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警察小説の金字塔 横山秀夫『第三の時効』

今冬からはじまりました『米澤屋書店』の中から読む本を決めるコーナー第二弾です。前回は『大誘拐』です。
リストを作ったのでこれからはしばらく続きそうです。

この短編集はどの短編も甲乙付け難い出来の傑作でした。
F県警の捜査第一課強行犯一係、通称〈一班〉班長の朽木。二班の楠見。三班の村瀬。彼らは殺しを扱う事件を指揮する立場にある。
扱う事件を未解決で終わらせることは彼らが班長になってから一件のみ。我が班が絶対にホシを挙げる。それに尽くす猟犬のような刑事たち。その組織では人間らしさというのは必要なかった。
班長やその上司の捜査一課長がどんな目で人間を観ているか。容疑者のタイプ分類は?捜査が難航するプレッシャー。など細部まで拘られたリアリティある描写が特徴的です。

『第三の時効』は警察小説の解像度を二桁上げたのです。
(米澤屋書店より)
















ネタバレ有りでいくつかの感想を書きます。
未読の方は読んでからご覧ください。













どれも傑作揃いで落とすところがないのですが、3つに絞らせてください。
「囚人のジレンマ」も入れたかったと言っておきます。


「沈黙のアリバイ」
朽木という指揮官の抜け目のなさ、人物観察眼が凄い。
島津をなぜ取調に抜擢したか。そこに捜査全体での理屈があり、犯人との相性までも考えてのことだった。またp38法定尋問だけは許してほしい島津と追い打ちをかけた尾関部長の部分も面白い。尾関以下には島津が失策をし取り返すことも出来ないと理解できていて、尾関には分からない。上下の風通しの悪さを表したのか。島津を一班に推した田畑、取調に起用した朽木、失策した島津、ではない尾関には見えてこないということか。
島津が落とされる描写と、そこから解決の糸口を見つける朽木はまさに職業の中にいる人間だ。
島津は出来損ないだから叩くとか、もうこいつと仕事をすることはないからどうでも良いという感情ではなく、ホシを落とすための最短距離を取る為に島津をぶん殴るという表現だった。

「第三の時効」
楠見は殆ど単独的に行動し、容疑者が罠にハマるように他方に根回しをする謀略型らしい。
そして非道といわれる騙しを二班内にも行い、女にも容赦しない。冷血の異名を持つ。
第一、第二の時効は存在するが、第三の時効なんて存在するか。逮捕前に被疑者を起訴して初公判までに身柄を押さえる。そんなことしていいのかよと言いたくなる手だが、いつどうやって落とすかを計算しつくしている楠見にこそ出来る手なのだろうと納得した。


「モノクロームの反転」
捜査一課長田畑は一家三人刺殺事件に、三班と一班を同時に配置した。三人同時を軽視できない、最強の一班を留守番させたくなかった、所轄署が弱小であったことを考慮してのことだった。しかしそれは愚策としかいえないものだった。
一班と三班は事件現場周辺を取り合って情報交換を拒否した。被害者の電話履歴を押さえた三班と向かいの家を押さえて逃走車の目撃情報を押さえた一班は捜査を進めることが出来なくなった。その情報を交換していればいいのにというはがゆい思いが出てくる。しかし朽木が子供の棺が運び出されるのを見て、つまらないプライドより解決を優先する決意を固め、車の色とタイムカプセル盗難を村瀬に教えた。
白い車が見えたのが実は黒い車であるという反転が決まり、村瀬の天才的な勘が間違いでないことが証明された。


三つの事件が絡み合い、すべて計算されつくされた「囚人のジレンマ」
村瀬の代役を務め切ることが出来た東出。班長村瀬が到達している地点に代理がなんとか追いつく会議室の一幕もの「密室の抜け穴」
笑いの仮面をつけることになった矢代と同じ境遇の青年。しかし本当は彼は同じ境遇ではなく、殺意を持って過去の殺人を犯していた対比が見事な「ペルソナの微笑」
傑作ぞろいでした。


米澤穂信先生の「夜警」やオール讀物で連載中の群馬県警の葛警部補が出てくる短編「崖の下」「ねむけ」「可燃物」は強烈にこの作品が意識されてはいないでしょうか。組織での采配、性格の読み取り、職業的な頭脳などが描写されると重なるように思えます。
しかし出てくる警察官の性格というのは微妙に異なり、米澤作品の方が熱量が抑えられてはいないでしょうか。

1/19日に『黒牢城』で直木賞を受賞されましたが、6月の刊行時のインタビューではエリス・ピーターズや山田風太郎の名前が出されていました。
葛警部補の話が書籍化される時インタビューで横山秀夫の「第三の時効」という名前が出るような気がします。勘違いだったら恥ずかしいですね。

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