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記憶の仕方が雑すぎて 2022年9月25日週次投稿

週のはじめの記述のストレッチ、週次投稿です。
今回は散歩の日記です。



自宅からの距離を確認してみたら大体2kmくらいの距離があるらしい西側の高速道路の下をくぐって、その道路をなぞるように並行した下道を北側に向かって歩いていると、向かい側から高速道路の下をさっきの私と同じようにぐぐって、スローモーションに見えるくらいゆっくりと左折している軽トラックの運転席に年配の男性がハンドルにもたれかかっているように見えた。

近づくうちに助手席には年配の女性がいるのがわかり、二人とも畑仕事をする格好をして作業が終わった後だろうか、というのがわかるくらいのスピードで私とすれ違った。顔には疲労の印象もにじんでいたかもしれない。トラックの荷台には肥料が入っていただろう袋がひとつだけおいてあった。

北側に向かって歩いている左の視野はひらけた農地の眺めで、その農地の中のあぜ道を自転車に乗った男性がこちらに向かってくるのを、それありなのか、と思った。
その辺りは一帯の農地でアスファルトの路面では行ける方がかなり制限されていて、何となくで道を曲がるとしばらく思ったような方にはたどり着けずに1kmぐらいだろうかぐるっと周りを歩くようになることがある。農地のあぜ道を歩く制限を外してしまえば、その辺りの移動できるバリエーションはかなり増えることになるだろう、ということがそのあぜ道の自転車の男性を見たのと同時に頭に浮かんでいた、それありなのか、だった。

自転車の男性は普段着で、その少し前に見た車に乗った男性の作業着の印象がその違いを際立たせたかもしれない。書いているとこういうことが言いたくなる。その車がゆっくりでなければ農地のあぜ道を通る考えは自分にうまれなかったかもしれない、とかなんとか。

下手に道に這入りこむと始業の時間に間に合わなくなりそうで、その辺りを散歩するときだけは同じ道を折り返して歩くことになる。その自分としては珍しい折り返して歩く道をなぞる電線に、あまり住宅街では聞き慣れない鳥の声が聴こえることがある。耳を澄ませて声のする方を絞り込んで、電線にとまっている鳥の陰を認めることはできても電線が自分と太陽の間にあって逆光で色や模様を見分けることもできないことが何度もあった。
思いつくのはヤマガラで、鳴き声にバリエーションが多いというか、これもヤマガラなのか、と思うことが多い。

普段の散歩では人に注意が向くことが少なく、眺めやものの配置と自分の視野の関わりに気が向いている。人を見つける、という印象が出てくると頭に言葉が占める割合が高くなる感じがして、我ながらどんだけいつもボサッとしているのか、という気がしてくる。

人間にとっては人間が一番意味深い、みたいなことはスピノザのエチカのどのへんに書いてあったっけ、とパラパラ見返してみたけど見つからない。第四部の真ん中らへんだとは思うのだけど。
こんな感じで記憶の仕方が雑すぎて見つけられないことが割りとしょっちゅうある。残念に思う。

少しずつでも自分なりに考えをすすめて行きたいと思っています。 サポートしていただいたら他の方をサポートすると思います。