年金貰ってる人、ほぼ月20万以下問題

こちらは、最近わたしがハマって見ている、年金のYouTubeチャンネル「年金トーク」だが、これを見ていると、ほとんどの人が年金の月額換算で20万以下の印象を受ける。

もちろん中には40万とか、大企業で国の年金とは別の企業年金や確定拠出年金があって、お金には困ってません。みたいな人もいる。夫婦ともにご存命なら、奥さんが専業主婦で年金が少なく、旦那さんが大企業みたいなパターンが多い。だが、インタビューを受けている人の割合でいうと極わずかというか、少数派になっている。

このチャンネルに出てくる高齢者の方々も、「月17万で税金も引かれるので、それでは食べていけません。」などと言っている。年金は払わなくなっても、介護保険は支払うだろうし、悠々自適の老後は幻なんだろうか。

夫婦お二人共公務員であれば、かなり年金は手厚く、老後は安泰だろうし、逆に働きすぎて旦那さんが年金貰う前に逝去した場合、遺族年金になると生活が満足になるほど貰えないので、専業主婦だった奥さんだけだと、しんどそうな感じはする。

出費の大半を占める家賃が、持ち家なのか賃貸かにもよるだろうし、大きな持ち家を持っていたが、子供が独り立ちしたので、家が大きすぎて賃貸に引っ越したという人も過去にはいた。

だが、冷静に考えてみて月額17万などという数字は、大卒初任給あるいは高卒であれば、それくらいの水準であってもおかしくない。もちろん、低いことは低いし、都内だと相当厳しいが、絶対あり得ないという水準でもない。

高齢者であれば、働いてきて家があったり、これまで買ってきた家電から他旧消費財などが揃っているが、若者はそういうもんでもない。もちろん、実家にいればいいじゃんという選択もできるが、それも家庭によるだろう。

高齢者でさえ厳しいと思っている水準の金額で働くことがなぜか当たり前になっている社会というのは、なかなか厳しい。そして、給料が安い人の年金は将来的に安くなっていくことは目に見えている。

そういうシステムを考えてみると、若者が将来に絶望するのもさほど不思議ではないというか、当然の成り行きである気もする。そこから抜け出すために一発逆転できるような、YouTubeだったり、SNSのインフルエンサー的なことや、投資に積極的になるのも自然に思える。

最近、物価が上がり始めているので、マクロ経済スライドで将来的な年金は少し増えるかもしれない。ただ、額面上増えるだけで生活できなければ何も意味がないし、おそらく生活保護の人なども今より増えると思われる。

ここ最近、日本の経済はかなり目まぐるしく変化している。コロナ禍で生活様式が変化したのもそうだし、リモートワークもコロナ後も意外と続いている。

世間では給料のベースアップが話題になっているが、非正規雇用の問題も相変わらずあるし、日本に限らず世界中見ても仕事と生活のバランスが良い国を見つけるのもなかなか難しい。

大企業は給料が高いとは言うものの、大企業の仕事の特定の部門は派遣社員が賄っていたり、BPO業者が部門丸ごと請け負っていたりする。そういう部門は年収260万~300万くらいだったり、高くても350万といったところで、3年を過ぎると給料が下がるという謎の構造だと思う。

そうなると、相対的に大企業の正社員は給料が高くなるわけで、そのように安く働こうとする人達の給料は政府の最低賃金や税金の減税に期待するしかない。

とはいえ、今の時代は昔のように性能の悪いパソコンが50万もする時代ではないし、音楽に関してもCD一枚が1000円するような時代ではない。安く楽しめるサブスクだったり、安い高品質なモノはたくさんあるので、その中で若者はネットを上手く使いながら、遊んで稼いでいくしかないように思える。

それを踏まえても、なんで今の私達はこんなに倦怠感というか、閉塞感のようなものを感じて、自由がなく将来の希望もないように思えてしまうんだろうか。

これは私が貧乏でどうしようもないから感じているわけでもなく、おそらく大企業に勤めているような20~30代の人達も感じている気がする。

そういう思いを感じていない人というのは、おそらく仕事が忙しすぎてそれどころじゃない人だったり、いい会社に入ってお金がもらえて、仕事を頑張って、結婚して子供を育てるというサイクルに何も疑問を感じずに、真剣に全うしようとしている人だと思う。

そのような人達は幸せだろうし、別に何の問題もないと思う。問題は、そのようなルートから本意でも不本意でも、何らかの理由で外れてしまった人であって、おそらく漠然とした将来の不安がつきまとうし、何をするにも情報の処理が追いつかない感覚に陥っている場合がある。

働いているうちから生きているかわからない将来の年金のことを気にするのも日本人らしい悩みだとは思うものの、実際に現在の目の前のことにフォーカスしても、イマイチ身が入らないというか、何をして自分は生きていくんだろうと疑問や不安が襲いかかってくる。

「何者にもなれていない」というカッコつけワードみたいなものがSNSでよく氾濫している。正直なところ、こんなことを言っている若者は余裕があるというか、何者かになる意味なんか無いことくらい、少し考えればわかる。

何になるかより、何をやるかで、それが自分にとってどれくらい重要な意味を持つかだと思う。それにプラスアルファで社会の役に立つとか、喜んでくれる人がいるとかを加えていけばいいだろうし、「何者にもなれない」とか言っている時点では、ただカッコつけたいと自惚れているだけでしかない。

年金トークのような、年金インタビュー番組はYouTubeでたくさんあるが、インタビューの対象となったご老人にも、時々壮絶な人生を歩んできた人がいる。

単に金が少ないとか、そういう次元じゃないことが人生で起こるだろうし、何者になろうが、いずれは老人になって死ぬわけである。

社会が作り上げた役割のようなものになろうとしている時点で、自分としては悩んでいるポイントが違うというか、人生で迷うのはそういうことじゃない気がする。

簡単に言えば、私は目の前の人生がずっと楽しくなかった。つまらない日常に耐える日常を続けてきた。だが、昔からそうだったわけじゃない。ある日突然そうなった。

将来のことを考えても仕方ないから、目の前のことを楽しもうと意識して生きてきたはずなのに、その流れが止まってしまった。

簡単に言えば飽きたんだろうと思うし、自分がやっていて楽しいと思うことがどんどん減ってきていることに絶望し始めた。歳を取っていくたびに、友達の数は減っていくし、信頼できる人との繋がりも減っていく。

それは私の場合がそうなだけであって、他の人の場合は違うと思う。だからこそ、自分の人生がいかに面白みのないものなのか自覚するようになってから、なんか目の前のことにも集中ができなくなってきた。

自分の人生にミラクルは起こらないし、何か面白いことが飛び込んでくるわけでもなければ、旅行に行ってたまたま人生を変えるような人と出会うわけでもない。

これまで生きてきて、こんなに人生は面白くないのかとチェックリストを作っているようで、自分が面白いと思ってきたものさえどんどんつまらなくなっていく。まるで老人になって、身体がどんどん動かなくなるような恐怖に似ている。

余生のような人生を送っている自分にとって、これから高齢者になったところで、何も変わらないかもしれない。

カネがないと、人生が楽しくないというわけではない。金があれば安心感が生まれるし、外に出ていける可能性が広がる。カネがないということは、生命維持や選択肢の幅が全ての行動において減っていくということになる。

ほとんどの人間が月20万以下の年金なら、行動パターンも似てくるだろうし、老人になってからの楽しみというのも、見つけるのは難しそうだ。

仕事をリタイアしたら暇になるというのは、これからの世代はあまり起こらなそうな気もする。それでも楽しく働けたらいいだろうし、何か自分の人生を振り返って充実していればいいと思う。

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