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諦念



今夜はなぜか悟ったような境地になるなと思って駄文を書き連ねる。




理不尽の乗り切り方を考えていたんだ。



人間は理不尽に直面すると理性と感情がこれでもかというほど衝突する。
そしてなんとか自分の脳内を丸く収めようとする。
その過程を葛藤と呼ぶのかもしれない。

理不尽と同じような言葉に『不条理』というものがある。

どっちもやりきれない自分の感情を処理するために生まれた言葉だ。
感情を言語化することで、自らのやり場の無い思いを処理したんだろう。

結果、そういう理(ことわり)を無視するような状況のことを
人は理不尽と呼ぶようになったんだ。

普段は何も感じていなかった人の発言を改めて深く考えてみると
理不尽へつながる布石を見つけてしまうのかもしれない。

そんな理不尽を突きつけられた時にどう処理すれば良いのか・

理不尽を突きつけた本人がその理不尽を自覚していない時、
その『理不尽』はどうすればいいのか。

自分が感情や情熱を注いだ分だけ自分にダメージを受けるような気がして。
自分を押し殺す自分に失望していた時もあった。

結局ただ諦めるしかなかったようだ。

そこに自分のプライドとか理想みたいなものは入り込む余地すらなくて、
ただただ己の無力さを痛感する時期が続いたんだ。

真夏に外で食べるソフトクリームのように、
僕がぽたぽたと地面に落ちながら溶けていっているような気がした。

ソフトクリームが全部跡形もなく溶けきったあとに残ったコーンだけ。








誰か気づいてくれよ。
誰も気づいてくれないのかよ。
なんで誰も気づかないんだよ。
誰が悪いの?
自分が悪かったのか?






問いかけに答えてもらえるわけでもなく。
今日も僕は一生懸命になるんだ。



何かを諦めて。

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