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日記 6.18

あふれた
ぶわっ どろどろ どろどろ 
ざざざーっ さあーっ 。

はあ ため息をついた
眼の中につかの間の泉がひろがる

ふいに という言葉を
人生はこよなく愛するらしい

ふいに よぎる
ふいに であう
ふいに わかる

そして私は今日も
ふいに 生きている


幸せだ

たまたまだが まただ

また見つけたのだ言葉を
敬愛する谷川俊太郎さんの言葉だ


以前「聲」という詩を書いた
今日なんとなく読み返していたのだけれど

“ふいに“ その漢字の成り立ちが気になって調べてみた

↑ こちらのサイトに辿りついた

人々はかつて体を使って伝えていた
今も声は喉を使っているし、
この日記を書くのだって手を使っているけれど。
なんていうかもっと大掛かりだったのかもしれない


そしてこの記事の下の方に、谷川俊太郎さんの言葉がたまたま載っていた

ああやっぱり重みが違う
選ぶ言葉が一々うつくしい

そう思ってなんだか幸せに浸っていた


自分でもよくわからないけれど
“ふいに“ 綺麗な言葉に出会ったとき
森の中でユニコーンを見つけてしまったような
神秘的な気持ちにつつまれる

自分の中の何かがあふれる

そういう瞬間がたまらなく好きだ



「聲」について知ったことで
谷川俊太郎さんの言葉にまた出会ってしまったことで


声に出して伝えることについて
想いを馳せたくなった
別に大きなことじゃないし
文字で伝えるのも好きだ

でも体を使って伝えるって
うん、そうだな
現代でも気持ちの面で言えば大掛かりだ
だからこそ文字で伝えることとはまた違った
心を揺さぶる何かがあるのかもしれない

って思った日でした



今夜は脳内空想が止まらなそう
(止まってる日なんてないけど)




画像:お借りしました


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