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呼ぶ声はいつだって悲しみに変わるだけ〜「片目で立体視の星間飛行」観劇録①〜

【本文は読み終わるまでに約4分かかります。また、短編作品のうち一作品にのみ触れており、他の演目については後日記載させていただきます。予めご了承ください。】

 忘れたくない後味だった。
 なんなら今でも反芻(はんすう)している。うおォン。俺はまるで反芻の星の住人だ。
 何のことかは言うまでもなかろう。先週末に行われた公演・片目で立体視よっつ目「片目で立体視の星間飛行」である。

そこはあらゆるものが存在し、あらゆる望みが叶う場所。
宇宙の中心に位置し、銀河系人口の1割が住む巨大惑星“ソラリス”。
……の周辺に漂う、何でもない星々に暮らす何でもない人々の話。
(公演パンフレットより引用)



 この公演は4つの短編で構成されており、上演時間はトータル80分くらいだったはずだ。卑近な例だとテレビドラマシリーズ「世にも奇妙な物語」の、世界観が統一されている版だと思ってもらえば分かりやすいか。
 個人的には学生の頃に読んだ「超短編アンソロジー」の読後感を思い出したりした。

「超短編アンソロジー」https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480037473/

 ひどく短い時空で切り取るからこそ輝く世界。世に出たものよりほんの少しでも長いと、観客が冷静に考え始めて、宝石が途端に石ころに変わってしまうような物語。儚いからこそ煌めくそれは、夜空を彩る流れ星のようでもある。

 まず舞台美術に息を呑んだ。
 上手側には、細やかに切られた白いパネルを組み合わせて宙吊りにされた、月のようなまんまる。先述のソラリスかもしれないし、ソラリス周辺の人々が勝手にイメージしている「ソラリス」の概念かもしれない。そもそも、ソラリスが本当になんでもあってなんでも叶う星であるかも分からない。ていうかそんなん嘘だろ、と、公演を見終わった今はちょっと思っている。
 中央には四角くて可愛く縁取りされたアクティングエリアがあって、まるでトレーンのような純白の布が、ふわふわの雲の如く乗っかっている。下手奥を見れば、これまた白を基調とした椅子が3脚。近未来的と言われればそう見えるし、昭和レトロっぽいと言われればそうも見える絶妙なデザインだ。映画「時計じかけのオレンジ」の何処かで、そういうテイストの椅子を見た記憶が甦った。
 宇宙空間を想起させる客入れも照明も、なんだかとにかく静かにワクワクさせてくる。さあ、星間飛行に出発だ。

【第1章 コインパーキングの星】
 いわばツカミのポジションで、しかも一人芝居。演じた日坂さとは結構なプレッシャーだったのではないか。そうでもなかったらごめん。ともかく、実際に見た観客のひとりとして言えることは、観客をこの世界観に強く引き込むために考えられうる最高の幕開けを、たった一人で体現した役者がいたということだ。

 ハマナスが咲く星を先祖代々守り続けた女王の気品と、悪いもぐらの妙な憎みきれなさを見事に演じ分けながら、淡々とした語り口で展開される物語の強烈な引力。演目の最中、あのティアラは間違いなく、岩手どころか東北の、どんなジュエリーショップに並ぶ宝石よりも魅力的だったと思う。
 悪いもぐらの最期の誘いと、それに乗りかけた女王の衝動は、恋と言うにはあまりに土の匂いがして、それでも単なる出奔というには強い気がして。  
 ただ、当たり前のように続く日常を終わらせたくなる衝動はかつて味わったから、彼らの思いが爪の先くらいだけ分かるような気もした。女王もモグラも私と全然違う生き物だけれど。

 終盤、コインパーキングと化した星にやってきた老夫婦の「この宇宙に、一面ハナマスが咲いている星があるという事実だけで救われる気がして」という趣旨の台詞が、ひどく我が事のように思えてならなかった。なにかと気忙しくて世知辛い日常と地続きの場所に、そんな夢みたいな空間がある。その事実がどれほどありがたくて優しいか。私が舞台や映画などを見に赴く理由のひとつがそういうことだから、余計に忘れられない台詞だった。

 すごく個人的な感想だけど、私の脳内の悪いもぐらは、途中から梶原善が声をあてていた。そして「あの顔」、すごく良かった。
(第1.5章へ続く)

(文中敬称略)
(所属団体等は省略させていただきました。ご了承ください)
(文責:安藤奈津美)
(すみません、 続 き ま す)

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