3.11 東日本大震災から10年 【あの日を忘れないために】
2011年3月11日14:46
10年前の3月11日、私は当時小学4年生でした。
14時46分、今まで感じたことのない地震が襲ってきました。
一体何が起きたのか全く分からず、テレビを帰宅して急いでつけた時、画面に映っていた津波の映像は、今でも鮮明に私の目に焼きついています。
「え、、、これはどこの映像?今、日本で実際に起こっている映像なの?」
私の頭はクエスチョンマークだらけでした。
「同じ日本の東北地方の方では今、あの揺れの影響でこんな悲惨な状況になっているの...」
全身に鳥肌が立ちました。
そして子供ながらに地震の恐ろしさ、威力を実感しました。
そのあと時が経つごとに、徐々に様々な震災の情報が耳に入ってくるようになり、何か被災地のためにやりたいのに、
小さい力では現地に手伝いに行くことのできない、募金しか被災地のためにできない無力感・もどかしさをずっと感じていました。
震災から5年後、高校1年生の時に南三陸町へ
震災から5年の月日が経った頃、高校1年生になった私は、宮城県の南三陸町を学校のプログラムで訪れる機会があり、急いでそのプログラムに申し込みました。
実際に現地を訪れてみると、それはそれは空気がとっても綺麗で、とにかく海が綺麗でした。
「こんなに静かで穏やかな海が、あの日はあんなに大きな津波で全てを呑み込んでしまったのか...」
と想像するとどれだけ当時、大きな地震であったか、と痛感しました。
私たちは震災当時の状況を忘れないために残されていた、南三陸町の防災対策庁舎を訪れさせていただきました。
防災対策庁舎はテレビで何度か見たことはありましたが、映像で見る以上に、実際に目の前で見ると、
当時の状況・津波の恐ろしさ・津波の威力を、この建物から目の前で強く肌で感じました。
防災対策庁舎は、テレビで見るよりもとても大きな建物で、目の前で見た時、
「3階建のこんなに大きな頑丈そうな建物が津波で3階部分まで丸ごと呑み込まれてしまったの...」
私は、語り部の方のお話を聞きながら、
想像を絶する津波の大きさ、
そして鉄骨でできている頑丈なはずの建物の柱が、津波の強い威力によって完全にグネっと大きくねじれ曲がってしまっている状態を見て唖然としました。
ここだけ当時2011年3月11日から時が止まっている。
そう感じさせられるほど強いメッセージのある建物でした。
砂浜から見つかる震災の跡
私たちは南三陸町の浜辺をクリーンアップする活動にも当時参加させていただきました。
驚いたことに、5年経ったその時でも、当時の震災の時の瓦礫などが砂浜からどんどん見つかったのです。
震災の跡は今でも残っている、そう実感させられた瞬間でした。
あの日を忘れないために、
今それぞれにできることを
南三陸町を訪問した時、思い出したくない辛い経験の記憶を私たち学生のために一生懸命、涙ながらに、お言葉にして伝えてくださった現地の方々の強いメッセージ・お言葉は全て私の心の中に今でも鮮明に残っています。
この経験は私の人生においての永遠の大切な財産です。
あの時、南三陸町の復興市場で食べた美味しい海鮮丼、地元の方々・漁師さん達の元気あふれる優しい笑顔、
「また来てね!」
そう、笑顔で私たちを見送ってくださいました。
本当に現地の方々は暖かかった。
また絶対に東北へ行きます。絶対に忘れない。
あの日感じた、空気、気候、地元の方々の笑顔、涙、言葉、、、全て私の心にずっと残り続けています。
あの日、3月11日14時46分、同じ日本で起きたこと。
日本人として、絶対に忘れてはいけない日だと思います。
今日で、あの日から10年の月日がたとうとしています。
私たち若い世代こそ、今後の日本社会にこの日の出来事を次の世代へと伝えていく責任があると思います。
あの日を忘れないために、
「今私たちにできること」を考え、
行動しましょう。
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