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コッピを食べたらもれなく婚活もらえます

 職場の同僚と酒を飲んでいて、やつがまだ海外旅行をしたことがないというので、「じゃあ、こんどの年末年始にでも行くか」と思い立って、手近な韓国を選んで行くことになった。ソウルオリンピックの前年の師走、つまり、まだハチヤマユミを僭称したままの若い女が猿ぐつわをはめられて金浦空港に降り立ったその月である。

 出発までの時間も限られているので、同僚はあたふたとパスポートを申請し、主人公も当時はまだ必要だった査証を取り、たいして吟味もせずに航空券を手配した。とりあえず、最低限の準備ができたところで相方が言い出した。

 「このヒコーキの時間だと、俺、始発がないや」
 「え、そうなの」

 当時は、国際線の場合はきっちり2時間前までにはチェックインが必要だった。主人公は、自分が間に合うので、相手がそうじゃないなどとは考えないで、早い時間帯の出発便を手配したのだった。

 「成田にホテルを取ろうかな」
 「もったいないよ。…よし、前夜から上野で二人で飲んで、サウナかなんかに泊まって、スカイライナーで行こう」

 というわけで、アメ横の露店で、
 「おい。向こうに着いてからも、今と同じ感じじゃないのか」
 「違げえねえ」
 などとホルモンをつつきながら冗談をかましていたら、いやほんと、その通りだった。

 成田に着いて、天下の日本のナショナルフラッグキャリア(当時)への搭乗を待っていると、お約束通りのエナメルの白いとがった靴にエナメルのベルトで決めた黒っぽいゴフルウェアと白いスーツのパンチパーマが声をかけてきた。

 「兄さんたち、コレかい」小指を立てた。
 「いやあ、そういうわけでは…。なんせ初めてなんで」
 「おらあ、これだよ」と、お約束のクラッチバッグから何やら紙切れを取り出して、こちらにも読めるように見せてくれる。
 「これで10万ある。ウォンじゃなくて円でだぜ」

 強面風情を装ってその実、気の良さそうなアンちゃんは、それから、ウォーカーヒルでの武勇伝を延々語り始めた。紙はチップの引換券だそうだ。
 「あれはなあ、引き時が勝負なんだよ…。俺ンときゃよお…」

 もちろん、内容は覚えていない。たいした武勇伝ではなかった。それでも、話を聞きながら主人公と相方の若い二人は、「ウォーカーヒルには必ず行こうな」と決心したそうだ。搭乗開始のアナウンスがあってパンチパーマから解放された二人は、ほぼ3時間後には金浦空港のバスターミナルにいた。実は税関でひと悶着があったのだが、はしょる。

 12月も押し詰まったソウルにしては、たぶんうららかな正午だった。
 「このバスだよ。ソウルヨクとハングルで書いてある」
 二人は乗り込んだが、並んで座る席は空いてなかった。相方は、上品そうな年配の女性の隣に席を得て、主人公はその前に座った。

 「あなた、日本からいらしたの?」
 そのおばさまが相方に話しかけたようだ。主人公は、流暢な日本語を後頭部で聞いた。
 しばらく間があって、相方が言った。

 「イ、イエース」

 主人公は、思わず吹き出しながら振り返った。

 「おい、今の日本語だぜ」
 おばさまも笑った。

 ソウル駅に着いて、まずやることは、宿を見つけて荷をほどくことだ。空は青く晴れ渡っていて、高い建物が少なくて見通しもよく、とても大きく感じた駅前広場から、右に行くべえか、左に行くべえか。主人公たちが地図をにらんでいると、両手を腰の後ろに組んだ老人が近づいて来て、言った。

 「あんたがた、ニッポンジンか」流暢な日本語だった。

 腰はやや曲がっているが、なんとなく威厳を感じる落ち着いた風情だった。主人公がのちに勉強したところでは、「ソンビ然とした」というのは、あんなのを言うのではないかと思い出したそうだ。

 何か手伝うかと問われたので、初めて韓国ソウルに来たばかりで、とりあえず宿を見つけたい旨を伝えた。「けっこうです」と断る雰囲気ではなかった。勘違いしないでほしいのだが、ニコニコ笑顔でこそないが、好々爺というのがぴったりの、のんびりとした物腰だった。

 「そうか。ニッポンジンならあそこがよかろう」そう言って、ソンビは腰に手を組んだまま、スタスタと、いや違うな、ヨロヨロでもないから、ソロソロと先に歩き始めた。
 主人公たちは、煙草に火を付けて、顔を見合わせた。
 「どうする」
 「乗ってみるか」
 「うーん」
 ソンビは、ホテル名を口にしたような気がするが、覚えていない。ただ、〇〇ホテルと言ったはずだ。
 主人公たちは、西洋式のホテルに泊まるつもりはなかった。歩きたばこでしばらく追いかけながら、相談した。断ろう。

 「ハラボジー、コマッスムニダ。わたしたちは初めてのソウルなんです。だから、宿探しから自分たちでやりたいんです」
 ソンビはうなずいた。

 「ハラボジー。タンベは吸いますか。これ、日本のタンベです」
 相方の愛煙のセブンスターを差し出した。主人公はマールボロだった。

 ソンビは、もう一度うなずいて、「カンサムニダ」と言うと、手を横に振った。そして、踵を返すと、何事もなかったかのように、そのままソロソロと歩いて雑踏に消えた。

 ソウルに着いて1時間もたたないうちに、2人から声をかけられた。いい旅になるぞと主人公は思った。

 「うーん。もう一軒、探そう」
 南大門市場の界隈で、温泉マークと「장」(荘)のハングル看板を頼りに、何軒かと値段の交渉をして歩いた。どこも十分に安かったが、まだ安いところはあるに違いないと思ったからだ。主人公は、貧乏旅行ではそれが正義だと信じていた。

 次に選んだ宿は、日本円でひとり700円まで値段を下げてくれた。木造の年季の入った興趣の沸く造りだった。オンドルもあるという。旅の恥はなんとやらで、もう少し勉強できないかとお願いすると、晩御飯を付けようということになった。そこに決めた。荷を下ろし、身軽になって街に出た。夕方、戻ってくると、部屋には食事が用意されていた。白いご飯、焼き魚、みそ汁がわりの汁椀、キムチとキムチとキムチみたいなものと別のキムチみたいなものが、脚のあるお膳に載って待っていた。

 白飯以外は、どれも辛かった。主人公は「辛い」「辛い」と言いながらおいしくたいらげたが、相方は無理だと言う。ほとんど手を付けない。
 「しようがないなあ。じゃ、また街に出て、ボゴキンでも行くか」

 ボゴキンとはバーガーキングのことである。ハングルを解読するとボゴキンと書いてあったのを昼間見ていた。日本にはまだなかった。

 相方の腹を満たして宿に戻ると、食膳は片付けられ、布団が敷かれていた。すると、亭主がやってきて部屋に上がり込んで言った。この亭主も日本語を話す。
 「たくさん残した。どうした」
 「すいません。こいつが辛くて食べられないって」
 「そうか。また注文するか」
 「いえ、もうけっこうです。外でハンバーガーを食ってきましたから」
 「そうか」
 亭主は退く様子はない。日本語を使って世間話がしたいようだ。あれこれ聞かれた。内容は覚えていない。

 しばらくすると、出入り口のほうを気にした後、亭主が言った。
 「コッピ食べるか」

 ン? コーヒー飲むかの意味だろう。
 「いただきます」

 亭主は手を叩いた。
 出入口の戸がすーと開いて、若い女が現れた。美人とまでは言えないが、男好きのするなまめかしさがある白い肌の女だった。
 「娘だ」亭主は言った。

 女は、盆に載せていた茶碗を、ちゃぶ台というには大きいローテーブルに向かって座っていた主人公、相方、亭主の前に順に置くと、テーブルの出入口に近い側に、少し離れて空の盆を抱えたまま控えた。正座だった記憶があるが、韓国人が正座するだろうか。とにかく立膝ではなかった。主人公は「ちょこん」というイメージを覚えている。

 コッピをすすりながら亭主は饒舌に質問を続けた。ときどき日本語に詰まったが、話題はほとんどが日本のこと、日本人のことだった。

 ところで、冒頭では税関での悶着をはしょったが、実は主人公は、2年前に発売されたばかりミノルタα7000を2台持ってきていた。世界初のオートフォーカス一眼レフカメラである。それぞれ200ミリと35-70ミリのレンズを装着していたほかに、コンパクトカメラも2台持って来たため、該国の税関吏は「転売するのではないか」と疑い、「決して売りません。日本に持ち帰ります」という念書に署名させられたのであった。

 その2台のα7000を、布団が敷かれたわきに放り出していた。
 亭主が、それを見せてくれ、と言ったので、持たせた。亭主はためつすがめつした後、聞いた。
 「いくらする」

 借り物だったので、主人公も正確な値段は知らなかった。おおよその見当で、
 「200万ウォンぐらいかな」
 「1台か」亭主がさらに尋ねた。
 「たぶん」
 「ほー」
 亭主は黙りこくってもう一度、なめまわすようにカメラを見ていた。

 そして、娘の方を一瞥してから言った。

 「あんた、娘と結婚しないか」


 わはは。その女が本当に娘だったかどうかはわからない。それはともかく、主人公が泊まった宿は、旅行者用のゲストハウスでもなく、商人宿でもなく、どうやら連れ込み宿だったようなのだ。その夜は上下左右から、アハンアハン、ドタンバタンとにぎやかな音に囲まれ、それでも主人公たちはオンドルの暖かさに包まれてぐっすり眠り、旅の初日の疲れを癒したとさ。


 


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