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エッセイ 狭間の向こう【#未来のためにできること】

 今、時代の狭間にいるな、と思うときが時々ある。

 40代の上司と一緒に女性連れの比較的高齢の取引先と会っているとき。
 ピカピカに光る時計と重厚なスーツに身を包んだ初老の男性がこれみよがしに笑って綺麗な顔の女性部下を見る。部下も上司に合わせて笑う。横を見る。上司も笑っている。乾いた笑い。みな笑っているのに、なんだか居心地が悪い。

 上司は昭和の産まれだが、比較的世情に敏感な人だ。女性の自分を商談に連れ回っているだけでも保守的な社風からしたら先進的といえる。相手によっては、応接の開け閉めをした後中に入った私に「あ、この人話に参加するんだ」という表情を向けてくる人もいる。
 『補助に(事務の)女の子しかあてがわれなかったのか……』という視線に上司本人は平気である。「当社は女性を優遇しすぎだ。能力のない女性を上にあげるのは男女差別だ」とこれみよがしに私自身にぶつけるような男性の多い会社で、この上司の無頓着ぶりは稀有である。

 逆もある。新入社員が手に追えない、という中間管理職の愚痴を聞くとき。

「教わってない(から、やれない)と平然と言う」「とにかく気が利かない」「すぐにやめる」俺が若い頃はもっとこう……と昔話に続く。少し前に「日本人は『自分が苦労したからお前も苦労すべき』と考えがち」ということを書いた文章を見た。現状はハラスメントだと指摘されかねない言動を中高年層がとってしまうのはそうしたことを本人が我慢してきたせいもあると思う。私も「そう言われたことを冗談で済ませられてこそ成長」とよく言われた。飲み込みきれないのは、多分、私に辛抱がないせいだろう。

 もっとも、若い世代についていけているわけではもちろんない。この人、自分で調べないんだな……。と愕然とすることはよくあるし、仕事の山を前に無頓着に帰宅する新人に泣きそうになったこともある。そんなにドライに暮らせたらどんなに幸福か。とはいえ、私にはわからないことで苦労していることもたくさんあるのだろう。

 どちらが悪い、ということはない。古い考えは悪、というつもりもないし、若い世代が配慮がない、というつもりもない。ただ、価値観に差があるのだ。

 歳上世代の女性軽視は本人が培ったわけではないだろう。おそらくは社会環境、今まで仕事場で経営に重要な役割を担っている女性をあまり見たことがない、という経験による『常識』を持っているだけだ。その世代の女性がキャリアを積まないで退職することが多かったのは両立できるような働き方が制度としてなかったせいで、男性が家庭のことを顧みず働くことが社会的に効率が良かったということに過ぎない。とにかく時間を費やして働けば稼ぐことができるだけの需要があった。それは事実で、誰が悪い、というものではない。

 「未来のために」と思う時、価値観のことを考える。
 自分の「よき未来」は、後の世代にとっても「よき」ものだろうか。

「俺はお前らのためを思って働いてるんだぞ!」
 父が酔った時によく母や私たちにぶつけていた。罵声を浴びるくらいなら、『ために』働いて欲しくはないと思っていた。とはいえ、善意だったはずだ。実際、子供時代に明日の米がない、という事態に陥ったことはなかった。

 私自身には子供はいない。ただ、甥っ子はいる。食いしん坊で理屈屋で太っている。「未来」と設定したときに感じる足場のないふわふわ感は、甥っ子とか、と思った途端に現実味を帯びる。
 甥っ子には幸せになって欲しいと思う。出来得るなら、自分より2割増しくらい。
 荒れ果てた道の手入れをするように、環境問題やら社会問題やら、後に続く人の障害になるようなことは避けておきたい。意気地も根気もない泣き虫のあの子が通る道を、間接的にでも少しでも良くしておきたいのだ。
 会社にいてもそうだ。私が蔑まれたり、笑われたりすることで、次の世代の女性社員がほんの少し楽になるなら、あまり堪えない。人間が社会的動物なのは本当なのだなと思う。

 ひとつずつ、山道を開くように、「よい」と思ったことは積み上げていく。それで一番大事なのは後の世代に罵られる覚悟を持つ、ということじゃないかと思う。

 人の価値観は変わる。多分、絶対に変わる。「こんなこと望んでなかった!」と泣きながら甥っ子や女性社員に罵られる日が来るかもしれない。自分がやっている「よい」ことが他人にとっても「よい」なんて保証はどこにもない。

 だから、「自分のために自分がよいと判断すること」を積み上げていくしかない。下の世代で愛しいと思う人がちゃんといるのは幸運なことだ。彼らの行く道が少しでもよくなるなら、自分のできる範囲で、「よい」と思うことを重ねていくことができる。それは自身の幸福でもある。

 私が分からず屋の悪の権化に見える日がいつか来るかもしれない。
 それでもいい。
 ずっとずっと幸せであれ。いつも膨れっ面の君よ。


#未来のためにできること

エッセイNo.63

文藝春秋とnoteの「未来のためにできること」をテーマにした「文藝春秋SDGsエッセイ大賞2023」に参加しています。