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インテリとんま

 自分に「親」はいなかった、
 と認識しているほど恨みの深い私ではあるが、

 岡埜克己(父)、貴子(母)、奈津実(姉)の
 (注:それぞれ類似性関連性はあるが仮名。)
 一人一人と家の外で単独で付き合えたなら、
 それほど嫌いな人間たちではない。

 むしろ愛すべき人々のようにすら、
 思える要素もある。

 ここが実は重要事項だと思うのだが、
 家族であったとて、
 愛があったとしても、
 そこに傍から見ればほのぼのした雰囲気が流れていたとしても、

 「人を人とも思わず日々ゴミのように扱い、
  現実にゴミだと公言して憚らなかった」
 行為に対する罪は消えないし、

 「自分は少なくとも人ではあったはずだ」と、
 自ら認識できるようになりたいのであれば、
 どれほど時を経たとしても許してはならない。

 重い出だしにはなったが要するに、
 私が面と向かっては「父上」とお呼びしつつも、
 腹の底では「インテリとんま」と呼んできた、
 父について語りたい。

 → 母についてはこちら



生まれる場所を間違えた

  男は現実に強くなければならない
  九州男児の世界において、

  黒澤映画をこよなく愛し、
  トリュフォー映画ゴダール映画に憧れてきた、
  ひょろっひょろの文学青年、それが父。

  集団就職に向かう従兄弟や、
  菓子職人として修行に出た弟から、
  映画雑誌やパンフレットをお土産にもらい、
  田舎では観られる機会も無い映画を、
  頭の中だけで創り上げては楽しんでいた。

  話し相手など身近に誰一人存在しなかったので、
  晩酌のそばに次女の私を呼び寄せては聞かせる。
  父親の晩酌に(酒は飲んでいないが)付き合うなど、  
  母親からは推奨されていなかったので、
  「生意気な娘だ」とえらいこと嫌われる。


ヴェルレーヌとか言いやがる

  そんな次第で小学校低学年の娘に向かって、
  「ヴェルレーヌくらい暗誦できるようになっとけ」
  とか酒にも酔ってぬかしやがる。

  「秋の日の ヴィオロンの ため息の」
  とか目を閉じそらんじて見せやがる。

  「父上。それは上田敏です」
  「あ」

  「上田敏の名訳ではありますが、
   日本語でありヴェルレーヌそのものではありません」
  「あ」
  と父は冷や汗をかきつつ固まったので、
  その場で納得していただけたと思うのだが、

  そばで聞いていた母からは、
  「父親に口答えするなんて嫌な子」と、
  大変に嫌がられた。

  余談だが小学校低学年の私が上田敏を知っていたのは、
  母の愛読書であった森瑤子さんの小説の、
  タイトルに使われていた一節だったから。


南こうせつさんに無礼な

  正直この父にしてこの私だとは思っているのだが、
  歌の上手い下手はともかく聴いて味わうのは大好きで、

  「いやぁ〜。『神田川』の歌詞は良かなぁ。
   『若かったあの頃 何も怖くなかった
    ただ貴方の優しさが 怖かった』て、
   こんな歌詞を書ける南こうせつは天才だぁ!」
  とテレビに向け右手を振り上げたところで、

  「『神田川』の作詞は南さんじゃないよ」
  「あ」
  「こないだ歌が生まれた背景を探る特集番組で見たけど、
   喜多条 忠さんだよ」

  すると父親は右手を振り上げたままクルリと振り返って、
  「そうじゃろう?」
  とのたまった。
  「は?」
  「あがん歌詞あん大将には書けんと思いよった」
  「父上。間違いを指摘された恥ずかしさを、
   ごまかすやり方としては大変失礼です。
   先ほど誉めた方は誉めたままでいなさい」


出来はともかく見たい

  時は下ってアルコール依存症の連続失業時代に、
  自室で酒を引っ掛けつつ、
  パソコンに向かっているなぁと思っていたら、

  「ゆきこ。ゆきこ。こがんとはどうだ」

  と呼ばれて見せられたのは、
  架空の映画広告

  切なさに内心涙があふれかけてはいたが、
  どれどれ、と覗いたキャッチコピーの、
  二行分だけが未だに忘れられない。

    チューリップハットの○所広司が街を駆け、
    血まみれの美○明宏が空を飛ぶ。

  「お前、これ書かんか。やるぞ」
  「中身は一行も書いてはいないのですか」
  「書いちょらん」
  「書いてみたら良いじゃないですか。
   むしろ父上が書くべきものと思われます」

  しかしながらこの会話は、
  背後に忍び寄っていた母親に聞かれており、
  気配に気づいて父娘ともが振り向いたその瞬間から、
  憤怒相で泣きながらの説教を受けた。

  酒に溺れた無職が何をくだらない遊びに耽っているのかと。
  ゆきこもゆきこだ。こんな父親を恥ずかしいと思わないのか。
  娘ならば持ち上げず、全力で泣きながら止めなさいと。

  隣に正座しながら御説ごもっともとは思っていたが、
  私としては何であれちょっとでも好きな事をやっていた方が、
  依存症だけはマシになるかと思われたんだが。


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