見出し画像

シンポジウムに行ってきました

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 私の中で今樹皮布じゅひぬのがアツかったものだから。

(文字数:約3200文字)


    みんぱく創設50周年記念国際シンポジウム
    『海域から見る人類と文化遺産』
       2024年5月11日、5月12日開催


そもそもシンポジウムって何

  分かった気になってごまかしていて、
  具体的に何であるかは知らずにいた、

  ので調べた。
  ざっくり言うとつまりは、

  (堅苦しくない)研究発表会

  一つのテーマについて、
  様々な立場の専門家が、
  一人当たり30分くらい話して、
  質問は時間が許す限り受け付けるけど、
  討論しないし結論とか出さないよ。

  全体としての物語は、
  見た人聞きに来た人たちが、
  それぞれに持ち帰ってまとめてね。

  って感じで、

  普段完成されたエンターテインメントに、
  慣れてしまっているとところどころ、
  話の流れがもっちゃりしてたり、
  分かりづらかったりするかもだけど、

  私は小説家なので平気です。
  むしろ素材から組み立てるのが面白い派です。

  ですのでこれ以降は、
  私個人の連想も織り交ぜて、
  私感覚でざっくりまとめます。

  正確な情報ならきっと他に、
  真摯かつ丁寧にまとめてる方がいらっしゃる。


今回のテーマ

  主に陸上生活中心に見てきた、
  歴史や文化というものを、
  そろそろ太平洋から島々での生活から、
  見直してみてもいいんじゃない?

  って感じでまずは対象地域。

それぞれの国や島に住んでいる方には、
ちょっと哀しくなるだろうほどにざっくりで申し訳ないけど、
とにかく日本も含めての位置関係を大まかに掴んでほしい。


  一日ずつ7人。
  二日間で14人の専門家が発表。

  一日目は主にカヌーと伝統航海術。
  つまりは主要交通手段という、
  言わばハードインフラ面の話で、

  そっちも興味深かったんだが、
  さすがに自宅からドアtoドア2時間の会場に、
  二日続けては通えないな。

  二日目は主にタパ(樹皮布)の話。
  つまりソフト面での異文化交流であるからして、
  私が聞くべきはそっち。


タパ(樹皮布)って何

  主にカジノキ科の植物の、
  皮をはいで薄く叩き伸ばして作った布。

  タパ、はオセアニアでの一般名称、だけど、
    フィジーでは「マシ」
    ソロモン諸島では「モカリ」
    トンガでは「ガトゥ」
    サモアでは「シアポ」
  とか地域ごとの呼び名がある。

  ※似た感じの物にパンタナスの葉を編んで作る、
   ファインマット(ファインは繊維の意)がある。
   こっちも語ろうとするとまた一日分掛かる。

  フィジーとソロモン、
  両方で樹皮布を作ってみた研究者は、
  両者の制作工程と、
  流通状況の差について語り、
  (今でもお金代わりに重宝される島もあれば、
   観光客向けの土産物ってだけで、
   売れないから作りたくないって島もある。)

  サモアで祖母・叔母から、
  職人としての技術に道具を引き継いだ研究者は、
  政府から補助金を得て世界中の博物館を調査。
  保全や修復方法について学び、
  伝統紋様をオマージュした新作タパと、
  その過程を本にするまでのプロジェクトを語り、

  同じテーマでも角度や見方が違うから飽きませんよ。
  とは言え集中を途切らせる隙間も無いので、
  さすがに疲れる。


そもそもカジノキって何どこから来たの

  繊維部分が長くて丈夫なので、
  薄く叩き伸ばすだけで布になる。

  雌雄が存在する木で甘い実がなるんだけど、
  地下茎を切り取って植え付ければ、
  無性生殖(クローン)も出来るよ。

  ってかオセアニア諸国に生えてるカジノキ、
  ほぼ100%メスの木。

  これは約4000年前に、
  布になりやすい株を選択して、
  それぞれの島に移住しながら、
  人為的に運び込んだっぽい。

  そんなわけで遺伝生物学者は、
  現地のカジノキを採取しまくって、
  DNAを調べてみました。

  するとほぼ確実に、
  台湾から来てる事が分かりました。
  日本にも沖縄くらいまでは行ってる。

  どうして約4000年前に、
  わざわざ太平洋を渡って島々を、
  移住しまくったかって考えたら、

  これは私の勝手な想像なんだけど、
  開拓精神とかより素朴に、
  島が見えてたら行ってみたくない?
  行ける技術持ってて行けそうだったら。


これが日本も負けてない

  だけど日本では樹皮布って見ないよね。
  (東北・北海道にはあるんです、
   と青森の学芸員さんは語ったが)、

  それもそのはず九州以北の日本に渡ってきたのは、
  中国南部からの、
  カジノキとヒメコウゾを掛け合わせた、
  言わばハイブリッド種。

  紙きの技術と共に伝わったんだ。
  あるいはほぐした繊維を糸にする、
  はた織りの技術と共に伝わったんだ。

  漉き、や、織り、の工程を挟むのであれば、
  叩き伸ばすだけで布になるほどの、
  強靭な繊維は必要無いからな。

  木綿ゆふと呼ばれる際立って白い布になる。

  取り分け阿波(今の徳島県)の、
  忌部いんべ氏が織る荒妙あらたえは、
  光の象徴として、
  代々の天皇陛下の即位式に、
  今現在でも作られ使われ続けているんだ。
  (大正以降は麻布になってるみたいで残念だけど。)

  そしてこの忌部氏、
  千葉から茨城辺りまで、
  カジノキと共に移住している。

  安房(今の千葉県)は阿波から、
  結城という地名は、
  木綿を作る木の栽培地だった事から来ている。
  (日本書紀に記録されている、
   布の神様文布しずりの伝説にまで及んだけど、
   今回のメインはタパなので割愛します。)


美術家のたまわく

  話をタパに戻した上で、

  日本に樹皮布が定着しなかったのはなぜか、
  よりも、
  オセアニアに機織りが定着しなかったのはなぜか、
  の方が不思議だし重要な問いかけだろう。

  要するに、
  タパは今現在でも、
  貨幣代わりに流通する島が存在するほどの、
  Valuable、すなわち宝になっているわけだ。

  その社会内で充分に機能する通貨というだけでなく、
  文化的かつ、
  美そのものとしての価値まで備わっている。

  集会所に集まって、
  村の女性たち皆で叩き伸ばした布に、
  (もちろん叩き伸ばすだけとは言っても、
   繊維のほぐし方や均一なならし方に、
   技術があって職人は誇りを持っている。)

  部族の紋様や、
  部族の歴史を物語る模様を染色した、
  衣服を身にまとい、
  葬儀の棺にも掛ける事に、
  重要な意味が既に存在している状況で、

  ほぐして糸にして織る?
  やらないやらない。
  やる必要性を感じない。

  これは以前柳田國男の著書で読んだのだが、
  明治頃に木綿もめんが入って来て、
  それ以前の木綿ゆふに取って代わって以降、

  衣服は肌触りが良くなった一方で、
  人の肌は弱くなり病気がちになり、

  町中に繊維くず由来の塵が増えて、
  路上の土に馬糞も巻き込んで、
  肺を病む人が増えたそうなんだ。

  柳田氏の随筆であり学術調査ではないが、
  つまり文布しずり神の力ってヤツは……。
       ↑
  関連映画「倭文しずり 旅するカジの木」が、
  東京では5月25日から
  大阪では6月7日から公開されるそうなので、
  この話はそちらに続く、かもしれない。

  
以上です。
ここまでを読んで下さりありがとうございます。  

  

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!