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第71夜 みちおおち

「科学で判明した事実に言葉を付けてナラティブ化した者がカリスマになるのはおかしくないか。真理を知って一人一人が教えを持つべきなんだ。人の創作物に靡かず、自分で思え」
 さっき担任の堀川が俺に説教した内容はちんぷんかんぷんだったが、人に言われてからじゃなく自分で動けってことだけはわかった。が、そんなことよく言われていることだから、今更何で渾々と俺に説くんだ? そういえば科学と真理ってのは何だか反対のような、でも科学は真理を求めるための行いのような…、こんがらがってきた。堀川は美術の教師だから理論より感覚が先にあるんだろうと思い、去年担当だった生物の名畑に聞いてみることにした。
「シナプスは新しいインプットをすでにある全ての枝葉に繋げる。それは脳個体の独自性をベロシティに加速させることを意味する。つまり個々人の脳は唯一無二であって、それぞれが思う世界、さらには宇宙はすべて違うものなのである」
おい、また大人はわからん話をしてくる。俺は田舎の高校生だぞ。そんなナラティブだのシナプスだのまだ教科書には出てきていないじゃないか。じゃあということで物理の吉田の教務室を訪ねた。
「科学はある限界を迎えている。次元が問題だ。11次元までは理論化されたが、それは11次元がないと説明がつかないと言うことであって、誰も11次元を意識し体感できた者はいない。目と脳を持ってそれを実証するのは不可能だ」
 いよいよ迷宮の出口を失ってきた。私は脳をプスプス言わせながら廊下を歩いていると国語の近藤がおかっぱ頭にビン底眼鏡といういつもの独特の姿でペンギンみたいにこちらにやってきた。この迷宮にフィクションが主流の国語は関係ない。そう思いいつものように会釈だけでやり過ごそうとしたら、近藤の独り言が聞こえた。
「みちおおち みちおおち…」
聞いたことのない念仏なのか呪文なのか、やはりいつも気持ち悪い。
「中にたちたるみちおおち…」
何故かその言葉の広がりに心が留められた。
「近道先生…」
「あれ、3組の藤田くんどうした? 珍しいじゃないか」
覚えてくれているんだ。
「今“みちおおち”って言っているのが聞こえたんですが、何のことですか?」
「ああ、それはね私がいつも疲れた時に思い出すようにしているものなんだわ。漢字にすると三千大千って書いてね、正確には三千大千世界、仏教が説くこの世の根源のことなのだよ。藤田くんはわかるかなぁ…、江戸時代に越後の草庵で生きた良寛さん。良寛さんは三千大千世界をみちおおちって呼んでおり、彼の有名な句にも入っているんだわ。図書館にもあるから調べてみなさい」
 意外なことに国語が迷宮の出口を教えてくれた気がした。私はすぐに図書館に向かい、筑紫選書なるシリーズの中に良寛を見つけた。背表紙裏の貸し出しカードは誰の名前もなく真っ白な状態だった。そしてすぐに見つかった。
 
あは雪の中にたちたる三千大千世界 またその中に沫雪ぞ降る

越後の丘で良寛は根源に出会ったのだ。いや、すでに出会いは済ませており、この雪の日に現世を離れ向こう側に意識を置いていたと考えたほうがいい。星の数ほどの雪の降る空に宇宙を感じた。その宇宙とは広がりの宇宙ではなく、微塵の素粒子が構成する宇宙、さらにその中にさらなるみちおおちを見据えている。つまり素粒子を構成するさらなる微塵世界の入れ子構造。
 さっきの堀川の話が徐々に私のシナプスを繋げていく。その微塵を思えば思うほどに大きな力を感じる。そうだ、それを神と名付けることができる。微塵が結合を繰り返すことで形として具現化する、それを行いと名付け、それらの過程の齟齬を不幸と名づける。こうして発生する事象をナラティブ化し、その成り立ちに気がついていない者たちに説く。
 その説教が何と名付けられているかに気がついた時、私は脳内にシナプスの発火を感じた。


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