見出し画像

取扱説明書と白紙のノートの二刀流 七緒栞菜

「取扱説明書があった方がいいでしょ。あれば、やれるタイプだよね。」
ある方に言われて、その通りだと思った。わからないまま何かを行うことが、正直ずっと怖かった。

取扱説明書を読んでから行動にうつすタイプと、読まずになんとかしていくタイプがいると思っている。私は読まずになんとかできるタイプではないのに、取扱説明書を渡されないことが多かった。本当に、困っていた。それでも、読まずになんとかできるタイプに憧れがあった私は、疲弊しながらそのタイプに擬態してきた。

取扱説明書がある方が心地いいのは、幼い頃から。小学生の頃、裁縫にのめり込んだ時期があった。友人のお母さんがとても器用な方で、家にお邪魔して友人と一緒に人形を何体も作った。差し出された型紙どおりに布を切って、縫い合わせて、形にしていく。その過程が好きだった。勉強をするときも計画を立てるのが常。「〇月×日:数ワp10~14、英教p18~25※ノートも」みたいに、その日にやることをすべて事細かに書いていた。その日の分の勉強を終えたら計画表に線を引き、終えた部分を可視化することに快感を覚えていた。計画は、その日の私の取扱説明書だった。

ここ数年、計画と準備について考えをめぐらせることが多かった。「後ろへと戻る計画」と「前へと進む準備」について。計画とは、未来に叶えたい何らかの目的を達成するために、その目的から遡って道筋を決めること。準備とは、何が起こるかわからない未来に向けて、必要かもしれないことをとりあえず集めること。準備が苦手だった私は、計画ばかり立ててこれまでを過ごしてきた。計画は、歩けど歩けど一本道。他の道を見向きもしない。というより、他の道があることに気づけない。一方で、準備は、広い大地の上を一歩また一歩と現在地から歩みを進めていくような感じだ。目の前に道なんてものは常になくて、振り返ると気づいたらそこに道ができているような感じ。私は、準備ができる人になりたかった。準備をしている人が、かっこよく見えて仕方がなかった。

でも、私には計画と準備、どちらが向いているのだろうか。

友人から、一度忠告を受けた。
「あなたに向いている仕事は、事務職なんじゃない?」
ザ・計画の遂行。確かにな、と思ったりもした。

でも、それでも私は。

取扱説明書は「計画書」ともいえる。「このように使いたい」という目的に沿って、項目ごとに書かれているのだから。もしかしたら、白紙のノートに書き連ねていったものは「準備書」と呼べるのかもしれない。どう使うかはわからないけれど、いつか役に立つかもしれないあれこれを書きためておく。

「計画書」がある方が安心する私を、私は知っているし、私の周りの方々も、それをわかってくれている。私はそれを知った上で、全力で「計画書」を遂行しながら、楽しんで「準備書」を書き連ねていきたいと思う。ちょっと、欲張らせてください。

今書いているこれも、きっとひとつの「準備書」なんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?