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私、子どもオーケストラを作りたいの。

子どもオーケストラを作りたいと思ったきっかけ

① 私の高校時代

私が通っていた学校は、中高一貫の女子校でした。
当時、中学時代、運動がめちゃくちゃ嫌いだったはずの私は、バスケ部顧問の体育の先生に「明日からくるよな」と言われるがままに、バスケ部に入部し、その後3年間ガチでバスケすることになります。

転機はいじめでした。
中学2年の途中ごろ、いたずら半分で周りの子達がやっていたことだったのですが、当時の私のコンプレックスにもろに触り、そのいたずらされた日を境に、誰も私と口を効かなくなりました。
チームプレーのはずのバスケで、誰とも口をきかず、練習に出続け、誰よりも練習していました、と自分で言えるくらい練習をしていました。
事情をあまり知らない先輩たちから、「最近頑張ってるね」などと声をかけてもらったりしましたが、このままバスケ部にいる限界を感じたのと、自分の中で、「あ、やり切ったな」という気持ちがあって、退部することを決めました。

退部すると、私が退部したと聞いた、他の部活の先生たちから声をかけられるようになりました。
特に、バレー部とオーケストラ部。笑

それで、私はオーケストラ部に入ることを即決しました。

今まで部活を本気でやっていた私は、帰宅部だけは絶対に考えられない選択肢だったので、部活は何か入ろうと思っていたのです。
ピアノをずっとやっていたので、オーケストラでピアノが入っているやつだけでも参加出来たらなーと、甘いことを考えていたんですが、実際はというと、ピアノが入っているオーケストラ曲(しかも部活で選曲されているもの)は、ほとんどないと知り、毎日ただ行くだけの人になってしまい、時間を持て余しました。

そこで、顧問の先生に、当時仲のいい友達がやっていた「チェロがやりたい」と打診します。チェロは人気楽器。
中学で3年間やってきた同級生たちと、今後高校で渡り合えるのか、疑問でした。
そこで先生に勧められたのが、コントラバス。

見た目はデカイし、でも地味だし、コントラバスだけ弓の持ち方違うし。
すっごいパッとしない楽器で、嫌がってたんですが、渋々コントラバスに落ち着くことになりました。

でも、これが転機となったのです。

コントラバスは当時、「おしゃべりクラブ」と言われていて、低音すぎて下手でもバレない楽器…ということで、ゆるーい雰囲気のメンバー揃いでした。でも、やるならとことんやりたい性分の私。コントラバスをやり始め、音階やポジショニングなど、一通り教えてもらったら、あとは独学でフィンガリングなども考えて練習しました。もともとピアノをやっていたのもあって、音符も読めるし、弾いている音と楽譜を一致させるのも早かったです。

その結果、コンサートのオーディションで、入部して半年の私がトップになりました。中学で3年間やってきた同級生よりも、高校生で今まで6年やってきた先輩よりも、前に出てしまいました。まさに、出る杭は打たれる。また、この時も同じパートの人たちとギクシャクし、話すことはなくなっていきました。でも…めげません。笑

オーケストラには、パート譜(自分のパートだけの楽譜)と、スコアと呼ばれる総譜(全パートが書いてあるオーケストラ指揮者用の楽譜)があります。
私は、この2つを読み込むことにしました。オーケストラでやっている曲が、どんな構成になっているのか。どのパートとどのパートに掛け合いがあるのか。どこで転調するのか。今自分のパートはリズム、和声、メロディなど、どの要素を意識すべきなのか。などなど…。楽譜から読み取れる情報は、自分のパート以外のところも勉強して、スコアに書き込みました。色んなオーケストラの音源を聴き比べて、指揮者の意図の違いや、表現の幅を学びました。

こうやって勉強しているうちに、パートのみんなに、色んなことを教えることができるようになり、最初は「そんなことして何になるんだ」と煙たがられていたものの、顧問からパート全体が評価されるようになってくると、みんながついてきてくれるようになりました。

そのうち、他のパートも指導し始めるようになりました。
というより、「ちょっとなおちゃん、聴いて」と、他パートの後輩に頼られるようになったり、楽譜がほとんど同じなチェロパートと一緒に練習するようになったり、どんどんと幅が勝手に広がっていった感じでした。

オーケストラで私が学んだことというのは、本当に今でも財産です。
最初の頃は確かに、オーケストラや曲そのものの勉強をしていましたが、一番大切なのは「調和すること」だと身をもって学びました。
やっぱり、一緒にひとつの音楽を作り上げるメンバーと、ギスギスしていては、いいものは作れません。
自分がみんなに提供できるものはなんでも提供し、それでいて上に立つのではなく、自分もみんなと同じ一員として練習し、演奏する。一人ひとりと音を聞き合って、尊重して、一つのものを作り上げる。そうした人間関係のバランスや、リーダーシップというものを、オーケストラを通して学んだんだと思います。

② シェアハウス時代

高校、大学と卒業し、いよいよ社会人。新卒で入社した会社の配属が、東京だったこともあり、関東圏で家を探していました。ですが、今まで習ってきて、ずっと身近にあったピアノが弾けない環境に行くというのは、私にとってとてもストレスです。東京都内で、ピアノが弾ける物件を探しましたが、ある程度の広さがあってピアノが弾けるところとなると、新卒のお給料で住めそうな優良物件はありません。ので、「東京 音楽 シェアハウス」で検索しました。それで出会ったのがここ。

いやぁ、設備良すぎでしょ!笑
一応、内見に行って、即決しました。

ここでの生活、人生で一番楽しかったと言っても過言ではありません。初めはみんなと仲良くなれるか不安だったのですが、音楽という共通点があったのはとても大きかったです。
シェアハウスの管理会社が定期的に開いてくれていたパーティなどに参加すると、楽器ができるメンバーが、楽器を持ち寄り始めます。歌える人もいるし、みんな、上手い下手関係なく、音楽を楽しんでいました。
上はほんと、70歳くらいのおじいちゃん(笑)までいて、それでもギターを弾くんですが、拍が1拍多かったりして、本人は気づいてないですけど、みんなで笑いながら合わせたり、本当に楽しかった。

こだわりの強い人が多くて、みんなが作る料理も最高でした。私もそこで料理を教えてもらったり、お裾分けしてもらったりしていました。
週末になると、キッチンのエリアで、仕事している人がいたり、昼間から飲み始めてる人がいたり、美味しそうな何かを作ってる人がいたり。そうこうしていると、やっぱりみんな、シェアするんですね。
「これ作ったけど食べる?」
「え、それならこれに合いそうなお酒あるから持ってくる!」
みたいな感じで、気がつくとみんなで屋上階に移動して、まだ日が登って明るいうちから、飲み始めます。そのうち夕焼けを拝んで、スピーカーを持ってくる人(大体私だった笑)や、ギターを持ってくる人が出始めて、そろそろ冷えてくるから降りようか。って話になる。
それで、誰かが、「スタジオ入らない?」って言い始めると、深夜コース。笑
シェアハウスの地下にある音楽スタジオにみんなで入って、ドラム叩く人がいたり、ギター弾く人がいたり、キーボードの人がいたりして、ポップスを弾くこともあれば、即興演奏することもある。
基本、出入り自由だから、聴き専で踊ってく人が来たりもして、本当に毎日がパラダイスだった。

結局、私はイタリアに行くって決めて、そのタイミングで退去したんだけど、今でもそのころのメンバーとは繋がっているし、やっぱり私にとっては家族みたいな存在。

それで、長くなったけど、この頃から「こんな自由で、惜しみなくシェアできる場所を作りたい」って、そう思うようになった。

③ 今やってる福祉、心の仕事

心やエネルギーのことを仕事にしようと思った時は、まだ自分のことしか考えてなかった。人のことを考えてる余裕がないくらい、多分、私の心がまず限界だった。
当時の私は、働き方っていうものをあまりよく分かっていなくて、とりあえず120%全力でやればいいと思っていたから、ある時プツンと糸が切れて、その時初めて「あぁ、無理してたんだな」って気づく。そんなことを繰り返していた。だから、まず、自分がなんでそんなパターンを持っているかとか、そういう自分に対する理解が必要だった。
それで、心の仕組みやエネルギーについて学び始めて、色んなことが腑に落ちるようになっていったし、人を通して癒やされるという体験を重ねていった。
そうしたら、「愛したい」とか、そういう、能動的な願いが出てくるようになって、そういう私の願いが向く対象は、「家族」とか、「子ども」が多いことに気がついた。

場所作りがしたい、とずっと思っていたけど、その対象があんまり見えてなかったのが、だんだんと、地域の人や子どもがフラっと立ち寄れる場所だったらいいよなぁって思うようになっていった。

今は、ヒーリングの仕事の他に、児童養護施設に勉強を教えに行ったり、里親さんのお宅にお邪魔して、家庭教師(とは名ばかりで、主に遊び笑)をしたりしている。
多分、それをやって一番癒やされているのは私で、こうやって子どもたちと遊んでいると、無邪気でいれなかった自分の子ども時代を取り戻すみたいに、すごく自由な気持ちになる。1家庭にお邪魔すると、その周辺に住んでいる友達の子どもたちも一緒に遊んだりとか、自然と友達(子どもたち笑)が増えて行って、そうそう、私が好きな世界ってこんな感じっていうのを、今まさに体験している。

ベネズエラのエル・システマ

ベネズエラに、エル・システマというオーケストラがある。
ベネズエラと言えば、とても貧しい国で、富裕層を除くと、とても治安が悪い地域に住む人々や子どもたちがたくさんいる。そこに、ある1人の政治家が子どもオーケストラを作った。
当時の子どもたちは、日本では当たり前に高校、専門学校、大学のような進学を考えるような発想はそもそもなく、小学校を卒業したら働くというビジョンしか持っていなかった。それは、それが当たり前だからという風潮があるからだけではなくて、諦めているからだった。
そうした子どもたちが音楽を学び始める。
楽器を扱う楽しさ、難しさ。音楽に触れる豊かさ。
仲間との触れ合いや、大人たちの温かいサポート。
オーケストラをやりに来ているはずが、家族や学校での悩みを、オーケストラをサポートする大人たちに打ち明けるようになる子どもたちもいた。

オーケストラというのは、私自身も体験を通して理解したことだけれども、ただ上手く弾ければいい訳ではない。やっぱり、協調する力が必要になる。
ベネズエラのエル・システマでは、もちろん先生が教えることもあるけれど、子どもたち同士で教え合う。
自分が練習する忍耐もあれば、教えるからこそ育つ忍耐もある。それは、愛情がなければ成り立たない。
小さい子どもたちには、段ボールで楽器を自作させ、楽器を大切にする心を育むところからのスタート。

オーケストラを通して、まさに、心を育んでいる。

初めは進学を諦めていた子どもたちも、やれば出来る可能性を自分の中に見出すようになっていた。
彼らが小学校を卒業する頃には、大学進学を夢見たり、アメリカの音楽院に進みたいという子どもも現れた。自分自身に可能性を見出し、信じることが出来るようになっていた。

彼らの活動を知ったのは、私がまだ高校生の頃。
その頃はまさか、自分がオーケストラを作りたいと思うなんて思ってもいなかったけど、ずっと、とても心に残っていた。そして、私のやりたいことのモデルのひとつになった。

コミュニティ化しないコミュニティを作りたい

今の時代、特に私より上の世代の人たちのビジネスのあり方って、結局コミュニティに依存させる形が多いと思う。でも、私にとってはそれがちょっとだけ窮屈だったりする。

コミュニティ以外の人が入って来にくかったり、コミュニティ独特の共通言語があったり、コミュニティの中にいるからこその集合意識みたいなの、ちょっと苦手だ。

もちろん、コミュニティ、グループに、帰属するって、人間にとって必要なことだと思うし、それだけでも安心感につながる。それに、コミュニティが出来てくるにしたがって、どうやったってその中には集合意識が生まれる。だけど、もっと流動的になった方が、私にとっては心地いい。

目指すところは、分け隔てのない家。
シェアハウスに住んでた時みたいに、他人なのに家族みたいな、安心感のある関係を、みんなで築ける空間。

もちろん、怪しい人に来てもらっては、安全確保出来ないと困るから考えものだけども(笑)、でも、「あ、今日は灯りついてる。行ってみよ。」ってくらい気軽に入れる、みんなの家であってほしい。

イベントやってもいいし、みんなで夜ごはん食べたり、美味しいお酒持ってきたよ!ってシェアしてくれたら嬉しいし、シェアしたいし。

「今日ね、こんなことがあってね」って悩み相談しにきてもいいし、時々外国人が来てみんなで文化の違いについて話し合ってみるのもいいし。

その中にオーケストラもあったらいい。

音楽はお金持ちにしか出来ない風潮がまだ強いけど、どんな手段で無料化できるかまだわからないけど、子どもたちみんなに無料で音楽を学んでもらいたい。

私が高校時代、みんなから学んだみたいに、練習する大変さや忍耐も、楽器を大切に扱う心も、一緒に演奏する楽しさも、時々ぶつかりあってこそ分かり合える青春も、音楽を通して一緒に体験したい。

そんなわけで私、バイオリン習おうと思います

どうやってこの子どもオーケストラを作っていったらいいのか、どうやって場所作り(そもそも場所すら決まってない)をしていったらいいのか、全然わからないけど、でもいつチャンスが来てもいい自分でいたいし、やっぱり音楽は好きだから、まずは初歩的なことは、教えられるようになりたい。

だからまず、バイオリンを習ってみようかなって思う。笑

いや、物件探せよ!とか、クラファンとかあるよ?とか、色々思われることはあると思うんだけど、一気に全部やろうとすると、私の場合心が追いついていかなくなって、「あれ、私なんでこれやってるんだろう」って、抜け殻になっちゃうので。笑
一歩ずつ、色んなことを学びながら、自分とともに、自分を成長させていきたい。

こんな手段があるよ、とか。こんな前例があるよ、とか。
ここの団体お金余ってるよ、とか。笑

応援とか、共感とか、してもらえたらめちゃくちゃ嬉しい。
今目の前にあることを大切にしながら、夢も育んでいきたいです。

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