観する声も多い我が国ですが、それでも私は「日本が好きだ」と胸を張って言いたいのです。

年齢を重ねるごとに、「好き」という気持ちと「日本の将来を考える」ことがリンクするようになってきました。

若者を中心として多くの人が自分の生活に必死でしょう。日本の未来なんてどうしようもないと、手のつけようがない、国全体がそんな空気で充満しています。

人口が減るにつれて経済規模は縮小し、少子高齢化や格差の拡大など挙げればキリがないほど問題が山積しています。

問題から目を背けたり、諦めるのは簡単です。
そうやってみんなが知らない顔をして、少しずつ手のつけようがない社会へとなってしまったのではないでしょうか。

だからこそ私は今を生きる一人の若者として、日本人として、日本に起きている問題を喚起し、それを解決に導く人間でありたいと思っています。

今はこうして情報発信するくらいしかできませんが、何とかしてこの国に希望の活路を見出せないかと奮闘しております。

国を、そして社会を作っているのは私たち国民です。
主体となっている私たちが見放してしまえば国は崩落をたどる一方です。

そして、そうした問題の1つとして私が取り組みたいのが地方創生問題です。

日本人が紡いできた地方都市が軒並み存続の危機に立たされている。
日本全国で誰かの故郷が無くなろうとしている。

街の歴史は人の歴史です。
みんなの「日常」を、心の「故郷」を作ってきた地方都市を、私はこの先もずっと残して行きたいのです。

今回はこの考えに私の至るルーツや、自分が社会に対してやりたいことなどを書き連ねます。

地方の魅力を最初に感じたのは高校生のとき

高校二年生のときです。

修学旅行で広島と島根を訪れました。原爆ドームや出雲大社など、日本が誇る素晴らしい観光資源に触れることができました。

しかし、私の心に残ったのはそれらではなく広島や島根の街並みでした。

政令指定都市という言葉も知らず、中国地方に立派な都市があることもわかりませんでした。

世間知らずな私は、東京、大阪以外にも多くの人が住んでいる事実に驚いたものです。

特に私の心を惹きつけたのは最終日に訪れた松江市内でした。

松江駅から松江城まで自由に散策する時間があったのです。そのとき松江市内を歩いて感じたことを当時は上手く言語化することができませんでした。

今なら言えます。
私はそのとき、「人間の営み」を感じたのです。

散歩をする人、仕事に向かう人、駅員や店員、そこには松江市民の「日常」がありました。

スーパーがあり、病院があり、大型商業施設では多くの若者や家族連れが憩いの休日を過ごすんだろうな、と。

自分の知らない遠くの街に、自分の知らない「当たり前の日々」が存在したのです。

実際に街を自由に歩く時間があったことで、肌で感じることができたのです。そして、「もしこの街に住んでいたらどういう風に過ごすんだろう」と思いました。

多くの場合、観光は過去の歴史に触れるものです。文化的に価値のある遺産や、悠久の時を感じさせる広大な自然など、非日常な体験を求めて旅行に行くでしょう。

それ以上に私には、過去から今も続いている「その街の暮らし」、現在進行形で積み上げられていく「人間の営み」の歴史に感動したのでした。

修学旅行の感想文、私はクラスで唯一松江市内について書きました。

その土地の人間になったつもりで街を歩いたこと、イオンショッピングセンターが松江市民の憩いの場になっているんだろうなど、初めて歩いた土地に想いを馳せながら筆を進めたものです。

そして同時に、「いつか自分は地元を飛び出して、知らない街のために仕事をしているんだろうな」と思いました。

まだ地方創生という言葉も知らなかった、どういうことができるのかもわからなかった頃から既にそういう想いがあったのです。

そして47都道府県を歩いた

大学時代、ゼミ合宿で訪れた富山県を筆頭に全国各地へ足を運びました。

初めて名古屋に降り立ったとき、三大都市の名に恥じない名古屋駅の貫禄に感銘を受けました。

那覇や札幌など、東京から遥か遠くの地には活気に満ちた素晴らしい都市がありました。

青森、和歌山、高知など、厳しい地方の現実も目の当たりにしました。

全国津々浦々巡る中で、中心市街地の活力がある街、ない街の違いもわかるようになってきました。

そして、私が最初に心血をそそぐことを決めたとある地方の話に繋がります。

九州との出会い

あることがきっかけで熊本市を訪れました。私にとって熊本県が人生初九州です。

おそらく多くの人が福岡県、博多を一番に訪れると思いますのでイレギュラーな九州デビューとなりました。

九州は私に多くの衝撃を与えました。
熊本県を始め、訪れた九州各県はどこも活気に満ちていました。

大都会福岡市のエネルギーは、人口では勝っている札幌にはもちろん、名古屋とも良い勝負なんじゃないか?と思ったほどです。

鹿児島中央駅から天文館までのエリアは、並な政令指定都市にも負けてない立派な街並みだと思いました。

長崎、宮崎、大分も予想を良い意味で裏切って活気ある中心市街地でした。

唯一佐賀市だけが寂しい印象を与えましたが、あの福岡県に依存した街造りであることを考えれば違和感はありませんでした。

東京から遠く離れた九州で、奮闘している各県のエネルギーを目の当たりにしました。全体的に寂しさが目立つ東北とは全く違う印象を受けたのを強く覚えています。

こうして九州の秘めた魅力に心を奪われて、気がづいたら移住してしまいました。

美味しい食事、住みやすい街、海に山と豊富な自然、そして東京と比べると落ち着いた風土に夢中になっていたのです。

同時に、人口減の影響は日本の端から深刻化して行くことが頭をよぎりました。

こんな素晴らしい土地を、先人たちが作り上げてきた街を衰退させてはいけない、誰かが次世代へ繋いでいかなければいけないと強く思いました。

自分がやりたいこと、なりたい人物像が徐々に明確になっていったのです。

九州との出会いや九州への熱い想いは再度別記事にて述べようと思います。

私の目指すもの

私には、目指す人生の目標があります。

「素晴らしい日本の地方都市の衰退を阻止し、地方の人々の生活を守り、次世代につながる持続可能な中心市街地の発展へ寄与、貢献すること」

「日本の未来を考え、私の理念を受け継ぎ活躍する次世代の人材を育成すること」

そしてそれらを実現するため手段の1つとして、地方都市を中心においた新しい観光のあり方を提供する、ただの旅行にとどまらない情緒を動かす事業を考えています。

23歳、一人の若者が掲げるには壮大すぎる夢でしょう。

今まで散々バカにされました、「日本の将来」について話をするとき、嫌な顔をされて鼻で笑われることが数え切れないほどあります。

同時に、「それ良いね」と言ってくれる人もたくさんいました。
少しずつですが、同年代からの理解も得られるようになってきました。

今の私に必要なのは、「理念の発信」だと思いました。

思想を改めて言語化し、不特定多数に向けて発信することで自分の考えに責任感が生じます。

究極、私の目指す「地方創生」につながることは何でも挑戦するつもりです。

自分の好きな地方都市に貢献する、これこそが「好きを仕事にする」ことだと思いました。

まずは九州。
福岡、熊本、鹿児島を軸に九州の中心都市を守り、発展させて行きたい。

ゆくゆくは全国を股にかけて、「地方創生といえばあの人」といわれるような素晴らしい事業家になりたい。

言うは易く行うは難し、素晴らしい目標に向けて行動して行きます。

全ては、日本が好きだから。

おまけ

サクッと書くつもりが少し長い記事になりました、笑

自分で勝手に使命を定め、勝手に奔走する理由ですが、「何か夢中になるものがないと生きている意味が分からない」からです。

ひとり旅が趣味でした。全国を周るうちに地方への危機感が強くなりまして、「地方が好きだしどうせなら人の役に立つ地方創生がしたいな」なんて思ってました。

要は好き、の延長線上にあるだけなんです。

ゲームが好き、釣りが好き、YouTubeが好き、いろんな好きがあるでしょう。

私は地方都市が好きで、その地方都市がじわじわと大変な状況になって行くならなんとかしたいと思っただけなんです笑

何か盲目的にハマれるものがないと生きている意味が見い出せなくなりますし、私にとって人生を捧げられるのは地方創生しかないと思ったのです。

誰かに迷惑をかけているわけではないし、社会的意義のある志だとは思います。

しかし現実は、私は威勢の良いだけの若者に過ぎず、人生を開拓していく大変さを痛感しています笑

公務員なども考えましたが、実態を知るほど個人の裁量とは程遠く、やるなら民間で、私の力で主導して地方創生に貢献したいと思いました。

とまあようやく方向性や信念が固まったところで、実績も人脈も資本もありませんから、まだまだ前途困難な野望なわけです笑

志半ばで夢を諦めることがないように、このノートで定期的に発信していきたいと思いますのでよろしければ応援の方、どうぞよろしくお願いします。

地方への愛から始まった、地方創生の物語。


今後の活動資金にさせていただきます!どうぞよろしくお願いします。