見出し画像

今こそ読んでほしい、この本

  ……って「私の本」に決まっているだろう。


  いや。
  まず聞いてくれ。

  「出版なりデータ販売なり出来てから言いやがれ」
  といった苦情も甘んじて受けよう。

  自称であれ小説家たるもの、
  そのくらいの気概は持った上で、
  己が作品を書きたいではないか。

  違うか。しかし違っても別に良い。
  人それぞれだと私は思っている。

  とは言えまず大前提として、
  今現在を生きている人間の、
  それぞれの血肉を神経を感覚を通した文章こそ、
  今読まれるにふさわしい、
  と私は常々思っているんだ。

  名立たる古典に文学作品は、
  人類の共有資産であり、
  尊崇敬愛に値するものだけれども如何せん、
  過去なのだから。

  本物の刃を付けた刀を槍を手に出来た事が無く、
  米もかまどに薪では焚いていない我々が、
  当時と全く同じ感覚に価値観をもって読む事は、
  不可能に等しいのだから。

  もちろんそこにいるのは人間だという、
  共通点はあり類似点も見つけ出せる。
  しかしながら往々にして作中人物が語る理想の社会像は、
  今現在の我々だ。

  つまり今現在の諸問題は、
  今現在を生きている者達が対応する以外に無い。

  誰もがライター・小説家を名乗れる時代にあっては、
  信用の置ける文章を見つけ出す事が難しい、
  かのように思われるがさにあらず。

  文章という表現形式が、
  ようやく純然たる庶民の駆使できる所にまで、
  下りて来てくれたのだ。
  我々は現状をもっと誇り祝しても構わない。

  今や仰ぎ見るほどの高みから、
  「人間とは何たるか」を、
  「理想の社会とは如何にあるべきか」を、
  教えて頂かなくても良くなった。

  我々個々人のメンテナンスにカスタマイズこそが、
  社会かつ人生そのものだと、
  胸を張って言い切ろうじゃないか。

  ……と言うわけで私の作品は、
  私のクリエイターページの、
  無料マガジン『誰か読んで』に、
  各種取り揃えておりますけれども、

  アドレス添付は致しませんのです。
  ここで私のアイコンぽちっと押してくれない時点で、
  それはもうお愛想程度の御興味も無いじゃないですか。
  そうした方にまで無理して読んでとは申しませんよ。

  読み飛ばされたって分かられなくたって、
  すぐ忘れられたって構わないです。

  ただしんどい思いをしている時に、
  似たような状況を表した一文が、
  ふっと頭をよぎってくれればいいと思っている。

  だからってしんどい状況は何も解決しないんだけども、
  似通った感覚が頭のどこかに文章化されてある事で、
  ふっと冷静になれたりもするから。

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!