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ラヴクラフトのごとく死後も残り続ける念

絵本「進化の歴史」は、各章のラストがかなり唐突に終わるようにできています。


たとえば、第3部「昔ばなし編」のラストは、カボチャ太郎がやって来た直後に終わってしまいますし…


第5部「禁酒時代編」の最後は、12人のラッキー・モンキー兄弟ブラザーズがアメリカ中に散って、詳しくはどうなったかよくわかりません。


第7部の「ゾンビ編」にいたっては、三つ巴の戦いが始まって「ここからおもしろくなるのに!」ってとこで終わってしまいます。


これ、みんなわざとやってます。

ヘイヨーさんが飽きっぽいので「飽きたら、そこで終わり!」っていうのもあるのですが…
それ以上に「読者の想像の余地」を残して終わりにしているのです。

今回の物語でえがかれなかった部分は、読者が勝手に想像して楽しんでもらえばいいし。極端な話、読者が(新しい作者となって)書き継いでいけばいいとさえ思っているので。


20世紀初頭の怪奇小説作家にハワード・フィリップス・ラヴクラフトという人がいますが…
ラヴクラフトが生み出した「クトゥルフ(クトゥルー)神話」は、他の作家たちと一緒に世界観を広げていきました。

最初のお話はラヴクラフトが考えたのだけど。そこから派生して、別の人たちが次々と新作を発表していき、新しいキャラクターや設定が加わっていきます。いわば、半分「フリー素材」みたいな感じなのです。

「元の小説」は書いた作家に著作権があるのだけど。そこで生まれたキャラクターや設定を使って、勝手に新作を書いてもよくて。それを商品として発売してお金を儲けても構いません。

小説だけでなく、マンガやアニメやゲームにしてもいいし。もちろんイラストを描いてインターネット上に発表するのも自由!

なので、ラヴクラフトの生み出した世界は、新たな書き手たちによって、いまだに広がり続けています。


また、ラヴクラフトは自分の作品を自由に使っていい代わりに、他の人たちの作品をも使いたがります。

「私の生み出した世界観を使ってもいいから、君の作ったあの作品のあのキャラクター使わせてよ!」みたいに。


ヘイヨーさんが目指したのは、これと同じで。

その影響もあってか…

「ぽしとたぽし」「ゾンビ・ザ・ワールド」といった作品のキャラクターが登場します。


この方式ならば、たとえ作者がこの世を去ったとしても、作品だけは世に残り続け、進化し続けるでしょう。

いわば「死後も残り続ける念」であり、まさに「進化の歴史」でもあるのです。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。