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34歳からのスタート

2年ぶりのトロントに到着してまだ半日と少し。

PCR検査の結果が出るまでの待機場所として取った民泊でパソコンに向かっています。(結局空港でPCR検査はしていなかったので待機は特に要らなかった。そんなところもカナダらしい)。

新生活のスタートを前に、この数日間の想いを残しておきたいと思い、初めてnoteを書く。いつもはTwitterに記録していますが、今後は書ききれないことも増えそうだし、ここに留めていきます。


先週末、やっと迎えた旅立ちに私の感情はぐるんぐるんと回っていた。自分でも分からない感情がたくさん溢れた。

と言うのも、カナダに向かうため地元盛岡から東京へ向かう新幹線内で私は大泣きしていたのだ。小学校からの友人たちがホームまで見送ってくれ、私は笑顔でバイバイした。そのうち新幹線は岩手を越え、宮城に入った。

すると突然、激しい寂しさが私を襲ってきた。家族、友人、岩手での楽しかった2年間が思い出される。

私は何て親不孝なんだ!何て身勝手なんだ!どうしてこんなに素敵な環境を離れてわざわざ不安定な場所に行かねばならんのだ!停まれ!新幹線!

と、大泣き。もちろん新幹線は停まるわけもなく、私の涙も上野まで止まらなかった。


2019年12月にカナダから一時帰国し、数ヶ月後には戻る予定だった当初の計画。2年の実家生活で私は2回歳を取った。その間、岩手に残る選択肢を考えなかったわけではない。地元で働いて、結婚して、子供を産んで。。。

老いていく両親の側で全てのライフイベントを迎えることが私も周りも幸せなのかもしれないと思い、よく言われる『普通が一番』の意味を34歳になった私は理解し始めていた。

夢を追うか諦めるか、人はいつか考える時が来る。私にとってこの2年間がそうだった。しかし、私は決めきれなかった。

「海外に無駄な憧れを抱くのはやめた方がいい」「日本で何もできない奴が海外に行って何かできるわけがない」。そんな厳しい言葉を頂くこともあった。

その度に『そうだよね』と心を弱くし、信念なんてない人間だった。それを隠すようにただ『カナダに戻る』を口癖にしていたけれど、単純に日本で頑張る勇気もなかったのだと思う。

もしくは誰か大事な人が「日本にいてくれ」とひと押ししてくれたら残っていたかもしれない。

そんな中途半端な覚悟のまま新幹線に乗ってしまい、そして動き出した。心は岩手に置いたまま、身体は岩手を離れる。引き裂かれそうだった。


東京に着いた夜は高校の時の友人宅で日本最後の夜を過ごした。友人は早々に4歳の息子と寝てしまい、私は彼女の旦那と日付が変わるまで飲み明かした。

今年40歳の友人旦那は来年会社を辞め独立することにしたらしい。働きながら大学院でMBAを取得し準備をしてきた。とてもやる気に満ちているのは分かった。

少なくともまさに明日、日本を出国し新生活を迎える私よりも数百倍やる気に満ちていた。

友人旦那が私に尋ねた。
「何がカナダへのモチベーションなの?」

やさぐれモードの素っ気ない答えに我ながら引いた。
「そんなのないよ。行くって言っちゃったんだから行くしかないんだよ」

私の表情の翳りに気づいたらしい友人旦那はこう言った。

「なんかさ、らしくないじゃん。昔はそんなに考え込んだりしなかったのにね。何歳だっけ?34?年取ったね(笑)確かに年々、新しいこと始めるのって億劫になるよね。でも大丈夫。俺、嫁も子供もいるのに会社辞めちゃうんだよ?失敗できないんだから。わかんないけど(笑)あんた自分だけでしょ?ダメだったらいつでも帰って来ていい。岩手に帰る顔がなかったらしばらくうちにいてもいいよ。」

そうだった。私は元来、後先考えない人間だった。それがいつの間にか2年の実家生活で身体だけでなく、気持ちまで年老いてしまっていたことに気がついた。

もちろんカナダに行きたい気持ちはある。しかし茨の道。臆病になってしまっていた。

だから34歳になった私が重い腰を上げるにはまず自分で自分を騙さなきゃいけなかった。と言うより、行く行くと言っていたので本当に旅立つ日が来てしまった。

でもそれでよかったのだ。もう後先考えなくていい。なんにせよ“実家での2年間”にピリオドを打ち、進み始めたのだ。

ありがとう、と言ってヘベレケの友人旦那を置いて日本最後の夜を終えた。


翌日私は日本を出国した。岩手に置きっぱなしにして来た私の心は徐々に私の身体に追いつき始めた。

そして今朝、2年ぶりにトロント・ピアソン空港に着いた。移民局では運よく他の入国審査官よりも1.5倍速くらいで仕事をする審査官に当たり、速攻でビザを発給してくれた。

思わず嬉しくてそのあとはほぼスキップだった。スーツケースを2個ピックアップし、到着ロビーに出た。

懐かしい景色、勝手に入るWi-Fi、様々な人種の人たちがダラダラと働いている。

私、帰ってきた!と笑みが出た。

iPhoneにいろんな人からメッセージが届いている。
すでにイギリス人と結婚をし、他国に移住をした友人に「辛くて新幹線で泣けた」とメッセージを送っていたのだが、返信があった。

「分かる!私もそうだった!地元最高よな!」

そっか…。いくら好きな人と一緒に暮らせるとしても、地元を離れる時はそりゃ泣くのか。寂しくて当たり前。ホームだから。

私の涙は自分の選択に対する後悔の涙ではなく、単純な寂しさだったのだ!と、納得した瞬間だった。



2019年初頭、やりたいことも将来の計画もなく、歳をとるだけの自分に嫌気がさし、昔からぼんやりとあった夢『カナダに移住する』と心に決めた。そんな大きな夢を持った途端、自分の将来を描けるようになった。

どうにもできない時期はあったけど、今は諦めなくて良かったと心から思える。

そして忘れてはいけないのは、私がまだ夢への挑戦をできる環境にあること。親が元気で、私の勝手を聞き入れてくれたこと。これにはとっても感謝している。


さあ!ここからが本番!楽しいことはもちろん、辛いこと、悲しいことも全て受け入れる。

なるようになる!と自分を信じて、周りと比べず、私らしくカナダライフを楽しもうと思う。

第二のホームをトロントに。きっと今よりもっと楽しい人生になる!


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