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米澤穂信「安寿と厨子王ファーストツアー」

米澤穂信「安寿と厨子王ファーストツアー」
ミステリーズ!vol.89、時代小説 ザ・ベスト2019所収

米澤穂信先生はミステリ作家だがこれはミステリ小説ではない。そして私がジャンルを当てはめることはない。
古くからある童話が「安寿と厨子王」
それを題材にとった森鴎外の「さんせう大夫」という小説があるらしい。
知らなかったが、厨子王という名前くらいは聞いたことがある。勿論知らなくて問題はなかった。
母親、姉(安寿)弟(厨子王)が人買いに売られて酷使された。母親は佐渡で、姉弟は丹後の国で働いた。厨子王は逃げて安寿は沼に身を投げたがなんとか助かる。
そこから物語がはじまるが、とてもメッセージ性が溢れている小説だと思った。











ネタバレしながら感想を書きます。未読の方は読んでからみてください。














詳しくは分からないが題材にしたのが昔話でそのままの時だろうから現代の話ではないだろう。しかし込められたメッセージというのは現代にあることだと思う。
この話は安寿が歌を歌って客を呼べるようになって成功していく話なのだが、そのそもそものシステムがよくは出来ていなかった。単純な小さな見世物のような感じだった。見物料は長い行列になると取るのに手間取り、札を作れば偽造される。精巧な割符にすれば偽造はされずに済んだが今度は売った奴が高値で転売する。
高い金を払えば良い席につけるようにしたりもした。

当て字による洒落

安寿や周りが創ったりはじめたことが命名される。それは、安寿を扶けるから"扶安"(フアン、ファン)のような、読者がふふっと笑える冗談のようなものだった。他には。
商(小屋で歌を見せる商い、ショー)
触出(ふれいず、フレーズ)
契渡(ちぎりと、音が詰まってチケット)
破楽土(楽土の夢を破る哀切の歌、バラード)
などなど
これは面白く巧いものだと思うが、私にはやはり"この時代の話"ではない読み方を示唆しているように感じる。
安寿がやがて歌えなくなり、気付いたのは〈自分が歌うべきこと〉だった。母や弟は奴隷のように扱われているというのに自分には才能がありそれは御仏の恵みだと感じていた。六(ろっく)という叫びに乗せ「御仏よ、全ての人を早く救え」と歌った。
これは時代を超えて普遍の思いである。〈外来語の語源が昔の日本にある〉ような洒落をすることで、昔話より近い距離で読めるようにしているのではないか。

安寿にとってロックが本性であるというのは、母と弟が奴隷にされていたという理由があるからだろう。しかしバラードやポップも安寿が辿ってきた道程であり、それを作った歌った感情があるのだ。
これは米澤穂信という作家が幅広い作風であるのと重なる。米澤穂信は〈書きたいこと〉〈書くべきこと〉のようなものがあって、それに適合する題材を選んで小説を書いているのだと思う。バラードやポップ、ロックは関係なくあくまで外面、側のようなもので、それは作品の本質とかけ離れているように思う。
小説を読む前にジャンルを聞くと、予想するイメージが湧いてくると思うが、それによる〈選り好み〉はあまりしたくないものだ。

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