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壊してみせろよその悪習

 「現状を打破しろ」とか、
 「もっと自由に個性を出そう」みたいな、
 歌のダンスが集団による一糸乱れぬシンクロだと、
 私はチグハグ感を抱いてしまうのだが、
 皆が気にならないのであれば、
 まぁどうだって良いんだろうな。

 そう書いてしまえば皮肉のように思われそうだが、
 その通りだ。

 何もSEKAI NO OWARIさんの、
 『Habit』(紅白出演時)についてだけを言っていない。

 Adoさんの『うっせぇわ』や、
 瑛人さんの『香水』を、
 幼児が笑顔で歌っている映像に対して、
 私が微笑ましく眺めてあげる義理は無いと思っている。

 むしろ文章マニアである以上は、
 「この歌はあなたが歌うにはまだ早いよ」と、
 忠告できる自分でありたい。

 あくまでも、
 「一般的と思われている映像」に過ぎないが、
 言葉に文章、全体としてのメッセージなどは、
 さほど受け取られていないように見える状況には、
 懸念を覚えている。

 もちろん、
 自室で自分一人でヘッドセットで聴いている時とは別だ、
 という大前提があるのだが、
 その大前提をはたして、
 どれほどの人が共有できているだろう。

 「近頃の歌は言葉を大事にしていない」だの、
 「昔の歌って意味分からないし有り得ない」だの、
 世代がほんの数年違った程度で、
 もはや共有できていないような気がする。
 あくまでも「一般的と思われている映像」においてはだが。

 ところで今回ここまでが実は前フリで、
 先にどう繋がるのか、
 読んで下さっている方々には未知数だろうが、

 私はどうやら製本には興味が無いらしいという話がしたい。


 もうすっごくめんどくさい。
 紙質とか本のサイズとか、
 表紙とか装丁とかどうだって良い。

 フォントサイズに字送り、行送り、改行位置、
 ページをめくるごとの、
 見開き単位の文字並びには気を遣いたいので、
 本文の製本データは作るし売るけれども、

 製本は欲しい人がそれぞれに、
 好きな表紙付けて請け負ってくれないか。

 私にはただただ文章を築かせてもらえないか。


 試しに製本してみた事はあるが、
 現物を手に出来た喜びは正直それほど無かった。
 大学の文芸部時代、
 購買部に本を並べてもらった事はあるが、
 まぁ購入する奴なんかいない状況と、
 部室に溜まる在庫に心が折れた。

 読まれた実感が得られなければ私には、
 本という体裁などむしろゴミだ。

 一行で良い。
 読んだ方の心に突き刺さって、
 血を涙をあふれさせてくれる事だけを望んでいる。
 音楽に映像がかえって妨げとなる場合すらあるんだ。
 文章マニアの特異な感覚においてはだが。


 私自身は私の作品の価値を疑ってなどいない。
 去年第二人格が暴れ出し執筆する自分を殺そうとしたが、
 言ってしまえば私の作品の、社会的な価値は、
 ひとえに他人様からの評価に基づいているからだ。

 読まれてもいない、
 望まれてもいない作品の製本に勤しむのは、
 作者であっても、いや、
 作者であればこそ超絶しんどいんだよ。


 加えて私の場合は、
 「点字版も同時に販売できる事」が、
 製本・出版以上にぜひとも重要な条件になっている。
 キンドルも素晴らしいのだが点字版を如何にしろと。
 (読み上げ機能は実際に聴いてみると、
  同音異義語等に配慮されていない場合結構聴きづらい。)

 出版され多くの方々に読まれた後、
 「これは目の見えない方にも読んでもらいたいよね」
 と推薦があって選書会議を経て、
 我々ボランティア員がようやく無償労働を始める現状は、

 あまりに悠長に過ぎると思わないか?

 タイムラグはもちろん、
 点訳を依頼する際にも心理的ハードルが生じる。
 むしろ我々が無償だからだ。
 申し訳なさに気を遣わせる。

 そこは販売側が、
 現状よりも今少しずつ、
 気を遣っておくべきところではないか?


 というわけで一応は、
 pixiv併設サイトBOOTHでの、
 データ販売を目論んでいるわけだが、
 これが正解、最終結論であるともまだ思えていない。

 正直どなたかの、
 技術か知識か協力か資金か頂きたい。

 自分で調べてから他人に訊け、それが最低限の礼儀だと、
 プログラマー時代に叩き込まれてきたが真実か?
 私の仕事の大部分は、
 バグの証拠を叩き付けて、
 お前らのその礼儀とやらを打ち壊してやる事だったぞ。

 手に入れたいほど私の作品を、
 気に入って下さった方が多くあれば、
 私に適切な情報は望まずとも集まるだろう?

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!