御影堂公開時に天使に会う
御影堂での法会が終わり、
菩提寺の御住職とはここでさようなら。
整理券の順番にふんわり並んで、
番号が近いものだからもちろん、
おっちゃんにも再会したぜ。
整理券をもらうために並んでいた時から、
隣に造営されていたんだが、
整理券無しで入れる、
以前からの檀徒さん達のレーンも設けられている。
これを「ずるい」と感じて口にするのは簡単だが、
つまり常日頃からお布施を払っている人達なわけで、
その人達が是非とも拝観したいからこそ、
我々観光客は並んで整理券もらって順番を待つ程度で、
無料で拝観させてもらえるわけなので、
私は納得尽くなのだけれども、
おっちゃん隣でひたすらボヤキまくり。
「まだかー」「いつまでかかるんやー」
「最終バスに間に合うんかこれー」
「バス停まで走らなあかんやんー」
しかしながら「ちょいうるさい」とは正直思いつつ、
おっちゃんに同情も禁じ得ないのは、
「寒いわー!」:(;゙゚'ω゚'):
「ですよねぇ」(;・∀・)
大阪の平野部から高野山の山頂まで、
気温はざっくり10度ほど違いますからねぇ。
私も周りの方々も心得て準備して来ましたけど、
今日ふらりと立ち寄ったおっちゃんはそら、
陽も落ちて夜も更けて寒くてたまらんっすよね。
それでも時々ふっと、
「ああ。ちょうど真上のあれ、北斗七星やん。
法会でライト明るなかったら星キレイやろなー」
とか呟いてたりして、
余裕さえあれば悪い人ではない事くらいは、
分かるしひしひしと伝わってくる。
「ほんで御影堂って中何あるねん」
今更な事を改めて訊かれて、
どう答えるべきか悩んでしまったんだが、
そう言えば何かを見るために並んでいるわけではない事を、
おっちゃんにどう話せば伝わってもらえるだろうか。
ざっくり45分は待った上で、
50人単位で中に通される。
するとおっちゃん、
中盤以降から人の隙間を縫うように出て行った。
そのままバス停まで走ったであろう。
愛想尽かしがちょっと哀しい。
しかしながら理解する。
内部は薄暗く、
よっぽど慣らした目を凝らさなければ内陣奥にある、
お大師様のお姿など見えはしないのだが、
50人規模で入ったので、
前にも後ろにも人が控えているので、
そんなにゆっくり時を過ごすわけにもいかない。
ただこの空間に身を置けた事を有難く思うばかりだ。
そして内陣の左右には、
煮物やご飯、お菓子に果物といった、
お大師様へのお供物がお膳に乗せてずらりと、
ざっくり20基は並べられてあり、
前後の檀徒さん達が、
お膳の一つ一つに小銭を投げる投げる投げる。
なるほど小銭を手の内に準備しておくべきだった。
薄暗いので財布が取り出しにくいので、
内陣正面にお賽銭を投げるのがやっとだぜ、
と今の私には思えるものの、
かつて親が入ったキリスト教系新興宗教のミサに、
ムリヤリ参列させられた小学2年の私は思ったものだ。
「え。金取るのっ? これでっ?」Σ(○□○)
あのおっちゃんはきっと今、そう思った。
そしてそれはあのおっちゃんの、
これまでの人生に今現在の状況を照らし合わせて、
何ら間違っていない。
もちろん以前からの檀徒さん達も間違っていない。
そもそもこうした法会はこの方々のためのものだ。
もちろん私も間違っていない。
私の推し仏である大日如来は、
生きとし生けるもの誰にでも、
信仰心が中途半端な者にでも慈悲心を向けて下さるはずだ。
(だからこそ大好きそうなりたい♪んだが)
自分ただ一人では味わい切れない感覚や意見を、
思い知らせて考えさせてくれる人を、
私は「天の使い」という意味で、
「天使」と呼んでいるんだが。
あのおっちゃんは天使だ。間違いない。
何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!