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『太平記』の感想とかもろもろ

 2022年中に、
 読み終えてしまいたかった『太平記』、
 6月から読み始めていた聖書に英語学習も中断して、
 なぜ読み続けていたかを今こそ語ろう。


1、推しが好きなものって好きになりたいよね

  そもそも2018年に、
  曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』に読みはまって、
  馬琴先生あからさまに『太平記』から引用してるし、
  文章の所々にも影響が見られる。

  『八犬伝』はもちろんとしても、
  馬琴先生その人が大好きになった私としては、
  そりゃいっぺん読んどかなきゃでしょ。

  じゃあ『水滸伝』から読めよって言われそうだけど、
  他にも理由があるから置いといて、

  読み進めていると馬琴先生、
  江戸時代に大人気で中身もみんなある程度知っていた、
  『太平記』の雰囲気をあくまでも下支えにして、
  また異なる世界観を創り上げたんだなって思う。

  まぁクリエイターたる者そうだよね。
  好きな作品と同じ物作る意味なんざ無いのよ。


2、ってか作品舞台が結構地元

  九州からの移住民で、
  根っからの住民じゃないからだけども、
  千早赤坂村とか吉野の蔵王堂とか藤井寺天王寺とか、
  めっちゃ観光しまくってるやん私。

  源氏発祥の地である石川って、
  めっちゃサイクリングロードやん。
  あそこかい!
  ってあまりにも身近過ぎてウケる。

  九州も辺境生まれの人間としては、
  知ってる場所が古典文献に登場する時点で、
  相当に新鮮なのですよ。

  『太平記』中の九州なんか、
  博多に阿蘇に薩摩の島津家止まりだし。


3、楠のおっちゃんそないに偉かったん?

  そんな感じだから楠正成は何か嫌いじゃないけど、
  地元の気は良いけど近付くのは結構怖いおっちゃん、
  言わば竹本テツ@じゃりん子チエみたいな印象で、

  明治から太平洋戦争期に掛けての、
  無私の忠君として讃えられてた歴史観が、
  まったくもってピンとけぇへん。

  足利尊氏が国賊みたく言われてたのも分からん。
  そもそも私、
  誰か一人を讃えまくったり悪と断じたりって状況が、
  相当に好きじゃないってのもあるんだけども、

  後醍醐天皇って確か絶えた側だよね?


  ……だと思うけど正直南北朝時代を詳しく知らんので、

  それ以前にあくまでも「創作」とは言え、
  南北朝時代を史実も参考にしつつ、
  全体的にまとめた文献も、
  『太平記』くらいしか残ってないらしいので、

  特に皇統が二系統に分かれた理由と、
  統合できた経緯を知りたかったんだが、
  そこは『太平記』以前と以後の話で、
  ちょうど記されていなかった。

  ガッカリついでにざっくり調べたけど、
  後嵯峨天皇が後継者を明言しないまま亡くなったので、
  第3皇子と第4皇子とで関係者も巻き込んで揉めた。

  足利義満の時代に和議が結ばれて、
  南朝から北朝に三種の神器渡す儀式行って、
  だから統合したんであって絶えてないらしい。
  そこは失敬。


4、最後にして最大の理由

  正味な話『太平記』を読破する事で、
  私は確認したかったんだ。


  うちの国大した事なくない?

  って言うよりか、
  この程度の歴史を大したもんだって思い込んでる連中、
  たかが知れてない?

  この際断言しちまうけど、
  明治以降の政府に軍部の内の誰一人として、
  『太平記』通読した奴いねぇだろ。

  なんとなくみんながふんわり知ってる雰囲気だけで、
  「楠正成カッコいい」とか、
  「足利尊氏悪い奴」とか、
  「日本国民たる者天皇に忠誠を誓わなきゃ」とか、
  適当な事言い続けてただろてめぇら。

  あるいはだ。
  あちこちに挟まれまくってる、
  三國志だの仏教説話だのに圧倒されて、
  すげぇ事正しい事言ってるみたく思い込んだだろ。

  はっきり言っちまうけど、
  アレいっちばんしょうもない知識の使い方だからな?

  現実に巻き起こる諸問題に対して、
  過去の、しかも外国の、時に伝説を、
  参照ばかりしてねぇで、
  目の前に見えてる実物からの情報分析しろや。

  誰もが誰かのせいにして、
  釈迦の威光が届かない酷い世になったって、
  嘆いてるだけじゃねぇか。
  阿呆揃いか。たわけどもが。

  その点では確かにやる事やってた奴、
  楠一家を筆頭とした武家くらいだが、
  その一方で戦の度に民家が焼かれてる。

  兵糧も奪われてる。
  
戦の度に当たり前のように繰り返される記述に胸が痛い。
  お前ら繰り返し過ぎて何とも思わなくなってるだろうが、
  飢えて凍えて死んでんだよ人間がたくさん。

  皇族の方々に対しては裸足で土を踏まれただけで、
  「おいたわしい」って涙して、
  前々から気が付いてはいたがこの国は、
  純然たる身分・階層差別を土台に成り立っているぞ。

  しかし、
  しかしだ。

  辺境とは言え日本国に生まれ落ち、
  主に日本国と近海で獲れた物を食べて育ち、
  方言メインとは言え日本語を駆使して生きている以上、
  私は我が国を決して、
  ただ悪とだけ断じて見限るまい。

  現代にまで存続し現実に存在している以上は、
  天皇陛下という一人の人間のお立場に対しても、
  敬意を払おう。

  考えてみれば多くの人に分かってもらえると思うんだが、
  後生大事に守り抜くほどの、
  完璧な国家に社会など、
  今現在どこにも存在していないだろ?


  つまり常に改良の余地はあるだろ?


  現状を見詰めた上で、
  改めるべき点は、
  私に成し得る範囲で改める方途を探る事に、
  私は力を尽くす。


ここからは私の妄想なんだけど

  作者だとされている玄慧法印は、
  後醍醐天皇か次の後村上天皇が、
  京に戻れるその時までを記録して、
  「やっぱり仏教(の特に禅宗)ってすごいね」って、
  まとめたかったんじゃないかと思う。

  後醍醐天皇亡くなって、
  玄慧も亡くなって、
  玄慧の遺志を継いだ弟子達は、
  南朝が京に戻れなさそうな状況を前にして、
  次第に記録する意義を失って行ったんじゃないかな。

  おそらく足利義満時代の和議も見届けて、
  良かったけど自分達が望んでいた結末ではなかったから、
  補佐として細川頼之が上洛したところで、
  そっと筆を置いたんじゃないかな。

  何にせよ書き遺すってエネルギーがいるんだ。
  それも今よりはるかに紙も墨も貴重な時代に。

  その労苦を負った人を私は嫌いになれないし、
  「史実じゃないから参考にならない」とか、
  「妖怪出て来て荒唐無稽」とか、
  ひと口に否定は出来ないよ。

  玄慧法印と、
  名前も推測されていない弟子の方々(多分二人はいる)、
  お疲れさまでした。

  最後の一文を書き終えた瞬間は、
  ホッとしたと同時に気が抜けたよねきっと。

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