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2023年に置いて行きたい3/4:女性が有する機能の一つ

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 人生が終わるわけではない。
 つまり女性としても終わってなどいない。

(文字数:約2500文字)



あえて居丈高に申し上げたい

  EDだの中折れだの、
  逆に今でも現役お元気ですねだの、

  そうした言い合いを見聞きする度に、
  男性という生き物はまぁ、
  なんと可愛らしいものかと、
  私は思ってしまうんですの。

  女性という生き物の方はだな。
  この世に生まれ出る以前、
  母親の胎内に宿っている時点から、

  一生涯に身に孕む事ができる個数の、
  卵細胞を装備しているんだよ。

  そいつを使い切れば、
  掛け値無しに文字通りの、
  残酷なまでに不可逆的な、
  打ち止めだ。

  嘆く余地すら無い。

  

2023年12月頃の母からの電話補足

  然るにこの私、偏光も、
  どうやら2023年12月近辺をもって、
  打ち止めと相成りそうな様子だ。

  明確に断言できないのは、
  生物学系の文献や、
  貴重な経験談に当たってみた限り、
  見た目上の現象をもって終了と、
  言い切れる性質のものではなさそうだから。

  終了して見えてもしばらくの間
  (その期間にも個人差がある)は、
  受胎能力を保持しており、
  生殖能力の一切が絶たれるわけではない。

  前回の記事に書いた、
  母からの電話では、
  この事についても話した。

  なぜそのような、
  自ら地雷を踏みに向かう真似をするかと言えば、
  確認したい事があったからだ。

  母の小学生の頃からの親友には、
  まだ月のものが来ているのにと、
  母が嘆いていた事を覚えている。

  あれはいくつくらいの事だったかと訊くと、
  「45歳頃だ」と言う。

  となると私もそう長い方ではないだろうし、
  そろそろ終わりが来てもおかしくない年齢だ。

  母は自分の実際は棚に上げて、
  「早すぎる」「異常だ」「おかしい」
  と私に対しては嘆くのだが。


当たり前のような口封じ

  この圧倒的かつ不可逆的な、
  機能(のただ一つではあるが)喪失と、
  それに伴う皆無ではない寂寥感をだ。

  誰一人何一つ表向きに、
  語る機会が無いのはどうした事か。

  女性同士であっても、
  せいぜい更年期障害の症状を訴え合う事で、
  推測し合いお互い様だと慰め合う程度だ。

  その一方で女性同士も60代を越えれば、
  割と皆さんあけすけに放言する。

  それはそれで困ったものなんだ。
  ボランティア仲間も先日語っていたが、
  室内には男性もいる事はこの際不問にしても、

  「無くなっちゃうとラクチンよー」
  などと聞かせられている私は、
  皆さんと違って子を産んでいない。

  「いいですねぇ。早くそうなりたい」
  と答える今年40歳のボランティア員は、
  結婚していないし、
  結婚を諦めたかどうかも分からない。

  人それぞれに異なる人生がある以上、
  同じ重みや解放感では受け取れない事くらい、
  察して頂きたいんだ。

  その辺りを察した上で、
  完璧には不可能でもある程度は配慮した上で、
  現在進行形をリアルタイムで語る者が、
  誰一人見当たらないのであれば、

  私が語ってやろうじゃないか。


複雑怪奇な胸の内

  一応配偶者(・ω・)には報告して、
  了承も頂いてある。

  「もうそういう事になっちゃうんだ。
   さみしいねぇ(‘・ω・)」

  「それって男に例えると多分、
   勃たなくなる感じだよねぇ(;ω;)」

  「ちょっと違う気がするんだが、
   一応は勃つけど保たないどころじゃなく、
   ちっとも勃たない事が確定した感じかな」

  「さみしいよねぇ(TωT)分かりますよ」

  聞いてくれて分かってくれる配偶者である事は、
  大変に有り難い。

  正直に言ってしまうと私の場合は、
  あくまでも私の場合に限ってだが、
  確かにスッキリした面もあるんだ。

  これで自分の身を余すところなく、
  自分一人の思考に基づいて使える。

  より正直に言ってしまうと、
  妊娠したかもと感じた過去数回の方が、
  背筋が凍り尽くす感じに恐ろしかった。

  もちろん配偶者とは仲が良く
  (というより私は配偶者以外とは、
   黒人格が噴出し吐き気に号泣が止まらず、
   緊張で硬直し物理的にも致せなくなるので、
   そもそも女性側の役割に向いていない。
   ってか配偶者が許容範囲にあっただけで、
   女性の方がよっぽど見惚れるし、
   男性的とされている要素に別に惹かれやしねぇ。
   むしろそっちは要らねぇって感じなんだが)、

  (注:配偶者が女性っぽいわけではないが、
     鳥肌実氏のネタであった、
     「奉り納めると書いて奉納の精神」に、
     大爆笑した後心に留めてきた点が大きい。
     「奉納の精神」が有ると無いとでは、
     女性側の満足度が段違いだ。)

  (失礼。余談が極めて長くなった。)

  私の心身に生まれながらにして、
  高純度の負荷が掛かっていなければ、
  受胎も可能だったと思われるが。

  私どころか私の子供も、
  当然のように自分たちの価値観に組み込んで扱う、
  私の両親である事は分かり切っている。

  助けにはならないばかりか、
  呪いしか吹き込まない。

  私自身が虐待する事が無くとも、
  両親の方で私から、
  異常な育て方をされているとしか考えない。

  一般的な人生であれば、
  親に孫の顔を見せたいと願うものだろうが、

  私に限っては子が出来ていたとしても、
  アイツらに会わせるのは真っ平ごめんだった。

  孫の顔なら幸いにして姉が見せてくれたし、
  現実に姉の子供たちに対する幾多の暴言も、
  姉越しに伝え聞かされている。

  姉の子たちですらそれだから、
  私の子であったなら推して知るべしだ。

  思い込みによって自分の人生を制限した?
  違うね。

  確実にそうなる事が分かり尽くしていたから、
  必ずしも子を持つばかりが人生ではないと、
  私の遺伝子が回避してくれたんだよ。

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!