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『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』済東鉄腸 著

共感するとこばっかり!!
私の場合「引きこもり」の定義に該当するかどうかは別として・・・。

「でも何だっていいんだ。俺にとって重要なのは、俺を取り囲む、このどこまで行っても日本って感じの全てについて、ルーマニア語で考えるってことなんだ。日本語でできた俺の世界を、ルーマニア語でゆっくりと捉えなおすってことなんだ。」

『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』
済東鉄腸 著


つまりは「学ばされる」ではなくて、能動的に「学んでいく」って行為が楽しいんだ。たぶん、これが俺の性質というやつだ。古典の授業で古文を読むのは苦痛だったのに、今は本執筆の合間、研究書片手に『万葉集』を読むのが楽しくてしょうがない。ああ素晴らしき語学オタクの道、この道を行けば一生飽きなんて来ないんじゃないかって気がするよ。

「能動的に学ぶ」誰もがそうだと思っていたけど・・・、どうなの?
だって、解らないことが解かりたいじゃん。(普段「~じゃん」は使わないのに、文章だと使いたくなる私)

今日は少し文体変えてみるか。

これを取り扱える批評家がいない。そしてこれを扱おうっていう志を持つ媒体もない。やつらは過去の映画史にしがみつくか、日本で公開される映画へ近視眼的に注目するばかりなんだ。今まさに築かれようとしている歴史を見ようとしない。俺にはそれがつまらなかった。


つまりはこういう「周りと違う自分カッケェ」っていう思春期ならではのナルシシズムに覚えはないかってことだ。

回りと違う自分カッケェ!

自分が好きなことを好きと言いたい。
興味があることを興味があると言いたい。

自分が伝えたいことを伝える努力をしよう。

でも今の状況は・・・、とりあえず耐えて、少しでも良くなるようにやってみよう。

今出来ることで、楽しいと思うことをすこしずつ積み重ねるだけ。

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