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みんぱくシンポジウムメモ

 シンポジウムの聴講記事自体は、
 先日書いて公開したのですが↓


 こちらは講演を聞きながら取っていたメモを、
 なるべく聞いた流れでまとめたものになります。

 これはこれで、
 いやむしろこっちの方が、
 面白く感じる人もいそうだな、
 と思って。

(文字数:約6500文字)



フィジー博物館長シピリアノ・ネマニ・ラヌクさん

 1800年代フィジーの酋長の写真:600フィートものタパを着ていて、ドレープの数に厚みがものすごい。
 樹皮布は一般的にはTapa(タパ)だけど、フィジーではMasi(マシ)とよぶ

 まずはフィジーの紹介映像。バッグに流れているのは伝統音楽。

 元々文化人類学者。政府から依頼を受けて、太平洋で最も古い美術館の館長になった。
 美術品を保存する計画が始まったのは1904年、第二次世界大戦中は地下も使って、現在の建物は1955年開館。国の文化財は二種類の法律で守られている。
 収蔵物品は1万点以上。他に映像資料・文書・考古学資料。とは言え島なのでサイクロンも来るし保護が大変。

 人間国宝的な職人マケシタ・マケモシさんによる、タパ製作の映像。
 キャシャキャシャ(染色技術)で染めた模様全体のテーマは、
 「フィジー航空会社」←(私はちょっと驚いた)
 若手芸術家が「気候変動」をテーマにしたりもする。

 シンボルの意味は基本的に作家ごとの秘密。部族のステータスやヒエラルキーだったりして、部族の歴史や物語が表現されていたりもする。
 だから図案だけマネたって精神は写せないよ。

 博物館としては今後エリート層だけじゃなく、地域の人に開かれた施設にしていきたい。国外交流の拠点としても更に活用したい。


北九州市立大学院生緒方良子さん

 タパは植物由来なので腐食が進みやすい。最古の叩き棒は7900年前の物。
 カジノキだけとは限らず、パンノキやボダイジュで作ったりもする。

 フィジー共和国バトゥレレ島のTaunobo村で、約3ヶ月滞在しタパ作りを体験。製作映像。
 1、2年くらいの木を採取。→皮をはいで7、8枚くらいに割く。→海水(繊維がほぐれやすくなる)に一晩つける。→ヤトゥワ(平たい台)に広げてイケ(棒)で叩く。→数枚を重ね合わせて横幅60cm以上くらいまで伸ばす。→外で日干し。暑いから2時間くらいで乾く。端を切って成形。
 大体4フィート×6フィートくらいの布をステンシルで絵付け。茶色だけはマングローブから採取するけど、黒や鮮やかな色は着色料も使う。
 日曜を除いて毎日作業する。お金代わりになるからタパを作れば生活できる。冠婚葬祭や公式行事では正式な衣装とされ、棺に掛けるし誕生日パーティーでも着たりする。

 ソロモン諸島サンタクルーズ島のNea村でも、約3ヶ月滞在。製作映像。
 3年ほどの太い木を採取。→皮を広く取り破れないように丁寧にはぐ。→モニモ(丸太の台)に巻きつける感じにネェル(棒)で叩く。→海水で洗って乾かす。
 染色には黒しか使わない。松ヤニで作ったススと海水(発色の質が良くなる)を混ぜて作る。小さな木の版を手押しで模様付けしていくので、1日に1枚しか作れない。
 人口120人の村で、作っているのは一家族だけ。島では伝統的な踊りの衣装として使われるくらいなので、観光船が来る時を見計らってお土産用に。2ヶ月に1度くらい。若い女性は「そんなに売れないので作る事にも興味が無い」と言った。
 とは言え実は4種類の材木を、しかも使い分けている。「モカリ」からは白、「モニガロ」からは真っ白、「モトゥパ」からは濃い茶色、「モンビア」からは茶。興味深いのはどれもカジノキではない。

 現地の人も利用するので需要があって、1日に何枚も作れるようにある程度工夫していったフィジーと、
 現金収入につながらないので発展しない、とは言え、おそらく原初的なやり方がそのまま保存されているソロモン諸島。
 規模が違うので比較しにくい話だけど、この差は興味深い。


アメリカ領サモア市民大学教員レジー・メレディスさん

 オセアニアでの一般名称はTapaですが、サモアではSiapoです。
 祖母がSiapo職人で、叔母からも技術を学び、祖母の彩色ボードを譲り受けて、自分もSiapoを作り続ける決心をしたので、この講演ではSiapoと呼びます。

 同じくSiapo職人でタトゥーアーティストの夫と修復・保護団体を結成。
 国の補助金を受けることが出来たので、スミソニアン博物館を始めとする世界中のタパコレクションを研究。(伝統をオマージュした新しいタパを作り、その本を書くまでがセットのプロジェクト。)
 外国に保管されていたSiapoの柄が、自分が所有している彩色ボードと一致したりして、改めて博物館ってすごいと感動しました。(←確かにすごいよこの話)

 大好きなSiapo本からの引用:先祖からの遺産とバイタリティを受け継いでほしい。→プロジェクトの本も出来ました。

 若い世代に興味を持ってもらうために、Siapoを使った衣装でダンスイベントを開いたり、サモアの議事堂の壁にSiapoを飾るプロジェクトで、彩色を手伝ってもらったりしている。結果老若男女色んな人が来てくれて交流してくれるようにもなった。
 現在パシフィックアートフェスティバルに向けて、自分も含めた5人の作家がSiapo作りを頑張っている。最後に先祖への感謝の言葉。

(団体の今後の発展のために大量生産は考えませんか? という質問に、
 今はまず興味を持って、ゆっくり時間を掛けてもらいたい、と返していた。
 未来は予測できないものだけれどSiapoが導いてくれると思う。)


国際芸術センター青森(ACAC)主任学芸員慶野結香さん

 1926年のドキュメンタリー映画では、日常生活にSiapoがあった。
 ファインマット(現地語ではイエ・サーモァ、イエ・トゥーガ。パンダナスの葉で編んだ布)は2017年ユネスコの無形文化遺産に登録。ファインマットと比べるとタパは製作地域が限られている。

 2017年からの2年間、青年海外協力隊で派遣された、サモア国立博物館。当時はドイツ占領時代の学校を利用していた(2024年に中国の寄付により建てられた、複合施設内に移動)。その中でSiapoに関する企画と展覧会を考案。
 職業訓練目的と教育目的のワークショップを開催。教育系ではSiapoの図案を研究、創作などした。

 2018年はアジア・パシフィック・トリエンナーレ(テーマはWoman‘s Wealth Project)が開催され、オーストラリアやニュージーランドを訪問。
 タパは現代美術にも使われている。
 ロビン・ホワイトさんは現在来日。7月まで製作予定。
 ユキ・キハラさんはサモアと日本のハーフ。紙布に環境問題をテーマにして、日本とサモア文化を融合させた図案(←中央にはゴジラもいた)。 

 日本の青森に帰って2023年、ACACでは福本繁樹・福本潮子さんの展覧会を手がけた。
 青森は三つの海に囲まれて布文化が豊か。山ぎもん、対馬麻、藤布、アイヌの半纏といった樹皮布に、藍染めの伝統もある。
 今年はロビン・ホワイトさんの新作を展示する予定。 


台湾中央研究院クォーファン・チュン博士

 岩佐嘉親よしちか氏がタパのコレクションを台湾に寄贈してくれた事で、進化生物学者の私に連絡が来て、タパについて調査する機会を得た。
 2021年の東京オリンピックではトンガの旗手がタパを着ていて感慨深かった。

 オーストロネシア語族という、言語的起源が同じ集団がいて、約5000年前くらいに太平洋の島々に移住・拡散している。日本で言うなら弥生時代あたり(※日本は含まれません。しかし弥生時代九州にいた原住民は可能性がある)。
 生物学的に3つの大きな謎が残されていて、
 1、言語的な起源は?
 2、遺伝的起源は?
 3、その時代になぜ移住・拡散したのか?

 80年代にブラスト博士が「言語拡散仮説」を発表。言語の系統樹を作成した結果、台湾が起源である説を打ち立てた。とは言えトンガとバヌアツで見つかった女性の骨はDNAを調べてフィリピン起源だと分かり、断言はしかねる。

 検証のためオセアニア各地に赴き動植物を採取、DNAを調査。カジノキもその一つ。東アジア原産の木で雌雄が存在するのに地下茎でも増える。
 しかしオセアニアに生えているのはほぼ100%メスの木。そしてDNAを調べたところ台湾から来ている事が確定。オセアニアに元々あった植物とも交雑していない。移住時に布を作りやすい株を選択して持ち込んだ可能性が大きい。

 なぜ移動したかについては「農耕言語移住仮説」(ブラスト・ベルウッドモデルとも)が当てはまりそう。農耕→人口増加→争い発生→移住、をオセアニアの東端イースター島まで繰り返したのではないか。

(九州のコウゾも台湾由来でしょうか? と聞かれて、
 九州のサンプルはまだ取っていないので断言できませんが、本州に6世紀ごろ、紙漉きと共に伝わったのは、カジノキとヒメコウゾを掛け合わせたハイブリッド種です、と答えていた。)


染色美術家福本繁樹さん

 オセアニアでは織物が普及しなかったのはなぜか。メラネシアとミクロネシアに一部あるくらい。
 はた織り機が登場する以前の布が、タパだという見方でいると、むしろオセアニアにだけ織物が広がらなかった事の方が不思議。

 とは言え美術家としては、タパが「贈り物」だったからだと考えている。つまり国や地域、集団によって異なるValuable(価値ある物)だった。
 日本の場合は金銀珊瑚に綾錦(宝石が無い。これも特色と言える)。
 古代中国の場合は宝の旧字、寶、に表されているように、玉(宝石)、ほとぎ(土器)、貝(通貨)。

 と言うわけで今回は、私のコレクションの中からオセアニア世界の宝の数々をお見せしますっ。(←何かこの人ウキウキ感)

 Shell Money:貝をビーズにして繋いだ首飾りなど。特に赤い貝は貴重。
 貝だけではなく動物の牙や骨も含む。ブタの牙は肉を取らずに育て続けると伸び続けて、(歯を抜いたりするなどの加工は必要だけど)7年で一周する。2周したものがエリザベス女王に献上されたし、独立後のバヌアツの国旗にも描かれている。
 Feather Money:ゴクラクチョウの羽で作った頭飾り。ゴクラクチョウはパプアニューギニアの国旗にも描かれている。軽いしカラフルだし伝統の踊りの時に衣装として映える。
 他にもフウチョウやオウム、インコの羽に、ミツスイという小さな鳥の胸部分に生える赤い羽毛だけを集めてロープ状に巻いた物(←ものすごい手間と労力。あと鳥の犠牲)は婚資(結婚を申し込む時の贈り物)になる。
 Mat Money:ここにタパが登場する。ShellやFeatherと同列の存在。
 1978年に撮影したバヌアツ中部に住むマイシンと呼ばれる人々は、それまで見た事が無い染色法なので、「棒締め染め(Pole-wrap-with-stencil)」と私が名付けたやり方で染色していて、工程も実に面白かったんですけど割愛。
 お祝いに使う5×30メートルの布を、専用の小屋で女性15人で協力して作ってる写真も。

 1983年に調査した地域を39年ぶりに再訪したら、太陽光発電でスマホ普及してるし、文身いれずみなんかは衰退したのに、タパは作り続けていた。
 自分たちの部族クランの紋章を染め出したり身につけたりする事には、やはりそれほどの意義や重みがあるようだ。

 少し前『銃・病原菌・鉄』という本が流行り、西欧社会が世界を席巻できたのは、このタイトル3種の物質を駆使できたからだ、という主旨でしたが、
 オセアニア社会においてこの3種は、「伝わらなかった」のではなく「受け付けなかった」のではないか。
 Dominannce(支配力)によって統治される社会ではなく、
 Prestige(威信)によって協力を得る社会を築き上げていたのではないか。

 ホモサピエンスは社会的動物であると同時に感情的動物でもある。
 思考を育んでくれる言語と同時に、感情をもたらしてくれるValuableが必要であり、それがArtの源泉になるのだろう。


映画監督(ヴィジュアル・フォークロア代表)北村皆雄さん

 すみません。自分から話すのは得意じゃなくて、場違いかもしれません。

 冒頭からそう述べつつも現物資料。カジノキの枝を半分タパに、半分糸にほぐしたものと、布にまで成形したタパと木綿ゆふ

 日本書紀の伝説:鹿島の神と香取の神という、武力を誇る二柱が、自然界を、草木に至るまで支配して悪霊も全て追い払ったのに、唯一「星の神」だけは支配できなかった。
 しかし文布しずりの神にお願いしたら従わせ切れたという。武力を使わずに、何の力使ったの?
 って疑問から解き起こして映画を作りました。

 魏志倭人伝でも倭人の衣服は「木綿ゆふ」と記されている。
 日本にはタパが存在した確証がない。湿気が多いので腐食しやすいのと、糸にして織る方が発展した様子。正倉院内の銅鏡に付いている紐だけは、実物を見てタパを作る実験もして、タパだと言い切れた。だから私はタパもあったと思う。

 一方で木綿は徳島では太布たふと呼ばれる。阿波の忌部いんべ氏は、古代から歴代天皇の大嘗祭(即位式)のための、荒妙あらたえを調進している。
 現在も子孫の三木家が継いでいるけれど、麻布に変わっている。しかし三木家に残る木綿を調べたら確かにカジノキ。実はしばらく途絶えていたのを大正時代に復活させた。その時の法典にも「今回に限っては麻を使うけれども要検討」って書かれていた。

 天照大神が天岩戸に閉じこもった時も神々は、榊に勾玉と文布しずりを飾ったと書いてある。真っ白な布から光を連想し、光の甦りを期待した様子。

 忌部氏はカジノキと共に千葉から茨城まで移住。東北との境界にある大甕おおみか神社には、甕星みかぼしという名の豪族を服従させた、建葉槌神タテハヅチノミコトが祀られている。
 別名、倭文しずりの神。
 映画はダイジェストを13分ほど。大阪では6月7日から第七藝術劇場で公開します。(←なので全ては明かされなかったけど、建葉槌、って漢字の並び、タパっぽくない?)


おまけ:国立民族学博物館小野林太郎さん

 今回のシンポジウム実行委員会代表、の方で、趣旨説明に発表者紹介に、総括を担当していらしたのですが、
 何せ小野さんも研究者なので、触発されて語りたい語りたい。

 小野さんの専門はインドネシアのスラウェシ島、って東南アジアだから今回の対象地域であるオセアニアとはちょっと逸れてるけど、そこでもタパ作りは盛んで、石製のビーター(叩き棒)が多く出土する。木製のビーターが主流なんだけど何せ腐食するから。
 そしてそのビーターの形に装飾の多彩さが……、と結果的に小野さんが持ち時間超えてはる。興味深いけどずっと張りっぱなしだった集中力、切りかけの状況で正直しんどいよ。

 今現在みんぱく本館展示の最初のエリア(それこそオセアニア)に置いている、復元船チェチェメニ号は、現地語で「よく考えろ」という意味なんです。
 我々も世界の文化や歴史に対するチェチェメニが必要ではないでしょうか。

 うん。良い事言ったと思うけど、この時点で16時40分で、博物館は17時閉館。もう本館展示は観に行けない時間なんだ。
 言われたら船本体を観たい人もいただろうけど、ちょっと残念。

 チェチェメニ号見た事無いし見たいって人には、本館展示の最初の部屋なんだし、シンポジウムに来た人は今回だけ、閉館前だしお金取らずにこっそり通してあげる、とか、できないかな? って思うんだけどこれは温情というより、大阪南河内の商売人の発想だよな。うん。
 また(^∀^)来てや


以上です。
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