なぜ、香港〜追憶の地編

こんにちは、こんぶです。
今回は、前回のワーケーションに関する記事とは少し違う毛色になります。内容は、タイトルにある通り、「香港」に関してです🇭🇰
なぜ、いきなり「香港!?」と思われる方もいらっしゃると思うので、少しその背景を...
現在、私は都内で大学生をしているのですが、段々と卒業論文について考えなくてはならない時期が近づいて参りました。そこで、選んだテーマが「香港」なのです。

画像1

専攻が「国際政治」ということもあり、かなり選択肢の幅は広いのですが、その中でもなぜ私が🇭🇰を選んだのかということに関して少しお話しできれば、と思います☺️

なぜ、香港

私にとって、香港の重要性は3つあります。それらは、以下の通りです。

➀ 小学生時代を過ごした追憶の地としての香港
② 中国に対抗する民主主義の防波堤としての香港
③ 積極的自由を求める自主性の手本としての香港

それぞれについて少し、詳しく説明できればと思います。

➀追憶の地としての香港

まず、「追憶の地としての香港」ですが、これに関して少し私のバックグラウンドを説明する必要があるかと思います。
私は小学2年生から6年生を親の転勤の都合で香港で過ごしました。小学2年生だった当時、珍しく母に「一緒にお風呂に入ろう」と誘われ、そこで「香港に行くことになった」と告げられたのを鮮明に覚えています。
思い返せば、あれは母なりのご機嫌とりだったのでしょう。もちろん、遊び盛りで友達とも離れたくない私は必死に抵抗しますが、抗えるはずもなく、その1ヶ月後には高層ビルの立ち並ぶ香港の街並みを茫然と見上げていました。

画像2

香港を形容する言葉に"borrowed place, borrowed time"というオーストラリア人ジャーナリスト、リチャード・ヒューズの有名な言葉がありますが、まさに香港に行った私は"lent girl, lent time"状態でした。香港社会ではなく、現地で形成されていた日本人社会に迎合され、日本から香港に「貸し出され」時がくれば「返される」、そんな宙ぶらりんな子でした。
今、思い返すと非常にもったいないことをしたと思います。だからこそ、当時よりも私は現在の方が香港を想起することが多いです。

ここまで、読んでいただければなぜ香港が「追憶の地」であって、「思い出の地」ではないのかがおわかり頂けたのではないでしょうか。
三島由紀夫は、彼の著書「花ざかりの森」の中で、

追憶は「現在」のもっとも清純な証なのだ

と述べていますが、私にとって香港は私の「現在」を形成している大事な要素です。国際政治を学び始めた今、香港の経験を活かしきれなかったという後悔が私の学びの大切なモチベーションになっています。そして、それは過去に置いてきた「思い出」とは違い「現在」と密接に関わり合っているのです。

まとめ

香港に住んでいたのにも関わらず肝心の体験的記憶が抜けているため、香港を「美しい思い出」のまま保存することが私はできません。しかし、国際政治や多文化論を学んでいる現在に、香港の追憶は大きく影響しています。
また「住んでいた」という客観的事実と「香港社会には一度も溶け込めなかった」という主観的事実が、今の私の香港に対するアンヴィバレントな気持ち悪さを生み出しています。この気持ち悪さを解消し、主観性の欠如を埋めるためにも、香港に関して今一度真剣に取り組むべきなのだと思います。
だからこそ、卒論は「香港」について書こう!と決めることができました。

少し長くなってしまいそうなので、②と③に関して、また別の記事でお話ししたいと思います。今回は、少し感情面にフォーカスした記事になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました😁


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?