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【前編】15歳で単身ニュージーランドへ。シンガポールから考える日本。

ジョニー中村(なかむら)
大手旅行会社勤務。父の友人に外国人が多く、グローバルな幼少期を過ごす。
父の勧めで15歳の時に単身ニュージーランドへ、以降シンガポール、インドネシアなど様々な国を仕事で回る。東南アジアが大好きで、宗教学をはじめ文化や生活への造詣も深い。ムスリムのクリエイターとのハブとして、また現地の作品をキュレーションしハローハラルに届ける重要なポジションも担当している。



ジョニー中村とは一体何者なのか

── まずは中村さんの自己紹介を簡単にいただいても良いですか?

えーっと、ジョニー中村、35歳です。そうですね、何者か、と言われると、旅行会社に勤めていて、割と東南アジアでの生活が長かった人間です。
現在は沖縄で生活していますが、つい最近までインドネシアのバリ島に住んでいました。

── 何故バリ島に住もうと思ったのですか?

少し話の時系列が前後しますが、まず「コロナ」が流行った時に「自分の人生このままで良いのかな」と考える機会が多くありました。その時はシンガポールに住んでいたんですけど、考える日々の中でふと昔のことを思い出したんです。

僕は大学卒業後、香港本社の旅行会社に就職しました。
そして一番最初の赴任地がインドネシアのバリ島でした。

今でもたまに思い出すんですけど、飛行機から現地に降り立ったのが夜中の2時過ぎだったのですが、個室に連れていかれ、入国手続きがスムーズにいかず、結局無事に空港を出れたのが、なんと朝の4時過ぎでした(笑)

すっかり疲れていたのですが、外に出た瞬間に「うわっ!なんだこの良い香りは!」と衝撃が走りました。お香の香りが漂っていたんです。
明け方で真っ暗な状態、つまり何も見えない状況だったんですけど、感覚的に「うわ!ここ僕が好きな場所だ!」と思いました。

そして案の定バリ島での生活はとても楽しく自分に合っているなと感じました。

シンガポールに異動になるまでの1年間、バリ島で仕事をしていたのですが、いつかまたチャンスがあったらバリ島で生活したいとずっと心の中に想いがありました。

その時の気持ちを「コロナ禍」で思い出したんです。
ちょうど10年前に住んでいたので、10年間その「想い」が変わっていなかったことになります。

「バリ島にもう一度住もう」「向こうで生活をしよう」と決めました。

と同時に「バリ島に行って何の仕事をしようかな」と考えた時に、もちろん長いこと旅行会社で働いていた経験があるので、その経験を活かした旅行関係の仕事を。
それから現地で子ども達との偶然なる出会いもあり、子ども達と話し合って「日本語を教えるフリースクール / アフタースクール」を開校しようと決め、実際にバリ島に移住したあと、旅行会社の仕事とスクールの立ち上げ運営を開始しました。

とにかく自分はバリ島はもちろん東南アジアが大好きなんですよね(笑)

街並み、食事、人、すべてが好きなんです。

うまく言葉では表せないんですけど(笑)

── 旅行会社に入ったきっかけを教えてください。

実は日本の会社に勤められる自信がなかったんですよ。
その中でカジュアルな働き方を求めて、香港本社の旅行会社を選んだんです。
なんですけど、その会社がめちゃめちゃ体育会系で・・・。
外資系だったんだけど、日系外資だったから、社長も会長も日本人でバリバリの縦社会。
東南アジアのとにかく暑い地域でもネクタイを締めてジャケットを羽織って仕事するような会社でした。
しかし振り返って見れば、この時の入職をきっかけにずっと旅行関係の仕事を続けているので、今となっては良い選択だったのかな、と思います。

沖縄の雰囲気にもしっかり馴染む中村さん

── 温暖な地域でネクタイは大変ですね(笑)ちなみに中村さんはどんな子どもでしたか?

父が不思議な人で、というのも外国の友人がとても多い方だったんですね。
で、幼少期は割と頻繁に家に外国の友人を連れてきていて(笑)

父は農業高校の教員だったんですけど、その学校関連の人たちだったり、姉妹校がアメリカにあって、そこの先生たちが来日した際は家によく出入りしていたんですよね。

だから昔から外国人と触れ合う機会がすごく多い幼少期でしたね。その影響もあってか、英語が全く喋れなかったのだけど、外国の方とコミュニケーションを取るのは好きでしたね。

── すごい素敵な環境ですね、羨ましいです。その後ご自身が海外に初めて行ったのはいつですか?

家を出て海外に行ったのは中学卒業後なので、高校からは海外ですね。15歳。
ニュージーランドに行きました。父に「お前は日本の高校に行ったらダメになる、グレる、だから海外の学校に行きなさい」と言われて、インバーカーギルというニュージーランドの南島の一番下、南極に一番近い街に行きました。

そんな田舎のエリアなので日本人、アジア人が街中にも殆どいない状況で、いじめにあったり、車からビンを投げられたりとかありました「GO BACK TO CHINA!!!」と叫ばれましたね。差別の現状に驚きました。

なんだかんだで学校を卒業後もニュージーランドに住んでました。
ホテルの清掃、新聞広告の差し込み作業、飲食業なんかをしてましたね。4年弱住んだのかな。

今現在の活動について

── 中村さんの今の主な活動について教えてください

今は大きく分けて4つの仕事を行っています。

1つは「旅行会社」でバリ島がメインです。インドネシアにある古くからの知人の旅行会社に籍を置かせてもらっています。視察の手配や車両の手配、法務的なところでいうと会社設立の申請代行とか、バリ島を拠点に視察から会社設立までコンサルティングも含めて、日本語対応で幅広くサポート出来るような体制を整えています。

2つ目はオンライントラベルエージェント(OTA)。

3つ目は、Kunang Jewelry (クナンジュエリー)という、バリ島を拠点としたアップサイクルジュエリーの日本での公式フラッグショップの責任者をさせて頂いています。

4つ目が、冒頭に話した「フリースクール」です。
今僕は一時的に沖縄に住んでいるので週一回、オンラインで日本語をバリ島の子ども達に教えています。
彼らもオンラインで授業を受けるのが楽しいみたいで、もちろん対面でやった方が色々会話も出来るんだけど、例えばスライドを共有してトークしたり、これはこれで双方にとってメリットがあるなと感じています。

── 1つ目のコンサルティングについてもう少し詳しく教えてください。

そもそもきっかけはバリ島での生活をSNSにアップしていた時に、興味を持ってくれる人が多くて、その中で「バリ島に行きたい!」とメッセージを頂くことが多かったんです。
とはいえ自分は旅行業の免許を持っているわけではないので、会社に籍を置かせてもらってその中で活動をしているという感じです。

で、そこで旅行手配全般の相談を受け、提案書を出して現地でお迎えする、というフローを組みます。

今まで「旅行メイン」の方が多いですが、それこそハローハラルでもご紹介させていただいているクナンジュエリーの「加工現場がみたい」という声もあります。
一般的な旅行商材にはないような地域密着型で、普通の旅行では見れないようなバリ島の一面、コアでリアルな一面をお見せすることが可能です。

先日は、日本の某県の議員さん等がクナンジュエリーの加工場を視察したいとのことで手配させて頂きました。廃材からジュエリーが出来る工程をご覧頂き、皆さん感動されていました。

── 行政の方が来ることもあるんですね。

今までバリ島といえばマリンスポーツやりたい!とかマッサージ、スパを受けたい!というスポーツ・ヒーリング系の手配が多かったんですけど、最近は地域密着型の、それこそ僕が行っているバリ島での農業体験などにも関心が高まっていますね。

あとは「お祈り」についても人気があります。
「お祈りとは」という疑問に対してバリヒンドゥー形式のお祈りについて学んでもらいます。

その他だと技能実習生関連ですかね。技能実習生が日本語を勉強している現地育成校への視察の要望なども多いです。

インドネシアの学生はまじめで勤勉な子が多いですよ。

── 自分はベトナムに仕事で行ったことがあるのですがベトナム人も勤勉でポジティブで優しい方が多い印象でした、その辺り共通点などありますか?

ベトナムもまじめな人が多いですよね。
今回のテーマでもある「宗教について」の話に戻すと、ベトナム人て日本人と同じで無宗教の人が多いんですよ。

一方でインドネシアは国民の9割以上が「イスラム教」。
他にも、カトリック、プロテスタント、仏教、ヒンドゥー教など沢山の宗教が共存していますがバリ島は「バリヒンドゥー教」っていうまた異なる宗教がメインです。
インドネシアでいうと、全てのインドネシア国民が日本のマイナンバーカードみたいなものを持っているんだけど、そこに自分が何の宗教に属しているか、が必ず記載されています。

共通点ではないですが、逆にそこが大きな違いだと思います。

中村さんの高校生時代 ニュージーランドにて

宗教との出会いについて語らう


── 沢山の宗教コミュニティに友人も多いかと思いますが、ムスリムの方との出会いについて教えてください

そういえば、世界で一番無宗教が多い国ってどこか知ってますか?
日本人も仏教、神道が多いとか、新興宗教が多いとか言われますけど、ほとんどの人たちが何かを信仰している訳でもないので、言ってしまえば「無宗教」の枠に入る。

で、無宗教の割合でいうと日本は確か世界第三位。

ちなみに一位は中国なんですよ。
二位は確かチェコだったかな?ヨーロッパ圏だったかと。

本当にこの東南アジアという枠で見た時に、沢山の宗教の人が入り乱れている。
で、インドネシアって東南アジアの真ん中くらいにあって横に広く連なって2億人以上の様々な宗教に属する人々が生活している。

ムスリムとの出会いに話を戻すと、一番最初にバリ島で生活をし始めた時、ですね。でもその時はあんまり宗教のこととか意識してなかったと思います。
宗教のこととか一切わからないまま行ったので「ムスリムに会った!」という感覚は無かったです。

むしろ、なんか夜中に「コーラン」が住宅街で大音量で流れていて、正直当時は「何だよ夜中にうるせーなあ」とも思ってました(笑)
その当時住んでいた家の近くに巨大なモスクがあって、決まった時間になるとモスクから大音量でコーランが流れてきたりして、とにかく「うるせーなあ」と思って生活してたんですよ(笑)
その時はそれがイスラムと関係しているかどうかすらわからなかったんです。
だけどそのあとの異動でシンガポールに行った際に、あ、そもそもシンガポールって超他民族国家なんだけど、中華系、欧米系、インド系、アラブ系、本当にいろんな人種が入り混じる超多言語社会でもあるんです。もちろん多宗教。

そこでヒジャブをつけている人、マレー、インドネシア、アラブ系の格好、インド系の格好を改めて見て、一つの国にいながらこんなに文化、宗教、習慣を見れたのが「宗教に興味を持つ・知るきっかけ」になりました。2010年頃、僕が大学休学して世界半周中にたまたま行きついたシンガポールでお金がマジで無くなって路上生活していた頃ですね(笑)

必然的に宗教そのものに興味を持ったのもこの時です。

興味を持つことで世界との距離が近づくことを教えてくれる中村さん

東南アジア生活の殆どを過ごしたシンガポールについて

──シンガポールに異動してからのお話を聞かせてください。

最終的には支店長代理のポジションまで行きましたけど、1年目は下っ端のペーペーから始まりましたね(笑)
なんか、1年ごとに昇格することが出来たので、なんだかんだ仕事はトントン拍子だったのかな。

──すごい!中村さんが優秀だったということですね。

いや、実は仕事を全然していなかったんですよね(笑)
なんかあのー、見せるところはしっかり見せて、他は結構サボってました。
「外回り行ってきまーす」と言ってマッサージ行ったりとか(笑)

── 最初に「日本の企業では働けない」とおっしゃってましたが「シンガポールでの働き方」はマッチしてた?って事ですか?例えば日本の一般的な企業だと縦社会であり、昇格するのだけど、そこまで給料が大きく上がらないけど責任は重くなる、みたいなイメージもあると思うのですが。その辺りはいかがでしょうか?

そうね、給料はしっかり上がりましたね。またボーナスもしっかり貰ってました。
今考えると「あの金どこに行ったんだろう」と思います(笑)

── さらに許しあう様なゆるい空気感もあったということですね(笑)他に働く中で衝撃や感じたことはありましたか?

少し話がそれますが、今思うと、宗教とか人種とか、知識がない事もあって若い頃は全然考えてなかったなと振り返ると思います。
例えば目の前で白人が歩いていて「あの人宗教何かな?」とか考えないじゃないですか?日本人は特に。

だけど、やっぱりシンガポールで働き始めた時に、街中で「お酒が無い店」を見つけた時に「ああ、お酒が出ない店があるんだ!」「なんでソフトドリンクしかないんだろう」とか驚きはありました。

つまみはあるんですよ、つまみはあるけど酒がない「えーこのつまみ絶対ビールに合うのに何でビールがないんだろう」と思ったことは今でも覚えています。
それと「豚肉が無いお店」も衝撃でした。

もちろん自分が無知だったからなんですけど、あ、そういえば日本に戻った時にインドネシアの友達にお土産を買ってきたんですよね。喜んでくれたらいいなと思って。
渡した時に「これ何が入っているの?」と聞かれて裏の成分表に「ポーク」って書いてあった時に「ああ、無理無理 食べれない」と言われて、色々考えるきっかけをもらいましたね。その後「豚肉がお店に無い理由」もようやくわかった訳です。

── 確かに、こちらは善意でも相手からしたらそうではないことも知識がないと発生してしまいますよね。

そういう意味ではシンガポールって今でこそ物価が高くて犯罪も少なくて綺麗な街、確か治安の良さが世界2位だったかな?東京よりも高い治安の良さなんですよね、そんな素敵な国。

一般的には多国籍多宗教だと揉め事とかも多いんじゃないか?と連想することもあるかと思うんですけど、そこが絶妙に上手に区画わけされていて、ここはアラブ人の街、ここは中華系の街など、もちろん日常生活の中で混じり合うんだけど、お互いを尊重しながら生きている姿はすごいな、と思いますね。

── すごいですね。共存することへの姿勢に感動しました。

本当にすごいので、是非一度シンガポールを訪れて見てほしいです。
「明るい北朝鮮」って呼ばれているんですよ、シンガポールは。

一党独裁で、国民はみんな監視されていて、確か監視カメラの数も世界一だったんじゃないかな。だからこそ犯罪も少ない。

政府も人の動きをよーく見てる、だからある意味では怖い、プライバシーが少ないっていうのかな。でもこれも一つの「正解」な気がするんですよね。

中村さんがバックパッカーを開始した19歳の頃 タイにて

日本社会が抱える問題について 宗教を通して考える


── 今回の取材した記事は何回かに分けて投稿させてもらうのですが、一番中村さんに聞いてみたかったトピックです。詳しくは第2段で掲載させてもらう予定ですが、少しだけお話伺ってもいいですか?

これはね、本当に言いたいんですよ、僕は。
日本社会が抱える問題は沢山あると思うんですけど、一番声を大にして言いたいのが「多様性、多様性ってみんな言うけど、本質的な意味を理解していますか?」です。

多様性って別に「人を知る」とか「人を受け入れる」とかそういうことだけじゃないと思うんですよね。

例えば「ハローハラル」がやろうとしていることの中で絶対「イスラム」という言葉が出てきますよね?
多くの日本人が「イスラム」と聞いた時にどういう印象を受けるかな、と。
テレビとかで「イスラム国」とか聞いたことある人は「イスラム=ちょっと危険な人たち」またはヒジャブを着けている女性を見て「顔を隠してどういうつもりかしら」と思ったり発言したりする人も沢山いると思います。

「多様性」を連呼する割には、そういうことを平気で言える人も多い、つまり間違った認識で物事を捉えている、またはその様に考えている人が実際問題多いのではないか。

例えば「タトゥー」なんかもそうですよね。
タトゥーをしている人は怖い人だ、危ない人だと決めつける。

もちろん日本における罪人やヤクザの影響もあると思います。
でも、実際のところは今はメジャーシーンに上がってくるほど色々な人がタトゥーを楽しんでいる。にも関わらずタトゥーを悪者扱いする風潮は未だに大きい。
宗教に対してもそうですが似たようなイメージがある様に感じます。

あとあれです「豚肉が食べれないからって何故その人をバカにできるのか」「お酒が飲めなければ会社の飲み会には参加しちゃいけないのか」など、気になる所です。

昔エジプトに行った時に面白い体験をしたんです。そこでは宝石屋さんが・・・

【中編へ続く】

中村さんのインタビュー第2段もお楽しみに!

(文、編集:森澤雄基)

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