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ネガティブな自分を見て見ぬふりした結果

わたしはときどき、気がついたら頭の中がネガティブな考えでいっぱいになってることがあるんです。

そのネガティブワールドのわたしは
いつも誰かを攻撃してるんです。
誰かというのは特定の相手もあるけど、わざわざ架空の人物を想像してることもある。

もし、こんなやつが現れたら
こう言ってやろう!👿
とか
こんなやつがいたらこうしてああして...👿
とか


何やってんだか🥲

毎回パターンは同じで
何か嫌なことをされるというのが前提にあり
その上でわたしは、その相手を
言葉で詰め、正論(だと思ってる)でねじ伏せて、軽蔑して見下して、グサグサと攻撃する。
ということをしています。

そしてハッと我に返って

いかんいかん...
またよからぬことを想像していた...

となるんですね。


これなんだろう?とずっと思ってて。


思考は現実化します。

自分の信じていることや思い込んでいること
感じていることが目の前の世界になります。

だからあまり余計なことは考えたくないのに
ましてやこんなネガティブなこと....

実際に起こったわけではないのに
わざわざ頭の中でネガティブな茶番を
繰り広げているわけです。

何でかな、何でかな

って思ってたら
何となく出てきた答えが



わたしはいつも
言いたいことを我慢しているのでは?

良い子ちゃんを演じているのでは?


だったんですね。


正直自分ではそんなつもりなかったけど
思い返してみたらたしかに
思い当たることはあって。

普段の生活の中で
わたしは怒りを相手にぶつけたり
文句を言うってほぼほぼ無いです。

怒りの感情は当然に湧きます。
モヤッとすることも、イラッとすることも
「なにそれ?」と詰め寄りたくなることも
あります。

でも実際しません。


家族にも友達にも職場の人にも


「なにそれ?」と思うことがあっても
いいません。


言っても良い結果にはならないと
思っているからです。
無駄だと思っている。

言った後、空気が悪くなるし
言ってしまったという罪悪感を
自分が感じることになるのはわかっている。
わたしが悪者にはなりたくない。
(↑わたしの意見は受け入れられない
という前提の考えですね)

そもそもこんなこと言ったところで...とか
もはや相手にすらしたくないとも思います。

なので、言わない。


争いたくないんです。


それに、接客業をやっているのですが
当然お客には反論はまずできませんね。
それはしてはいけないことです。


だから
こちらが悪くなくても謝ります。

こっちが大人になろう、と
飲み込みます。


まぁそんなこともあるよな、とか
仕方ないか、そんなもんか、と
とりあえず頭を納得させます。

わたしにも反省することが
あったかもしれないよな、
こう言ってあげればよかったかな、と
自分の非を振り返ります。


そうやって
怒りを、傷ついたことを
"なかったことにしよう"と
しています。




だからだなぁ、と。



本当は言いたいこといっぱいあるのに

おかしい!
傷ついた!
ひどい!
謝れ!

って素直に吐き出したい気持ちが
たくさんあるのに

でもそれを飲み込んでいるから

行き場をなくした感情たちが
そうやってふとした時に
暴れ出してるのかなぁ、なんて。


何でもかんでも言えばいい
ということでもないし
感情を全て口に出すのが良いというわけでは
ないでしょう。
自分の行動を改めて大人な対応をすることも
必要です。

でもだからって
フッと沸いた怒りの感情
口からつい出そうになった言葉も
嘘ではありません。
紛れもなくわたしの中に生まれたもの。

それすらも「ダメ」と押さえ込む必要は
ないんですよね....


ぼくたちの想いは無視なの?
むかついたり、悲しかったり
うざい!って気持ちだって
立派な感情なのに!
思い出してよ!!!!

そんな風に
感情たちが出てきているのかも
しれないなぁ

そう思いました。



わたしは
感情はポジティブとネガティブがあって
両方とも必要なんだよ、と言いつつも

実際は全然ネガティブを受け止めて
いなかったんだと反省しました。

もっと、ちゃんと
ドロドロとした汚い感情すらも
しっかり向き合っていこうと思いました。


子供の頃はまっすぐ、素直にしかなれなくて
それによって傷つくこともあったけれど
いつも正直でいられた。
大人になって賢くなりすぎたぶん
我慢に慣れてしまったんですね。


そういう意味でも
子供心にかえる、って
大事なんだなぁ...



以上、最近の気付きのお話し。


はろあに

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