死にたいとも生きたいとも思えないこの場所で
「なぜ自分は存在していて、何のために生きているのか、人間の生きる意味って何か」と悶々と考え始めたのは、中学生の頃だった。そのころ私は、自分を取り巻く環境を表す言葉も、自分自身の状態や心、感情の動きを表す言葉も、またその場に応じた適切な単語を探し出す力も、今よりもっともっとひどく、皆無で稚拙だった。
永い思春期は、私にとって今でも「思春期」や「多感な時期」と独りで振り返ると、心が苦しく狭く、息苦しい、陰鬱とした表情になる。
あの頃の私は、「いつか終わるはずなのに、永遠に続くよう