見出し画像

人生じゃんけん論



社会や人生とはじゃんけんと同じなのではないのではないだろうか。とふっと思った。自分の選択肢によって、誰かや何かに勝ったり、負けたりする。年収や、ブランド、地位や、身分。今の時代は特にそうやって、どこか誰かと比べることで自分を肯定したり表現することが増えているように感じる。
けれど実際は誰かに勝っていても、どこかで負けているようには感じないだろうか。ぐーがちょきには勝つけれど、あのパーには勝てていないように。

ただ負けることもできない人がいる。社会やじゃんけんのルールを知らない人だ。ルールをしらない。あることをしらない。それはなんのためのルールなんだろうか。今の社会にはルールが多すぎないか。じゃんけんはみんな知ってると思っているが、必ず知らない人もいる。これからルールを知っていく子どもや、そうゆう環境で育ってしまった人、手がない人、選択肢を持てない人。

ある程度のルールがなければ社会は成り立たない。が、そのルールはなんのための誰のためのルールなんだろうか。ルールを知らない人がどうすれば知れる環境になるのかを考えたり、勝った人が得をする世の中より、知らない人が参加できるものであるのだろうか。なるべく弱い立場の人たちが助けられるルールや制度が増え、生まれてくる命や亡くなっていく命に価値つけられないように。じゃんけんや社会がすべて正しいとは思わず、疑問を持ち、この先自分もなるべく、ぐーでも、ちょきでも、パーでもない。何かに縛られるものではなくて、もっと何かできる手で、ありたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?