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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・16

2.カンボジア―2017年

 アンコール王朝の溜息

 初日、集合時間にロビーへ行くと、ピーが既に待っていた。うちの夫の取り柄はあまりないのだが、時間を守ることだけは日本人標準であることをこの際付け加えておく。
 今日の旅程は、ベンメリア、バンテアイ・スレイ、タ・プロムなどなど。車中では夫がピーの横に座ってずっと話しているので、私はときどき耳に引っかかる会話に割り込むか、外の景色を眺めているだけだ。私はアングラ話が大好きなので、空港で見たリーフレットのことを聞きたくてうずうずしているうちに、ベンメリアの古代寺院に到着した。
 嫌な予感はしていたが、どこへ行っても中国人ばかり(これからもずーっと)。もともとの国民性に加えて旅先で舞い上がっているせいか、まさにやりたい放題。若いカップルは昼日中からお触り喫茶状態、おばちゃんの集団は “洋品店”のマネキンがまとっていそうなドレスを着て遺跡の前でポージング。後ろで列が詰まっていようが、写真の順番を待っていようがお構いなしだ。バブルのころの日本の女子大生や農協のおばちゃんたちも、ハワイやシャンゼリゼで同じように迷惑を掛けていたのだろうな。申し訳ありませんでした。
 翌朝は4時半起きで、アンコール遺跡群の観光で、まずは定番の朝日に染まるアンコールワットを見学。さすがヒンドゥー教最大の寺院といわれるだけあり、すごいぞ!……観光客の数が。アンコールトムの城壁も、バイヨンのレリーフも石像も、タブレームのカシュガルの木も圧巻だが、感動する間もなく人が来るので人を入れずに写真を撮るのはまず不可能に近い。夫は相変わらずピーと話し通しで、私と息子は早起きと暑さと人いきれでぐったり。
 「カンボジアは、ちょっと来るのが遅すぎたね」
 ディナーショーでクメール料理をつつきながらつぶやいた。
 思い返してみれば、私は良い時期に各国に行っている気がする。
 長年の憧れだったトルコへ行ったのは1989年。当時はまだ日本人が珍しく、イスタンブールのインフラ整備も始まったばかりで、地方へ行けば子どもたちがカメラを物珍しそうに遠巻きに眺めていたころ。改修前のスルタンアフメット・ジャミィに足を踏み入れた瞬間、あまりの感動で身体は震え涙が流れてきたほどだった。その5年後にヨーロッパ周遊をしたとき、立ち寄ったイスタンブールは見違えるように整った美しい街になっていた。当時、今でいう出会い系で知り合った某通信系企業勤務の男に「イスタンブールの通信事業はうちの会社が請け負っているんだよ」と得意気にいわれて、こいつとは二度と会いたくないと思ったこともついでに思い出した。
 バリ島へ行ったときも、東欧へ行ったときも、日本人を含む観光客などほとんど見かけなかった。観光客がいないので、インフラも進んでなく不便そのものだったが、その分、人が親切だったので助けてもくれた。ヨルダンは観光客が激減している時期、イランには元から外国人観光客がほとんどいない。
 これに対してカンボジアは、観光客で溢れかえっている。東南アジアの最貧国と言われるカンボジアが経済成長を続けられるのは、縫製品の輸出と観光業によるところが大きいことは知られている。長い内戦で人口の3割が殺され、労働生産人口も少ないのだから経済活動を外資や外貨に頼るしかないのは理解できる。国は発展して豊かになっていかなければならないのだから、外国人の、しかも観光客の私が偉そうなことを言う立場にはないことはわかる。しかし、もう少しだけ早く来ていたら、栄華を極めたアンコール王朝の溜息ではなく、息吹が聞えたかもしれない。

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