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エッセイ 空に橋を架ける(「架空線」ほか感想)

 私は仕事で起業者などのお話を聞くことがあります。起業をなさる方なので、事業のための夢や希望があるわけで、「いいじゃん」とか、「やっちゃいなよ!」という受け答えを当然期待しているだろうな、と思います。

 あまり親しくない知人にそういうお話を伺うなら、それもいいんです。私もそうしたい。その方が相手も喜びますし、自分も楽です。でも、仕事でやっておりますので、そうもいかないことがあります。「売上目標はどのくらいですか?」「不動産はどうやってご入手なさいますか?」「販路はどのように開拓するのでしょう」「人手は足りているのでしょうか」「資金計画と返済の目処は?」相手の顔が暗くなるような質問をチェックリストに従って確認し、足りないところは次までに、という話をせざるを得ません。そしてそれを間違っている、とも思わないのです。嫌われるのが仕事というか。

 何年か前、仕事関係の資格をとった際に実習期間というものが設けられ、そこで同じ時期に試験を通った他所の会社の方々とチームを組んで実地経験を積む機会がありました。他業種の方のお話を伺うのが面白く、「どうしてこの資格をとったのか」とお決まりの質問を回していくうちに、「経営の知識は持つべきだと思った」とおっしゃった小売業の方がいらっしゃいました。詳しく聞くと、彼のお父様は昔会社を経営しており、業績悪化時に資金繰りに失敗し、借金返済と会社の存続を諦めてしまった時に、ふっと、家族に黙って自ら命を絶ったということです。私共の同業が援助にも入っていたとのことですが、悲劇を防ぐとこはできませんでした。自分の無責任な一言が、誰かの運命を悪い方に引っ張ってしまうことがある、それを思い出すたびに震えます。

「自分達の働きがお客様の業績を左右することがあるなんて自惚である」と今の上司はよく口にします。現場叩き上げの人間なので説得力があります。各種の支援をどんなに頑張っても、景気の波はどうにもならないし、業績の回復はほとんど運なんじゃないか、と思わざるを得ないという絶望に我々は度々出くわすという意味です。ビジネスが思い通りに行くことなんて何十回に一回です。努力が報われるなんて夢物語。でも、だからやる、とも言えます。現実を前に自分達は無力である。そう。だからやれることをやる。ほぼ失敗することだから最善を尽くす。

 最近はありがたいことに多くの文章を書く知人友人が、SNS越しではありますが、増えました。世界情勢などの現実を前に「物語なんて無力だ」という声を聞くこともあります。でも、私はあんまりそういう話についていけないのです。「物語というか、自分が現実に対し何かで無力でなかったことなんてあっただろうか」と思ってしまうんです。

 澤直哉著「架空線」を読みました。ロシア文学者である著者がブックデザインや物としての本について行った講義を収録した本です。白い表紙にたっぷりの余白で、手にとった時とても美しい本だなと思いました。時間を惜しんで読み、出先にも鞄に忍ばせ、傘がない日の雨に見舞われてしまい、今や水いり本です。ごめんなさい。本当に現実はうまくいかない。

 夢中になって読んだ理由は、冒頭の方にある作者の言葉にひどく共感したからです。

 研究者であり翻訳者であるということもありますが、私は何かを書きはじめるとき、考え始めるとき、ほぼ必ず他者の言葉を出発点にします。(中略)自分が何を考えているのかを知るために、まず他者の言葉を足がかりにする。ただ一人で考えて書いているのではなく、先人たちと話をしながら、ある共同体の仕事を成しれいるのだ、という感覚が、私にはどうしても必要なのです。

「架空線」澤直哉

 今、まさに自分がやっていることだなあと思います。共同体のためではないけれど、自分が他者の言葉を足がかりにするのは、自分の考え、というものが酷くあやふやでふわふわしているものだという自覚があるからです。読んで書き写して、ぐるぐる線を引いてようやく朧げながら自分が何を考えているのか見えてくる。

 事業計画というものを書いたことはあるでしょうか。ライフプランとかでもいいです。最近はエンディングノートなんていうのもありますね。未来のために作る計画です。『幸せになりたい!』では足りないですね。いつまでにいつを、これこれこういう風にと考えてください。

 突然、文学的な話ではなくなっちゃったんですが、未来の計画を立てるのはね、意外と大変なんです。かかりそうな資金を計算しなくてはいけないし、法律や税金の知識もいるでしょう。ご商売の計画なら競合他者の、ご自身の計画ならばご親族の情報も必要になりますよね。頭を捻ってうんうん考えて、ようやく作り仰せたとしても、ご想像の通り、大抵は計画の通り行きません。

 じゃあ、そんなの無駄でしょうか。私はそうは思いません。計画を立てたからこそわかったこと、できたこと、行けたところが必ずできます。

 「架空線」ではフィクションについてこのように述べられています。

 私がより好もしく思う考えは「虚構によって現実を作る」というものです。何かを作ることは必ず、新たな別の現実を生み出すことだと考えます。なぜならそこには、かつて存在しなかったものが生まれるのですから。

「架空線」澤直哉

 何らかの「目標」、あるいは「目的」なしに事業をしたてあげられる人はなかなかいません。なのに「何をしたいですか?」という問いにすらすら答えられる人は稀です。小説や論説を個人のライフプランなんかと一緒にするのはきっと失礼なのだと思うんですが、「夢を見る」それも「誰も見たことのない夢を見る」のはかなり稀有な能力なんです。ごくありふれた夢でさえ、詳細を詰めるのは難しいと思います。きっと何かの手本が存在します。私は、フィクションの役割はそこにあると思う。

(前略)最近は「架空」という言葉をしつこく使っています。「虚構」と音が近いのもよい。対になる言葉として「着地」を思い浮かべます。思い浮かべるーー人間の思い、心や言葉はまず虚構として空に架けられる。何やら宙に浮いたものです。しかしそれは、この現実のどこかに必ず着地する。私がブックデザインや本に強い関心を持っているのは、ひとりの小さな人間の心や言葉が生み出す虚構が、どのようにして形ある物となり、複数の人間に共有される現実となるのか、という問いが、文学の、もっといえば、人間の思考様式や存在形式の根本に関わるのではないか、という直感があるからです。

「架空線」澤直哉

 何か困難を成し遂げる時、私たちは意志や夢を必要とします。「空に浮いたもの」が「この現実のどこかに必ず着地する」というのはとても強い言葉だと思う。

 最近、私は本づくり学校さんで製本を学ばせていただいています。理由は色々ですが、結局は物としての本が好きだからなのかもしれません。せっかくの本を水入り本にしてしまうことからも察せられてしまうように、私は結構な粗忽者です。材料が揃っていても、作り方を教えていただいても、作業過程はうまくいかないことだらけ。「こうなったらいいなあ」と「こうする」の間には深くて広い溝があるんです。それでも、「こうなったら」があるから、ものづくりができるんですよね。

 サムネイルの和装本は実際に教室で作った本です。大学の頃、古書の補修を手伝っていたので懐かしくて楽しかった。本づくり学校は手製本の会社、美篶堂さんが中心にご指導くださっています。教科書がわりでもある「美篶堂とつくるはじめての手製本 製本屋さんが教える本のつくりかた」という本には、手法や技術の紹介のほかに、製本屋としての本づくりの思いが綴られています。デザインと本づくりについて書かれた箇所を引用しますね。

 製本というのは、デザイナーのデザインを受け取って、そこから進めていく物です。しかし同時に、本としてのつくりに無理のない、美しい造本をしようと製本職人が手を動かしたとき、そこで初めて見えてくるものがあります。
 現場で気づいたことをデザイナーにフィードバックしてお互いに納得したうえで仕事を進めていく。それが松男さんのやり方です。
「どういうものを作りたいか話あっているうちに見えてくるんです」
 入念に打ち合わせ他もので失敗はまずない、と松男さんは言います。

「美篶堂とつくるはじめての手製本 製本屋さんが教える本のつくりかた」美篶堂

 ひとつの本を作るために、デザイナーと製本職人との共同作業が行われる様子が書かれています。これはなんだか、私が冒頭に引用したような「何かを書きはじめるとき、考え始めるとき、ほぼ必ず他者の言葉を出発点に」する、という行為に似ていると思うんです。何をしたいのか、を他者の力を借りて作る。私たちはそうやって自分の夢をより確かなものにする。

 フィクション、架空のものは、私は無力ではないと思う。ここではないどこかに行く時、私たちはまず思いから出発するからです。そして、その思いは、大抵ひとりでは作りきれないし、困難に直面するたびに何度も作り直さなければいけません。「架空線」で一番好きな箇所を引用します。

(前略)なぜなら人間の生とは変化の連続だからです。私たちはじつのところ、日々過去の自分を否定し、葬って、より善きものか悪しきものかはわからないが変化し続けてゆく。生きることは際限のない自己否定の連続なのです。

「架空線」澤直哉

 私はこれからも、架空のものを作り続けると思います。空に橋を架けろ。何度でも。どこかに行くために。


エッセイ No.122

  埼玉にある本屋さん「つまずく本屋ホォル」さんの「定期便」をとっています。毎月一冊、店の方が選んだ本が小さな紹介文つきで届くしくみです。どんな本が届くのかな、と楽しみにしながら、先月以前に届いた本の感想をこっそり言うエッセイです。

エッセイに登場した本

「架空線」澤直哉 著 巷の人 2023年10月

 ロシア文学者である著者がブックデザインや物としての本について行った講義を収録した本です。本当に綺麗な本です。見事な装飾があったりキラキラした紙だったりするわけではないのだけれど。機会があったら是非手に取ってみてほしいです。


「美篶堂とつくるはじめての手製本 製本屋さんが教える本のつくりかた」
河出書房新社 2021年1月

 長野県美篶に製本工場を持つ手製本の会社、美篶堂さんの書いた製本の本です。ご紹介した和装本のほかに、角背上製本やアコーディオンアルバムのつくりかたなども載っています。ぱらぱらと眺めるだけで製本方法ってこんなにたくさんあるんだなと楽しくなります。上手に作れるようになるといいなあ。

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