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神津島の軌跡(中編)

昨晩は長く短い夜だった。
はしゃぎ疲れと焼酎の余韻が体中に残る中、眠い目をこすり、身支度を済ませる。
いつもより念入りに歯を磨いて、日焼け止めを塗りたくって、シーツを選択かごに取り込む。

チェックアウトを済ませ、特に予定もないまま、とってつけたような本来の目的を果たすため、バイク屋さんに向かった。
この旅の本来の目的はバイク旅だったはず。

とりあえず小型バイク1台と原付を借りて、3人が移動できるようになった。
さあ、今日はこれからどこへ行こうか。


神津島マップ

昨日はバスで北の赤坂遊歩道まで行ったから、南に行きたいけど。
南に何があるかな。

3人は道中にあったパン屋さんで買ったパンを前浜で食べながら、ぼんやり考えていた。
そのとき、私は南の丘の上に白い大きな十字架を見つけた。
遠くにあるはずなのに、やけに大きく見える。不思議な目の錯覚みたいだ。

よし。とりあえず、あそこに行こうか。

我々は食事を終わらせ、バイクを走らせること15分。
静かだが舗装された道を抜けて簡単にたどり着くことができた。


ありま展望台

ありま展望台。
大きく白い十字架が青い空に映えてきれいな光景だった。十字架の直線と白に夏を感じる。

この十字架の由来は、秀吉が禁教令を出したときに、キリスト教だった朝鮮の女の子が島流しにあった果てにたどり着いた神津島で布教活動をして、島の人に感謝されたとのこと。

宮古島でもそうだったが、昔から日本の島々は罪人が島流しで送られてくる場所である。我々のような現代人は、島の暮らしを平和で静かそうな暮らしを想像してしまうが、実態はもっと貧しくて、治安も悪くて、不安定な暮らしが連綿と続いてきたのだと思う。
島を旅するとそういう話を目にすることがたまにある。

現代でも、島民限定の居酒屋を見つけるのは、島の人が平和と秩序を保ちつつ生活する上で受け継いできた知恵なのだと思う。


我々はバイクでさらに、南の神津島灯台に向かった。

神津島の南端部に位置する灯台は、ごく平凡な白い灯台であり、観光地のような華やかさはないが、心が休まる場所だった。
それに、ここに来るまでの道路から見える海はとても奇麗だ。

神津島灯台から海を眺め見ると、真下に透き通った池があるのが見えた。


千両池

これ以上ないくらいに透き通っており、人影はない。
ここで泳げたらどれだけ気持ちがよいだろうか。

という会話をしていたら、私は神津島灯台の奥に小さな横道があることに気づいた。この道はどこに繋がっているのだろう。

もしかしてあの池???

私たちは期待に胸を膨らませながら、小さな横道に一列で進んでいった。
道はどんどん狭くなっていき、どんどん急斜面になっていく。
手すりはあるが、最初は階段だった足場がただの岩場になっていく。一段一段がとても大きい。そしてついに、手すりがなくなり、ロープが垂れ下がっただけの崖に突き当たる。直射日光に照らされて汗が止まらない。

少なくても私は道中に一抹の不安を抱えていたが、先頭を歩いていた友人は何も恐れてはいない様子でどんどんと斜面を下がっていく。もう一人の友人は恐怖のため、途中から下るのを諦め、上に残ることにした。
私は前を歩く友人の背中を追い、恐怖心を抱きながら一歩一歩慎重に下りて行った。

そしてなんと。
我々はたどり着いた。


パンツ1枚のため自主規制

透き通った海はまるで、映画the Beachの世界のようだ。人の目も気にせずに裸で泳ぐことができる空間。
周りの岩は切り立っており、海上に迫る光景はまるでアメリカの自然公園のような雄大さがあった。

私たちは二人でパンツ1枚になり、はしゃぎまわった。
壁から壁へ、泳ぎ、そして漂った。

そのうち、友人が崖の上から飛び込みたいと言い出した。
昨日あれだけ赤崎遊歩道で橋から飛び込んだのに、飽きないものである。
いや、むしろ昨日の飛び込みで何かが目覚めちゃったのかもしれない。
良くないものを目覚めさせちゃったなあ。

渋々、私たちは8mくらいの崖を登り始めた。(上の写真の真ん中にある岩)
そして、そこで信じられないものを見つけた。

昨日なくしたビーチバレーボールが、崖の間に挟まっていたのである。

次回に続く。

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