ストレスは自分の中にあるのか外にあるのか
少し前に「風呂なし物件が若者に人気」という記事があった。もちろん、私が知る限り、普通に正社員として働いていて風呂なし物件にあえて住んでいる人など見たことがないが、そういう記事が確かに話題になった。
こちらに貼った記事は、そのようにあえてミニマリスト的な、貧困でも楽しく生きることを肯定していくようなムードが広がることへの懸念を書いている。多くの人は共感出来ると思う。
私も節約家でかなりケチな部類ではあるが、この節約家の部分というのは、基本的にお金持ちになったとしても大きく変わらないだろう。だが、好んで風呂なしに住もうと考えたことはない。絶対に割安の家賃で風呂がついていたほうがメリットが大きいとわかりきっているからである。
貧困がストレスになるのであれば、貧困でも楽しく生きていける工夫をする方へストレスを逃がすのか、貧困にならないようにお金をたくさん稼いで新しいストレスを生むかもしれないが、現状のストレスを打開する方へ向かうのか、内在的か外在的かで対処が異なる。
「ストレス解消の方法は何?」とよく聞かれることがある。
その言葉を聞く度に、そんなストレスをみんな日頃から解消することを前提に生きてるのかと思うと同時に、そんな映画を見たり、何か好きな趣味をしただけでストレスから逃れられるのか、と思ったりもする。
ストレスについては私も常にあるのだろう。ストレスというか、不安に近いと思う。ストレスと言っても、多くの人が「精神的な苦痛」とか「漠然と嫌なこと」みたいな捉え方をして曖昧になっている感はある。
具体的にストレスの正体が何なのか、明確にわかっている人はいないだろう。もちろん、この仕事をしたら、ものすごい疲れる。だから、マッサージに行く、という対処はできる。
世の中にはマラソンが好きで自分から大会に申し込んで、お金を支払って休みの日に走る人もいる。成績上位を目指している人であれば、コンディションを整える期間はストレスがかかるかもしれないし、参加することに意義があると思っているファンはストレス解消になっているかもしれない。
同じような行動をしたからといって、人によって何がストレスになって、どういう結果を生むかはわからない。
オードリーの若林さんが偏頭痛の持病をずっと気のせいと言われ続けてきて、医療技術が追いついてきた昨今、ようやく偏頭痛として認められた時の安心感といったらなかった。と語っていた。
これと似たようなことに、女性の生理のコンディションも人によって全然その日の体調が違うので、生理が重い女性の敵は生理が軽い女性というパターンもあるらしい。
女性特有の身体のこととなれば、一般的に男女平等の議論になりやすい。だが、別の所にストレスの原因はあった。ということになる。もちろん男性上司の理解を得られないというパターンもあるだろう。だからこそ、ストレスの原因が何なのか大枠で決めるのは良くない。
ストレスを抱えていても、たくさん美味しものを食べればスッキリする人もいれば、食べ物が食べられなくなるくらいまで憔悴する人もいる。
そもそもストレスというのは外からやってくるものなんだろうか。
「仕事が嫌」と言う人は多い。だが、仕事自体が嫌なのか、満員電車の通勤が嫌なのか、臭い上司に会うのが嫌なのか、一生懸命働いても給料が上がらないのが嫌なのか、会社の将来が不安なのか、人によりけりだと思う。
そのような不安は自分で解決できるものなのだろうか。ストレス解消方法が議論されるばかりで、本当にストレスの根源を地球から消滅させようと動く人は少ない。
地震が起こっても大丈夫なように耐震性のある建物を作る技術は発展してきた。だが、地震そのものが起こらないように地球のプレートを止めようとする研究はなかなかされない。
もちろん、地球のプレートとなるとパワーが尋常じゃないので、人間には無理だとわかりきったことだからかもしれない。だが、ストレスに対しては、外の原因を潰せそうではある。なぜなら、人間が作り上げた社会で、自分が勝手にストレスを感じるようなライフスタイルに迷い込んで来てしまったからである。
今の社会はいろいろな仕事があるので、どうにかしたら仕事のストレスからは解放されるのかもしれない。だが、そう簡単なことではない。
よくやりたい仕事をやった方がいいと言われる。だが、実際は簡単なことではない。やりたい仕事なんかない人も世の中にいる。逆に言えば、やりたい事がない人は何でもできる可能性を秘めている。
自分もそれに近い人間だった。お笑い芸人になれるならなりたいと思っていたが、今の時代にお笑い芸人になっても、おそらくBIG3のようになることはできない。
会社員になるのは難しいと思っていた。それはバイトをすぐに辞めまくっていたこともあるし、仕事に行くときにワクワクする感情が生まれたときがゼロだったからでもある。路頭に迷っていた。
いろいろ調べていくうちにお笑い芸人でさえ、意外とやってみたらそこまで面白くなさそうだなというのも感じる。今の時代はそんな感じかもしれない。情報が入りすぎる分、無鉄砲に夢を追いかけられない。そんなことでもストレスが発生する。
もしネットがない時代に生まれていたら、お笑い芸人を目指したかもしれない。田舎から芸能界を目指す人が多いのも、なんとなくわかる気がする。
私の塾の先生がお笑い芸人だった。事務所に所属していたが、もちろん売れてなかった。そこから数年して辞めてしまった。特別つまらなくもなかったし、特別印象に残るような面白さもなかった。普通に面白い人は食っていけない商売なのかもしれないと当時はまだ学生でそう思った。
やりたい事と言うと難しいが、何か解決したい問題があるとか、使命感みたいなものが湧いてくる方が、意外と仕事とは結びつきやすいのかもしれない。
いくらサッカーが好きでも、1日中、毎日休み無く走り回ってる人はいない。さすがに疲れるし、疲れたら眠くなるし、腹も減るし喉も渇く。毎日同じような楽しさが補償されればいいが、雨の日もあれば友達が来なくなる日もある。
そうなってくると、自分はサッカーが好きだったのかわからなくなる。そして、なんとなく面白くなくなり義務感のようなものがストレスになる。
医者や教師は激務として知られている。でも医者や教師を続けられる人がいるのは、きっと使命感やそれらを乗り越えたところに、自分たちが本当にやりたいと思っていたものを手に入れられる感覚があるからかもしれない。
やりたい仕事でも100%のすべての仕事がやりたいことじゃない。医者でも事務仕事が発生したり、電話を受けることもある。寝る間も惜しんで、自分の命を削って赤の他人を助けなければいけない。それでも、モーニングルーティンを撮影しているYoutuberや芸人より給料が安かったら、絶望してストレスの原因にもなるだろう。
そうこう考えているうちに、私のストレスの原因がなんとなくわかってきた。私が平等じゃないことや、評価が曖昧になっていることを容認している社会がストレスになっているのかもしれない。
それが漠然とした自分の将来の不安にも繋がる。自分の人生に責任や自信が持てなくなる要因かもしれない。
私と同い年の人に比べれば金融の知識や生活水準を落として節約しながらコスパよく楽しく生きれる生活の知恵は身につけている。それで仕事が楽で楽しければ良いのだが、結局つまらないのである。
結局つまらない仕事をやるのなら、大金を稼げる方がいいに決まってる。大金を稼ぐ仕事をしている人の情報が、ネットからどんどん入ってくるのも精神的には良くないだろう。
同じ人生の時間を生きてきて、自分の所得の2倍や3倍、あるいは10倍や100倍差がつくこともある。少し前に生涯年収の記事を書いた。人間の生命線にそんな差をつけていいものだろうかと思ったりもする。
別に金持ちの人がいなくなるようにしたいわけではない。どちらかというと、所得が最低水準の人が普通に働いて普通に子供を産んだりできるほうが、自分としては社会が理想的な方向へ向かっていくんじゃないかと思っている。
金でストレスがどれほど解消できるかわからないが、貧しくても幸せな方法を探るようなことを、大学生くらいの若者個人が面白がって発信するのは良いかもしれないが、40や50になって貧困に苦しんでいるなら、おそらく60や70になって富裕層になることは考えがたいので、早急に対処すべきだと思う。
冒頭の風呂なしアパートの記事に戻るが、そもそも風呂なしアパートが現在まで残っている状況が自分としては不思議ではある。風呂あり、ユニットバスで台所があるアパートが家賃3万円でも借りる人がいないくらいの経済水準であっても、東京ならおかしくないはずである。
東南アジアのスラムを見て、劣悪な環境でも家族が仲良く暮らして幸せという映像を見たことが誰しもある。だが、その中に飛び込みたいかというと、嫌という人が多いだろう。
本人達もスラムを抜け出せて、衛生的に良い環境へ住めるなら、すぐに住むと思う。
何が楽しいか、何が幸せか、何にストレスを感じるか、それは人それぞれだと思うが、貧しい中でみんなで生きていこうというムーブメントが出てきてしまうと、日本特有の同調圧力や足の引っ張り合いが負の側面ではたらいて、発展から取り残された過疎の誰も住まない田舎の役場のような考え方に近づいていく気もする。
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