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娘のための世界史1 ヨーロッパ史1

 娘が大学受験のために予備校へ行きたいと言い出しました。それはけっこうなことですが、ちょうど古市憲寿『絶対に挫折しない日本史』が出て売れているようなので、その向こうを張って、世界史を独自の切り口で大雑把に語ってみようと思います。

 まずは、ヨーロッパ史。

【ギリシャ・ローマ、キリスト教、ゲルマン】

 西欧世界はよく、「ギリシャ・ローマ文化」「キリスト教」「ゲルマン民族」の3つから成り立っていると言われます。そこで、現代のヨーロッパの現状から振り返る形で、この3条件の成立を見ていきましょう。

 

E1ヨーロッパ言語地図


 図E1は、現代ヨーロッパの言語地図です。フランス語やスペイン語、イタリア語などの桃色がラテン語派、緑がドイツ語や英語などゲルマン語派、紫がロシア語やポーランド語などのスラブ語派、黄色はその他となります。

 なぜ、このような言語地図になったのでしょうか。

 紀元前5世紀頃以前、この地図では黄色のその他に分類したケルト語系の言葉を話す人々が欧州全域に広がり、また、北方から東方にかけてはゲルマン系の人々が、さらにその東方にはスラブ系の部族が暮らしていたと思われます。


【エーゲ海からギリシャ文明の拡大】

 その頃、地中海の東寄りにあるエーゲ海あたりでは、古代ギリシャ系の文明が栄えました。やがて、ペロポネソス半島のスパルタや、その北に位置するアテナイなどのギリシャ都市国家(ポリス)が繁栄し、とくにアテナイは当時の先進文明として地中海全域の沿岸に植民都市を広げていきました。イタリア半島のネアポリス(ナポリ)やシシリア島のシラクサ、現フランスのマッサリア(マルセイユ)などが有名です。

 ギリシャ文明を象徴するのは、天空神ゼウス、その息子アポロンらオリュンポス神話の神々です。愛と美の女神アフロディーテや海の神ポセイドンなどもよく知られていますね。

 紀元前4世紀には、ギリシャ文明圏のひとつであるマケドニアのアレキサンダー大王が東征します。小アジア、シリア、エジプト、ユーフラテス、ペルシャから西インドまでギリシャ文明の清華を伝えることになりました。これをヘレニズムと言います。



【ローマの勃興】

 ほぼ同じ頃、イタリア半島の中南西部でも都市国家ローマの勃興が始まりました。

 ローマでは当初、ギリシャ神話に対応する神々による神話が信仰されました。最高神ユピテル(ジュピター)はゼウスに、ヴィーナスはアフロディーテに、ネプチューンはポセイドンに、といった具合です。

 やがてローマは半島全体を支配し、王政から共和制、帝政と体制を変更しながら、イベリア半島、ガリア(現在のフランス)、ブリテン島(現イギリス)、ゲルマニア(ドイツ)などにも勢力を伸ばしていきます。さらには、バルカン半島、小アジア(アナトリア半島=現在のトルコ)、地中海東部沿岸(シリア・パレスチナ)から北アフリカ沿岸と、地中海全域に支配地を広げていきます。

 共和制の末期の有名な武将がシーザー(カエサル)です。ガリアや、クレオパトラのエジプトなどを征服しました。このカエサルの名が、のちのドイツ皇帝(カイゼル)やロシア皇帝(ツァーリ)の語源となります。

 カエサルの義理の息子オクタヴィアヌス(アウグストゥス)は初代皇帝となり、ローマ帝国の時代を迎えます。この時代からしばらくは、帝国の支配が全域にゆきどとき、パクス・ロマーナ(ローマによる平和)と呼ばれます。地図E1の桃色の地域は、このとき以来流通したラテン語が訛って各国語になったものです。ただし、ローマ帝国下でも東方でギリシャ文化やヘレニズム文化(アレキサンダー大王のレガシー)は健在でした。

【イエスの誕生】

 この頃、パレスチナにあったローマ属州ユダヤでイエスが誕生しました。のちのローマカトリックの神学者が、この年を西暦の元年にしたつもりでしたが、どうやら正確には紀元前6年から同4年の生まれのようです。

 それはさておき、イエスの弟子たちが興したキリスト教団は、ユダヤ教や帝国からの迫害を受けつつも各地で教勢を広げ、首都ローマにも乗り込みます。やがて、公認へ、そしてついには国教となります。4世紀にはサン・ピエトロ大聖堂がローマにそそり立ちます。今のバチカンです。


【ゲルマンの台頭】

 3世紀頃からローマ世界は、東方のギリシャ文明圏が独自の動きを見せ、4世紀末には東西に分裂してしまいます。

 その頃、北東部の帝国外や辺境にいたゲルマン諸族が侵入を始めます。さらに東方から押し寄せたフン族に圧迫されてのことで、ゲルマン人は帝国内を自由に移動し、西欧から南欧各地に定着し、王朝を築きます。言葉は住民の話すラテン語訛りですが、支配層(貴族)は容貌はゲルマンの金髪碧眼です。

 そして、傭兵として雇い入れたゲルマン人が反乱を起こすなどし、5世紀末に西ローマ帝国は滅びてしまいます。西欧世界はゲルマン人王朝の群雄割拠となります。

 この中から、現在のオランダからベルギー辺りを拠点としたゲルマン人の一派フランク人も勢力を拡大してきました。そして、ローマ・カトリック教会のキリスト教皇と結び、西ローマ皇帝の再来と称して800年にカール大帝(シャルルマーニュ)が即位します。今のドイツ・フランス・イタリアのほぼ全域を支配する、名実ともに西ローマの再現となりました。

 また、このフランク帝国の成立により、キリスト教が徐々に北欧・東欧へ拡大していきました。なお、滅亡せずに存続していた東ローマ帝国はコンスタンチノープル(現イスタンブール)を首都とし、東方正教会(オーソドックス)のキリスト教が、ギリシャ世界やスラブ人の間に浸透していきます。12世紀頃までには、ほぼヨーロッパ全体がキリスト教化されました。


E2ヨーロッパ宗教地図


 地図E2は宗教地図です。のちのオスマンの侵入によりバルカン半島の一部でイスラム教化された以外は、ほぼキリスト教で覆われています。プロテスタント(新教)がカトリックから分離するのは、16世紀の宗教改革を経てのことになりますから、またのちに。

【イスラム教の登場】

 7世紀、アラビア半島でイスラム教が生まれます。聖戦を通じて、瞬く間にオリエント世界から北アフリカを席巻しました。キリスト教の聖地(イエスの墓)であるエルサレムもその支配下に置かれました。ヨーロッパ世界では、イベリア半島のほぼ全域が、アフリカから北上してきたイスラム系王朝に占領されてしまいます。たった100年余りの間の出来事です。

 これに対して、キリスト教側は抵抗を試みます。イベリア半島ではレコンキスタ運動、そして、エルサレム奪還を目指す十字軍運動です。レコンキスタは1492年に完成しますが、十字軍運動は早い時期から、単なる略奪戦争に堕落してしまいます。(ここまで2時間、ああしんど。たぶん続く)


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