夏-vol.4 福田花


夏のサイド


 高く上がった打球が真っ青な空に吸い込まれる。一瞬それを見失って、ボールの影がグラブの位置を確かめさせる。夏のグラウンドは乾いた砂のほこりっぽい匂い。汗で滑るボールを握りなおす。帽子をかぶっても焼ける真っ赤な顔。べた付く足に長いソックスを2枚も履いている。Tシャツの上にはボタンの付いた通気性の悪い白の厚手のシャツ。白いズボンにベルトを通してそれらをしまう。どれだけ暑くても変わらない練習着。太陽の真下、日陰のないダイアモンドで大きな声を出しながら駆けずり回る。

 4年生から野球を始めた。二つ上の兄と父の影響である。家のすぐ前にある大きな公園が学童野球の練習場で、野球をすることに興味を持つのは自然な事だった。
 松林に囲まれたその公園は、対角線に二面使って野球ができるほど広いグラウンドと、背の高いネットを挟んでよくある遊具のあるいわゆる公園らしいエリアに分かれている。野球を始める前までは、小学校の下校途中に友達と約束をしてここに集まった。お小遣いを少しもらったら隣にある駄菓子屋さんで慎重に駄菓子を選んだ。夏休みには眠い目をこすりながらラジオ体操をしに行った。幼いころに飼っていた犬も、今いる犬もこの公園で散歩をしている。物心ついた時から自分の庭のように遊べる場所だった。

 野球の練習をしていると聞こえるのだ。暑さに拍車をかける蝉の大合唱、隣を走る東武線の電車は風を運ぶよう、奥に見えるプールで遊ぶ子供たちの声は羨ましく、跳ねる水の音に涼しさを求めた。止まらない汗を拭いながら無我夢中でボールを追いかける。三塁側の屋根付きベンチでお母さんたちが作るよく冷えた麦茶とスポーツドリンク。そのジャグが私たちのオアシスだった。平日の放課後や土日は練習や練習試合があった。休みや空いた時間を返上して親御さんたちは毎日のようにある私たちの練習に付き合ってくれていた。当時の私にとっては当たり前の光景だったが、今考えると子供以上に熱心な家族がいたのだ。

 小さいころの記憶は、なんだか頭で壮大なものにしてしまいがちだが、大人になっても“私の庭”は、子供の頃に思っていた通りとっても広い。松林の間を縫うように敷かれたアスファルトを歩くと、すぐに伸びるはずの名前も知らぬ草花が綺麗に刈り取られていることに気づく。夏でも松の緑は深く、優しい木陰を作る。昔に比べるとだいぶ木は切られて風がより抜けるようになった。まぶしいほど青く広い空に真っ白の入道雲が流れる。松の深い緑と影ってより濃く見える茶色の幹がその色をより鮮やかに見せてくる。春にもっさりと咲いていた桜は青々とした葉にかわり、毛虫をちらちらと落とす。きんもくせいはあの香りのしないまま、艶やかな葉をつけて光を集めている。グラウンドだけがジリジリと輝く。暑さがあのダイアモンドに集まる。この場所に来ると、10歳くらいに見た夏の彩度をはっきりと思い出す。私の知っている夏の色全てがここにあるんじゃないかとすら思う。どの季節でも穏やかな公園が夏はとびきり輝くのだ。
 1つのボールを追いかけて、キラキラ光る少年たちを見ながら、私は木陰でペンを握る。レフトがエラーした打球が止まらず私の近くに飛んでくる。転がるボールを片手で拾い、ひょいと投げ返す。帽子を取って「あっとーざいます。」と律儀にお礼をした子が中継の胸にワンバウンドで投げる。C球の小ささに驚いて、ここで野球をしていたのが10年以上も前だということに気が付いた。このグラウンドでボールを握るとあの時に戻ってワクワクする。私もまだ、キラキラの汗をかいていたい。

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