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明け方の呟き

 ここ数日の寝起き5時半とか6時頃に、
 不意に頭に浮かんできた文章的なイメージを記録。

 書き捨てて今日は旅に出るぜ。
 余談だが「旅の恥は掻き捨て」ってのは、
 迎える側が気を遣って言ってやる文句だと思うぞ?


 神様が、
 見えるわけねぇし誰かから見せてもらえるわけねぇよな。
 そりゃだって俺自身が神だからよ。

 ……ドリフ(長さん)かよ。
 っていやマジでマジで。
 何も私に限らず誰もがそうだって。
 え? 気付かなかった?

 話はガラリと変わるんだけども、
 この世は「貧しい」と「賤しい」を、
 あまりにも軽々しく結び付けて、
 しかも長々と思い込み過ぎたよね。

 貧しい集団の中にも貴族はいるし、
 裕福な集団の中には賤民はいるよ。

 「他人の文章読みたくねぇよ。めんどくさい」
 って気持ちは分かるし、
 ぶっちゃけ私もそう思うところはあるんだけども、
 より正確に言うと、

 「(自分が侮っている)他人の文章」だからな。
 推しの文章であれば意味不明だろうが、
 若者言葉の羅列だろうが、
 調べつつ一字一句食い入るように読み進めるだろう。

 私はその現状を嘆いているわけではない。
 文章とはすなわち技巧より内容よりも、
 それを書き放つ人物の「声」だと言いたい。

 ですからね、
 たどたどしかったり文字や文法が間違っていたりしても、
 人柄が現れ出て胸を打つ文章がある一方で、

 高い地位にあり尊敬を集めておられる方でも、
 流れるように壮麗たる美文で、
 品性下劣な本性を書き表されていたりもしますの。

 ええ。御本人もお気付きにならず、
 なおも金言のごとく有難く拝読されていたりもしますの。


 学歴も性別も関係無く、
 美醜も技巧も本当を言えば必要無い。

 個々人本来の「声」が余すところなく現れ出るという意味で、
 文章ほど自由を謳歌できる表現形式は、
 実は存在しないように私は思っている。


 ってなわけで某・神が住む山に行ってくるぜ。

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