飴の人と頭の中
頭を整理してみよう。
「好き」と「付き合う」は明確に違うこのことに気がついたのはいつの頃だったんだろう。
こんなことを言っているうちはまだ運命の人じゃないとか言うのだろう。しかし恋つまり人を好きになる行為は相手をどれだけ魅力的に思い込めるのかの戦い。自身の向上と相手の向上があってのみ成立する。
その点今までの恋は発展うんぬんかんぬん言えるほどのものではなかった。そして互いに高め合うなんて言う関係性を築き上げられるほど大人でもなかったそれだけだ。
今多分恋の初期段階にいる。
そんな気がする。
その人と対面する日は少しでも可愛くあろうと髪にメイクネイルまで意識する。
挨拶が出来たら嬉しくて沢山話せたらもっと嬉しい。これを恋と言わずして何になる。
違う意見があれば聞かせてくれ。是非納得出来る理論だでた理由とともに僕の心を説得してくれ。
本題に戻ろう。なぜ恋と付き合うが別なのか。多くの人が1度は理解しそこから目をそらそうと努力する地点なのでは無いだろうか。
付き合うということは先述した通り相手の魅力が常に向上し続けるまた、自身がその要因になり得る可能性を持ち合わせていなければなかなかに成り立つものでは無い。ここを愛だの恋だので誤魔化し切れる人々はよほど相手に自身にかけた何かを支え合えるものを持った本物の「運命の相手」とやらに出会った人なのだろう。
前の僕は常に受け身で、相手を受け入れることに必死だった。何をしても許せた。しかしそれは自身にマイナスが怒ることと同義だったのだ。それに気づいたのは相手と少し向き合えた時だった。それは間違いじゃないはずだ。
だが次の恋は相手に向き合おうと聞こうと強く思っているんだ。相手は自分の未熟さを知り自己の欠点を開示できる強さがある人だと考えた。僕はその欠点を包むことも慰めることも出来る。だがそれが続けばただの母子関係と何も変わらないものになる。これが続くと夫婦間では「離婚」の要因にもなる、女として男として、恋人や愛する人として見れない現象の発端になる。
今でも変わらず相手を許容すること、聞くことも喋ることも嫌いじゃないただ聞き出すのと、他者に興味を持つことが苦手、本気で興味を持たないと疑問なんぞ浮かばないんだ。
僕の欠点は他にもある、マイペースで悪く言えば自己中心的な性格だ、自分が良ければ他社は気にしないなんてザラにある。それに、面倒臭がりだからLINEも会うのも頻繁になんてお断り。GPSや束縛がしたければかまわないがそれでこっちの自由が無くなるなら断わる。
性格的に僕は自分の意見を伝えたり主張することはなかなかできない。思っても溜めてしまうんだ。だから爆発して何も言わないか数言話して別れを選ぶ。喧嘩をしたら仲良く元に戻る方法なんて知らないから自分が我慢する。
あれが嫌だと言われたら言うことを聞く、自己主張はあるか揉め事は嫌いだ。めんどくさいのひとことにつきてしまうからね。感情の上下が激しすぎるしうるさいとか。
自分の欠点はこれくらい。
思い出して自覚があるのはね…まだまだありそうで怖いよ
こんな欠点多分どんな人生を生きている人でも少なからず抱えている。もちろん自分じゃ気づいていないとか、多かれ少なかれ、種類に差はあれどの話だ。
自分のマイナスなんて見つめ続けなければ気づけない。こんな文章で好きと付き合うは違う。今回の好きはまた好きだと思い続けて終わるものにしようと思ったのに。相手の良さに気づくキッカケになってしまった。
多分僕の性格はめんどくさい。
友達みたいな関係がいいし上記したみたいな欠点だってある。興味のないことに対しては話半分で相手の話を聞くのはそんなに好きでもないし…相手の良さに気づくのは上手いが、その分欠点にも気づく。飽きるのも早いし、好きになるためには見た目が重要。自分も完璧では無いのにね。それでも重要視しがちなんだ、仕方がないだろ?
多分これは恋なんだろう。でも付き合うとは違う。
相手が僕を好きかどうかだってまだ分からない。相手に対して柔らかく接したり、話の提供をするのが上手な人は多くいる。その1人であることは事実だ。そんな相手に恋をしてみたのか。なんて新しいんだろう。きっと前の相手と性格的に類似点はある。、けどもっと仲良くなれば違いだって沢山見られるんじゃないかなとか。もっと大人になれるチャンスかもとか。
いつだって僕は好きを隠すし、消したいと願う。こうやって悩み思考し続けることで消極的になったり自分に自身をなくしてしまうことがよくあるからだ。
しかし、恋するなんてこと珍しいし好きになれる相手を見つけた自分を先ずは誇りに思おう。
そして今回は好きを隠すのではなく消すのではなく、ただ大切にしておこう。
大人らしく少しだけ大人ぶって、前とは違うと友人を大切にしながら相手を考え、考えすぎずなんてまた難しい道を進む気がする。
しかしこれも人生、残りの分からないサバイバルだ、楽しめるうちに苦しめるうちに苦しんでおこう。十分に苦しみ抜けばきっとそれすらも楽しい思い出に変わる。変えられる。
自身と自信を愛し慈しんでくれる人々に包まれているのだからと。
何となく思えた。
今日の振り返りはここまで、頭のごちゃごちゃには言語化が1番乱雑でもいいし、ボロボロでも僕が書いた言葉に思えないほど支離滅裂でも構わない。ただ書き残すんだ感情を。それが一番大切なことだと信じているから。
おやすみ世界。