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実際どうする自分だったら

 想像してごらん。

 生まれた家が数百年、どうかすると800年近く続くお寺で、
 それもご本尊が国宝とか重文だったりする由緒正しさで、
 そこで長男として育てられた、その心持ちを。


 勤行の後には御住職がお話をして下さるのですが、

 実は私、この道中においてどなた様に対しても、
 「noteで記事にしますけどよろしいですか?」
 といった許可は求めず、
 
一旅客としてやり過ごしておりますので、

 具体的な宿坊名に、
 御住職の名前を出すわけには参りません。

 高野山開山初期からのがっつり歴史ある寺院、
 くらいしか書き込めない上に、

 舌を巻くほど流麗だった御住職のトーク力も、
 要旨をざっくりメモしたものを、
 まとめた程度の再現性しかないのですが、
 (しかも偏光の解釈と文調に変換されていますが)、

 面白いお話と感じましたので記録します。
 従って以下の文責は私、偏光が負います。



 お大師様が広めた真言密教は、
 つまりどういったものかというと、マンダラの世界です。

 マンダラ、ご覧になった方は、
 数え切れないほどの仏の描写に圧倒されると思いますが、
 あの中の誰一人として同じ仏はいないわけです。

 マンダラを目にする以前の仏教に、
 それほどの膨大な数の仏はいなかった。
 それまではほとんど全て、釈迦如来像なんですね。

 釈迦如来お一人が目標であり、規範であり、
 この汚れた世の中から救って下さるお方だったんです。

 「厭離穢土、欣求浄土」という言葉がありますよね。
 今大河ドラマで徳川家康が旗印にしている、アレです。

 「汚れたこの世を厭い離れて、浄土を目指しましょう」
 といった意味で、
 家康は浄土、とまでは言い切れなくとも、
 浄土に少しでも近付ける世の建設を目指したのでしょう。

 元々仏教にあった文言なんですけれども、
 若き日の空海は、おそらく、
 当時は家康よりもはるか以前ですが、
 この文言に疑問を持っておられたんじゃないかと。

 「この世ってそんなに一刻も早く、
  忌み嫌って逃げるような場所でいいの?
  自分のこの命って、
  数え切れないほどたくさんのご先祖様に、
  繋いでもらった命じゃないの?」
 といった事を、
 若い内から突き詰めて突き詰めて考えた結果、

 これはお大師様の言葉として残っているんですが、
 この世界そのものがマンダラだと。

 同じ仏は一人もいない、と言う事は、
 同じ種名で呼ばれていても、同じ鳥は一羽もいない。
 同じ花の名で呼ばれていても、同じ花は一輪もない。

 我々もそうです。
 人類としても日本人としても、同じ人は一人もいない。

 みんながみんな同じ考え方で価値観で生きる、
 と言うのは、
 確かに安全に思えて平和かもしれませんが、
 何と言いますがその、

 薄っぺらいじゃん。

 一人一人が違うって、
 一人一人が、それぞれに、仏様である、
 仏様にも成り得る性質を有している、この世というものは、

 それは正しさ同士がぶつかり合って、
 時に大変生きづらい、
 苦しさに身をよじるほどに生きづらいんですけれども、
 すみません。正直に言って、

 面白いじゃん。
  

 苦しくても、苦しいんだけど、多分、
 厚みがあって広がりがある方が良いじゃん。
 きっとペラッペラに薄い方よりは、
 よっぽど生きてるって感じするじゃん。


 ええ。ですから、私の文調に変換しました(汗)
 実際にはもちろん「じゃん」とか言っていませんよ御住職。

 ですけど心の奥底から滲み出る想いは、
 そんな感じに聞こえた。


高野山の旅まとめ

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