見出し画像

【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・4

1.ヨルダン、イランー2016年 (1)ヨルダン

日本の外交に感謝
 
夜9時。
 クイーン・アリア空港に下りるとまったく理解できないアラビア語に圧倒され、もしも予定通りに迎えが来なかったらどうなるのだろうか、しかも通信機器にはSIMも入っていないので不安なことこの上ない。
 取り敢えずは現地通貨を手に入れ、入国ビザを買わないと入国できないのでビザの販売窓口で並んでいると、窓口の向こう側、国内側から強面の男性がカウンターを抜けてこちらに入ってきた。セキュリティーも止めようともしない緩さにひるんでいると、その男性が胸元に掲げている紙を示しながら、私の名前を尋ねてきたので更にひるむ。この人が迎えのドライバーらしい。ビザを買うのに並んでいるのだと状況を説明すると、私のパスポートを入国審査官のところへ持って行き、そのままスタンプを押してもらって戻ってきた。そして強面のまま、
 「日本は仲良しの国だからビザは要らないんだよ。ようこそヨルダンへ!」
 私たちの知らないところでしっかりと外交を続け、敵を作らず日本人の品格を守ってくれている日本の象徴に、生まれて初めて感謝した一瞬だった。
 
 運転はかなり乱暴だが、ほかの車が乱暴なので対抗しなければ返って事故を起こしてしまいそうだった。ほぼ24時間の長旅の後、後部座席のシートでほっと一息付けるのかと思いきや、ホテルまで無事に着けるのかどうか、新たな心配でシートベルトを握りしめていた。
 30分以上かかって、ようやくアンマン市街のホテルに着くと、新たな強面がレセプションで待ち受けていた。
 「こんにちは。サエルです。ヨルダンでのあなたのドライバー兼ツアーガイドです」
 実直さが伝わる笑顔で迎えてくれた。
 ヨルダンの旅程は、ホテル、朝夕食付きの6泊7日。今回、ヨルダン、イラン共にこだわったのは、3~3.5ツ星以下のホテルに宿泊することだった。高級ホテルは外国人や要人が多いので、テロの標的になるからだ。基本的に、熱いお湯のシャワーが出て、安全で虫がいない程度に清潔ならばまったく問題はないので、3~3.5ツ星で贅沢なほどに快適な旅だった。
 
 翌朝からアンマン郊外のジェラシュ、アジュルンといった史跡を見学に行き、正午を過ぎると暑くて活動できなくなるので、ホテルに戻る。夕方からまた活動するというのが、ヨルダンでの過ごし方だった。アンマンでは、観光から戻って夕方、ホテルから20分ほど歩いて中心地へ散策に出掛けた。
 “混沌”――。まさにそんな言葉がぴったりの街。
 人人人……車車車……。商店街は同じ業種の店が固まって並んでいる。靴屋の隣りに靴屋その隣りに靴屋、そのまた隣りに……といった感じで、隣り合うことで競合しているのか、協力しているのか。たまに「ニーハオ、中国人?」と店の人に声を掛けられると、「日本人よ!」とむきになって言い返したくなる衝動を押さえつつ、道路を渡ると戻って来るのに一苦労する。信号がほとんどなく、走る車の間を縫うような形で道路を横断するしかない。現地の人は車との“あ・うんの呼吸”を心得ているので上手に渡りきれるのに、旅行者となるとコツがつかめず変に立ち止まったり怖気づいたりしてしまう。免許の取り立てで高速道路の本線合流をするような気持ちだ。
 地元の人しか行かないようなマーケットへ入っていくと、ウサギ、ハト、ニワトリなどが小さな檻にぎゅうぎゅう詰めに入っていて、この先へ行ったら見たくないものまで見てしまいそうなので、Uターンして出てきてしまった。
 しかし、こんなに混沌としながらも、なぜか“怖い”印象がない。もちろん、これまでに命の危険にさらされるような怖い場所へ行ったことがあるわけではないが、たとえば夜のシドニー中央駅周辺は犯罪臭がプンプンして、絶対に一人で歩きたくないと思わせるほど、ピリピリと刺さるような怖さを感じる。ところが、そうした怖さがここにはない。商店街の真ん中だからなのか、警官の姿がちらほら見えるためなのか。
 ホテルに戻った直後、すぐ目の前のモスクからコーランが流れてきた。街全体を包み込むようなコーランの音色は、その昔イスタンブールを訪れて以来だ。まるでイスラム帝国の壮大な歴史絵巻を目の前に広げられたような幻想的な気分になる。
 本当に遠くまで来てしまったのだな、と改めて思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?