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エッセイ:この手でお前の手首を手折る事とて簡単なはずなのだが

昼飯に食べたオカン手製の焼うどんに入っていた豚バラ肉が、奥歯に挟まっていて少し気分が悪い。必死に取り除こうと苦心していると、テレビからパラリンピックの映像が流れてきた。車椅子ラグビーの選手の大きな上半身、無駄の一切ない肉体。筋肉と鉄の鎧を纏った身体と身体がぶつかり合って、今にも音を立てそうに躍動する。

昔下北沢の駅で見かけた見知らぬ女の子を思い出した。彼女の右脚は、よくわからんがレース模様のような、可愛らしい柄が施された義足で出来ていて、おれは一瞬そういうデザインのタイツを履いているのだと勘違いした。ピンクのイチゴ柄のワンピースの下には夥しい量のフリルが詰め込まれていて、ゼミの女友達にあれはチュールと言うのだと教えてもらった。
画面が切り替わってMステのCMが流れる。暗視カメラのような映像の中でキレキレに踊るアイドルのMV映像を見て、はて、そういえばこの人らの新曲はあのバンドが楽曲提供したんだったっけか、と思い出す。学生時代に先輩に誘われてオープニングアクトで出たあのイベントで、トリを飾っていたあのバンドだ。
と、いうような話をお茶濁しに、ちゃぶ台の指し向かいで麦茶を啜るオカンに話すと、案の定「アンタも早うそうなれると良いねえ」と返された。大してそうも思ってへんくせに。「もうちょい待っててくれや」と誤魔化す。

自分自身の肉体を自分自身のものにしている人間は美しい。アイドルに楽曲提供したあのバンドも舞台の上では自信満々に躍動していた。長年のコンプレックスを溜め込んで肥えたおれの身体と同レベ程度のビジュのくせして、飛び散る汗はスワロフスキーだった。

また始まった昼のワイドショーに映る車椅子ラグビーの選手を見たオカンが、「凄いねえ、五体不満足なのに」と嘆息交じりに言う。おれはその感想に、なんだか素直に賛同出来なかった。

いや、“のに”って。“のに”って、めちゃめちゃ失礼やんけ。

あの日の義足の女の子は、凛と胸を張って渋谷行きの井の頭線に乗り込んで行った。背中を丸め、ギターケースを背負ってエスカレーターに乗り込んだ、肉の鎧をぶくぶくと着込んだおれなんかよりも余程輝いて見えた。

テレビの中のアスリートも、あの義足の女の子も、あの姿に至るまでの葛藤はおれなんかには到底想像も出来ないような壮絶なものだっただろう。しかしその高みまで辿り着くことが出来た時点で、彼らは決して憐れみを向けられるべき存在ではないのだと思う。


高校時代の仲間とつるんでバンドを組み、一応メジャーデビューを目指して頑張っている。最近はやっと対バンを組んでも自分達を目当てに来てくれるお客さんも増えて、おれ達とあともう一組ぐらいしか所属バンドのいない弱小レーベルだがマネジメントもついた。おれも曲を作るがメインで曲を作っているのはベースボーカルで、しかしそいつがまた、バンド随一と言っていいぐらいの問題児。とはいえバンドマンにはよくいるタイプのクズで、酒クズのヤニカスでそこらじゅうにセフレ作っては相手が歳上の場合は奢ってもらってばかり、今メイン機材にしているフェンダーのヴィンテージのプレベも数年前に付き合ってた5歳年上のお姉さんに買ってもらったものであるという程度なわけだが、しかしおれはそいつに関して、音楽的な側面以外で唯二つだけ尊敬している点があった。
それは、他人から現金だけは借りないところと、“人間を性別で選別しない”ところだ。

バンドだけでは到底食っていけないので、趣味と実益を活かして中小音楽出版社でニュース記事を書く仕事をしている。最近はリモートワークが主になったが、未だに月イチの会議には出なければならない。たかが派遣社員は会議室の後ろの方でウトウトする以外に役目がないうえ、その日は人員削減のために早上がりになった。それでも給金は変わらないのでラッキーとばかりに家路を急いでいると、待ち合わせの男女がまばらに佇むマークシティの前でアイツに遭遇した。
絵に描いたようなサブカル野郎丸出しの金髪マッシュボブは、夕暮れの渋谷のロータリーでもよく目立つ。細身の身体に着古した白いボウリングシャツ、黒スキニーとマーチンのサンダル、でかいベースケース。鶴のような長い首を伸ばして「よォ」と片手を挙げたソイツは、「家の鍵失くしちゃってこの辺住んでるお姉さんに泊めてもらおうと思ったのに、このザマよ。明日給料日だから今もう交通費すら持ってないってのに……」とシャツの襟元を人差し指で伸ばしてちらりと服の中を見せてきた。

胸元の辺りが、若干ふくよかになっていた。
平たく言うなら、無いはずの谷間があった。

しかしおれは今更驚かない。詳しい事は長くなるので割愛するが、“こういう事”はよくあるのだ。こいつは時々、身体だけが女性のそれに“変身”する。そういう体質、なのだそうだ。

電車代を出してやって今日は家に泊めてやる事にした。ママ活が無理ならパパ活でもすりゃええやんかと言うと、そっちも今日は特に良いカモが釣れなかったと言う。抜け目ない奴め、と思いながらオカンに許可を取って半蔵門線へ乗り込んだ。最初はご時世を理由に断ろうと思ったが、先日メンバー全員レーベルの手配で検査を受け、陰性だった事をオカンに伝えてしまったのを思い出した。案の定、ニコちゃんマークいっぱいのご機嫌なメッセージが返ってくる。コイツは外面が良いから親ウケも圧倒的に良い。

普段より少しだけ低い背と、服を着ていればそれ程目立たない胸元以外はいつもとほぼ変わらない姿。並んで吊革に掴まるベースボーカルにおれは聞く。やっぱりそれ、不便やないんか。
奴は少しだけ考えたかと思うと、「こういう日はちょっとめんどいなと思う」と答えて真っ暗な車窓を見つめた。
「でも、ひとつだけの身体に縛られてる方がめんどくさくない? 身体なんてただの器でしかないのに」

やたら長い睫毛に縁取られた眠そうな目が見つめる先には、真っ黒なガラス窓に映った、背後に立つサラリーマンのおっさんがいた。おれ達に背中を向けたおっさんはホールドアップ状態で、吊革を2本占領している。
おれもきっと、あっという間に電車に乗るにも両手を挙げて吊革につかまらないといられないオッサンになってしまうのだと思った。そうならないためにバンドをやっているわけだが、流行りの顔もしていない、イケメンでもないおれがいつまでも“バンドマン”でいられる気はしない。
せやな、と呟いてそれきり、おれ達は家に着くまで殆ど口を利かなかった。


「すみません、財布と家の鍵落としちゃって~」と、おれからしてみたらバレバレの言い訳にすっかり騙されたオカンは、幸いにもひとり息子のバンド仲間の身体に生じた異常には気づかず、焼きたての餃子を食わせ、風呂も貸してやり息子の自室のベッドを貸し与えた。そのために床にマットレスを敷いて寝る羽目になったおれは、礼儀としてファブリーズを吹きかけまくったベッドの上ですっかり寝入ってしまったアイツの姿を眺めた。少し高い位置で寝転がる、絵に描いたようなサブカル金髪マッシュボブ。横向きの姿勢で、無造作に重ねて投げ出された手首は異様に細かった。元々針金細工のような体格ではあったが、重いベースを担いで動き回るためか意外と筋肉質な腕をしていたはず。しかし、この日のアイツの腕は指一本で折れそうな程に細く、柔らかそうだった。

酒クズでヤニカスでセフレが沢山いて、どっちかと言うと可愛い女の子の方が好きと言いつつもバイセクシャルを通り越しているアイツの事が、おれは羨ましいのかもしれなかった。“どちらの”肉体も、己のものとして扱う事が出来るその主体性が羨ましいのかもしれなかった。アイツもあのバンドと同じだった。真ん中で必死に踏ん張るおれよりも大きな歓声を浴びながら、シモテで控えめに躍動する細い身体。おれには出せない流行りの歌声。

こいつのこの“体質”は、バンドを組むずっと前からあったものらしい、と、高校時代からおれよりもアイツと親しかったギタリストが言っていた。だったらきっと今や慣れっこではあるだろうが、そうなるまではこいつもパラリンピックのアスリートやあの女の子と同じで、一丁前に葛藤した経験だってあっただろうと思う。「お互い大変ね」で済ませられれば良いが、おれもまた、自分自身の“健やかな平均的成人男性”の身体を脅威に思う事が多々あった。何もしなければそのうち平均的なおっさんになってしまうこの身体は、花園にぶち込まれたブルドーザーみたいなもので、一歩でも動けばか弱い花を手折ってしまう。

だから。
せめて、あのアスリートやあの彼女のようなひとを励まし、あのバンドやアイツをびっくりさせられるような、繊細な花々と寄り添えるような、歌を歌えるようになりたい。

アイツのスマホが鳴る。何度も鳴る。アイツは起きないし表示されたのが専門通ってた頃の知ってる後輩の名前だったから代わりに出た。学生時代は顔を知っている程度だった後輩が、財布を落としてアイツに奢ってもらった事を口にした。後輩は、電話口で心底申し訳なさそうに口ごもる。
「センパイも給料日前だって言ってて、パスモに金入ってるかもわかんないって言ってたので、無事に家まで帰れたのか心配で……」
ベッドに転がるアイツの顔を見た。穏やかな規則性で上下する胸はまだあまり見慣れないかたちをしていて、手首は不安になる程細かった。夜が明ける頃には元通りの、“変身”しても一見したぐらいじゃ気づかない程華奢だが、いちおう“健やかな成人男性”の姿に戻っているはずだ。

憎いお前よ、何故おれはお前とバンドを続けているのだろうか。おれは今、この手でお前の商売道具のひとつである手首を、手折る事とて簡単なはずなのだが。

【終】


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