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ショートショート クロスロード

地平線の望める荒野の道。交差点に、木が一本だけ立っている。クロスロードと呼ばれている。
深夜の零時きっかりそこに行くと、悪魔がいる。
昔、そうやって契約を交わしたギタリストがいたそうだ。才能を、自分の魂と交換した。

自分の卑小な魂一つで才能がもらえるなら安いものだ。インターネットで調べて、場所に目星をつけた。航空券を手に入れるのに苦労したけれど、少しばかり蓄えがあったから、札束で殴るような真似をして手に入れた。後でお釣りがくるはずだ。才能が、手に入るなら。

なるほど。一本だけ立った木に背の高い男がもたれかかっていた。がりがりに痩せている。恐ろしかったが、ここまで来たのだ。声をかけた。

「東洋人? 遠くまで、ご苦労なことだ。ブッダはこういうの許すのか?」
流暢な日本語の返事が返ってきた。逆にしどろもどろになる。男が続けて喋った。うっとりするような甘い声だった。
「ギターはどこだ? 才能をもらいにきたんだろ? チューニングしてやる。」

私は首を振った。
「ギタリストじゃないんだ。私は、小説家になりたい。」
それから、万年筆を取り出して、男に差し出した。

「へえ。」
男が笑った。声とは対照的に、勘にさわる、嘲笑うような笑い声だった。
「面白いな、お前。」
万年筆をうけとると、蓋をとったり、ペン先を触ったりし始めた。それから、肩をすくめて、ため息をついた。
「これじゃ、だめだな。」
万年筆をこちらに放り投げた。

「だめって、どういうことだ?」
あわてて万年筆を受け取り、私が言った。
「チューニングできない。やるなら、直接やろう。」
男がそう言って私の右腕を掴んだ。肉が焦げる匂いがした。悲鳴を上げた。万年筆を取り落とした。
「ちょっと痛いが、我慢しろ。」
楽しむような声で男はいった。腕が熱い。息が上手く吸えない。涙が出た。男は何かぶつぶつ小声でつぶやいている。
「これでどうだ。」
ようやく腕が解放された。汗が吹き出していた。右袖が焼き切れていた。腕の表面に、何か文字のようなものが浮き出ている。
「なんか、書いてみなよ。」
男が顎で私の腕をさした。あれだけの目にあったのに、右腕の痛みはもうなかった。

カバンから、手帳を取り出した。
万年筆を拾う。蓋ををとると、自動筆記のようにするすると文章が書けた。男と出会った瞬間のこと。しかも、描写が素晴らしいのだ。私の、憧れてやまないあの作家にそっくりだった。
「上手じゃないか。」
男が手帳を覗き込んで言った。確かに、素晴らしい。だが。
「これじゃ、だめだ。」
私は言った。男が意外そうな顔をした。
「どうして、大層名文じゃないか。情景が、見えるようだ。」
私は首を振った。
「これじゃあ、だめなんだ。描写が上手でも、ストーリーがなけりゃ、いいプロットがなけりゃ、売れっ子作家になんかなれない。」
「へえ。」
男が笑った。なぜか嬉しそうだった。
「欲張りだな。いいね。そういうのは好きだ。」

男の右手が私の額にのびた。鷲掴みにされた。激痛が走った。思わず、両手で男の手を掴む。掴んだ手が焼けるように痛い。
「我慢しろよ。書きたいんだろ、いいプロットとやらが。」
もう涙もでなかった。声も枯れ果てた。息を吐くのがやっとだ。

男の手が離れると私は膝から崩れ落ちた。必死で呼吸をとり戻す。
「どうだい?」
男が私の顔を覗き込んだ。その瞬間、めくるめくアイディアが私の脳裏に浮かんできた。慌てて手帳を探した。急いで書き留める。これなら、あの作家に負けずとも劣らない。男が声を上げて笑った。
「満足しただろ? なあ?」
無我夢中でペンを走らせながら答える。
「いや。まだある。まだ。」
「なんだ? 言ってみろよ。」
「審美眼だ。自分の作品をちゃんと見極める目が欲しいんだ。」
「いいよ。」
あっさりと男が言って、とんとん、と人差し指で私のまぶたの上をつついた。本当に軽く、拍子抜けするほどに。
「できたよ。」
にい、と口もさけんばかりに男が笑った。針金のような指で私の手帳を指さした。促されるままに、さっき書いた自分の文章を読んだ。本当に、まったく、あの作家が書いた文章そのものだった。自分が書いたなんて信じられない。プロットも、まるであの作家そのものだ。そうだ。私のじゃない。私の書きたかったものじゃない…。
「戻して欲しい。」
呟いた。
「どうして? 欲しかったんだろ? 才能がさ?」
「でも、こうじゃないんだ。」
「無能に戻るのか?」
頷いた。ぼたぼたと、乾いた砂に涙がこぼれてた。
男がため息をついた。
「興醒めだな。まあ、まけといてやるよ。」
男が私の顔面をもう一度掴んだ。離したら、もう居なくなっていた。腕の文字も消えていた。
クロスロードに乾いた風が吹いた。私は悪魔に見放された。遠くで、男の笑い声がした。

ショートショートNo.60

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